明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



久しぶりに鎖国の日、部屋の片付けしていたら本箱の引き出しから海外の女優のサイン入り写真が出てきた。一部ヴィンテージ写真もあるが、殆どがもう盛りを過ぎた女優がサイン会で、全盛期に撮られた写真にサインした物であろう。こちらとしてはサインしている本人さえ見なければけっこうである。中には本人がサインした物である、という証明のつもりであろう。サインしている写真が添付されていたりする。余計なことをしてくれる。 引越しの時に、私が生まれた日から父が二眼レフで撮った密着写真が貼り付けられ、祖父の筆で公昭寫寫集と書かれたアルバムを置いて来たのに。と思った。  以前集めた映画のポスターを処分しようと業者に来てもらった時に、一緒に処分するつもりが、こんなタバコ臭いジジイに判るもんか。と止めたことを思い出した。ポスターも一度処分すると、もう二度と集める気にならない。処分したことが悔しくなるからである。そう思うと、アムバムを捨てたことは、私の写真はともかく、ご近所の人たちや、埃っぽい景色、私にとっての東京、64年の東京オリンピック以前の風景が惜しくはある。しかし同時にアルバムを失ったということは、私にはこの期に及んでもう前を向いて行くしかない、という気分にどこかで貢献している気がするのである。



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