明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



当初奇態な寒山と拾得に対し、豊干禅師は人格者的にし、二人とのコントラストを着けようと考えたが、そもそも豊干自体が、虎に乗る奇人なので、と方向を変えた。 森鴎外によると”唐の貞観(じようがん)のころだというから、西洋は七世紀の初め日本は年号というもののやっと出来かかったときである。” たまたま、まさにこれから日本では大化が始まろうという頃である。誰も知らないからいいや、といいたいところだが、いや是非そういわせて貰いたいが、ぼろ雑巾をまとったような寒山と拾得はともかく、官吏である閭丘胤、またその住まい。豊干禅師、寒山拾得のいる天台山国清寺、またそこの僧侶達、等それぞれ調べることは多い。それには唐時代の絵画など、ある程度は調べなければならない。架空の話でもあるし、せっかく実在した人物達の呪縛から解放されるのに、時代考証など、そこそこにしておきたい。そしてこれは架空のお話しですよ、というためにも豊干の次に手掛ける予定の虎により、何某か基準、また象徴としてみたい。



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