アクエリアス期「蓮花のささやき」

暗闇を照らすー弥勒・魂・宇宙意識への誘い

概念の解放

2013-03-31 18:16:48 | メッセージ
人の基準は常に過去に起因した条件付けになっていますね。
計画のほとんどはその条件に当てはまるかはずれるかに則り決断され、自分が自分自身でいることは非常に困難です。
常に一定基準の枠からはみ出ないよう自分じゃない者でいることを要求されるにも関わらず、その場合の感情の扱い方については何も教えられません。
感情が自分を形成しているのにその感情は無視されるのですから、誰にも何もかまってもらえないその感情は行き場(覇気)をなくし、解決されないまま全ての事に当たっています。 そんな状態でどれほど自分自身ではない人生を送ってきたか。
その損失とエネルギーは計り知れません。
が、命はそんなに安っぽくありません。 だから抵抗を示し、自分自身の本質から反れた時様々なサインを出し、休みが必要なのに休もうとしない時は強制的に休ませてくれたり、引きこもらせて周りとの接触を遮断させてくれたり、誰かの口を借りて教えてくれたり、絶妙なタイミングで驚き(困惑)と共に様々なギフトをよこしてくれます。
そして自分らしく生きようと決心しても、周りでひしめくあらゆる人の感情がそれを許さず、また自分は以前のやり方に屈しますが、何度もお伝えしますが、本当にもう自分自身の個性に生きることを前進せずには事は流動していかないのです。 そしてそのことはもちろん本人にしかできません。
あなたがあなたである為に、世の中のための人をやめ自分自身に目を向けさすような強制的事象が、全ての人に起きています。 
だから今まで通りとなんか違うと感じる人も多いのではないかと思います。
そして周りでは「いち抜けた」人も増えているのではないでしょうか。。。

皆に笑われるようなことが起きたり、変な目で見られたり、変わってると言われたり、普通じゃないと言われたりしたら、今までの感情反応(条件反射)からしたら心穏やかではないですが、命や宇宙・地球・世界の視点からしたらそれは大喝采者なのです。 「よくやった!」て感じですね。
今までの、周りに服従の個性では肝心な所は何も変えられず他の誰かと一緒の個性ですが、ただ一人の個性は他にはない貴重な無二の存在です。
そして今全ての人に概念の解放が起きている為、概念の解放が大いに人々の心を動かしていて、今までにない在り方が受け入れられやすくなってるんですよ。

一人ひとりの個性が自由な心のもとで働きかけた時、今全ての人が疑問を持ってるシステムを動かし、全く枠のない可能性がアイディアやインスピレーションとして世の中を、世界を真にフェアな状態にしていきます。
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感情のフリー体験

2013-03-31 16:49:00 | メッセージ
ふと、「あー、幸せ」と口ずさむ瞬間が時々ありました。
思わずもれるのです。
ある時、思わずもれているあの瞬間って、一体何がありどんな時だっただろうと思い起こしてみました。

それは何もない時ばかりだったんです。 誰の何の感情の動きがないときだったんです。
で、もっとこれを掘り下げたら、「心の自由(無私・無欲)」な状態だったんです。

日本人にはエンパスが多くいます。 それは相手の感情や心の動きを感じる強いフィーリングのこと。
日本人は4人に一人、アメリカ人は20人に一人の割合。
だから調和力の大きい日本人は相手の気持ちを汲んで苦しくなってしまうんです。 想い煩う状態ですね。
故に自分自身を生ききるという新しい時代へのチャレンジが難関でもありますね。

何千年も昔から、人の生活や衣食住・物資・格好・価値などは変動してきましたが、人はその間もずっと感情を持っていました。 
他のことは大きく形を変えていったのに、この感情が事を大きく動かしていることはほとんど注目されなかったのが不思議ですね。

以前、「愛は自由そのもの」の言葉をお伝えしたように、愛には期待も要求も願望も見返りも与え合いも何もない、完全フリー、ニュートラルなメッセージがきました。
思わず「幸せ」ともれていたのは、そんな無私・無欲な完全感情フリー状態の時だったのです。 そして自分がそのようなフリーなので、一緒にいる人も心が自由で、そこに感情の動きがなかったのです。


幸せとは、自己実現や願望実現・成功体験とか裕福か不自由はないか平和か必要とされているか健康か愛する/愛してくれる人はいるかなどの「目に見える結果」のような状態と考えられていましたが、それは物理体験、プロセスであって、やはり目には見えない所に真があります。 

「目に見える状態」に心が動いている時はとても不安定ですね。 それは変動するものだからです。
ですが真実には変動がありません。 逆に変動するならそれは真から離れているからです。

たいがい「幸せ」と感じる時は、何かを分かち合っている時だったり、誰かに喜んでもらっている時だったり、嬉しい事があったり、褒められた時だったり(これ、全部感情が動いている時ですね)だと思いますよね。 でもそういう時、確かに嬉しいという感情は湧くけれど、命の幸せはそんなに浅はかじゃありません。

「心の自由」これが全てと言っても過言じゃありません。
ここに全てがあります。 線で記したもの以外も含め、全てです。

あなたが誰かの想いに煩うことなく生きている状態を想像してみてください。
そしてそれは可能だし、そんな体験もしていると思います。


 
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自分とつながることの意味

2013-03-12 12:46:08 | メッセージ
何の為に自分とつながることをこんなにも強調しているのか、、、。   

自分が何をしたいのか分からないから、対人関係にいつも疲れているから、思ったとおりスムーズに事が運ばないから、自分の想いが伝わらないから、理解してくれる人が居ないから、愛されたいから、満たされないから、幸せって何か分からないから、うまくいかないから、いつまでこの状態が続くか分からないから、、、。

様々な納得のいかないことの理由を知るためです。 そしてそこには穏やかで自由でとっても澄んだ景観が全ての人の中にあることを知ってもらうためです。
みんな知っているのです。
「知っている」という感覚を思い出すためです。




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自問自答

2013-03-12 12:45:24 | メッセージ
本来の自分への帰還のために問いかけがきています。
それは情からの自立であり、人の視線からの自由であり、本来の個性を生ききる為、多様性を楽しむため、喜びを生きるため、恩恵を受け取るため、潜在力を発揮するため、心の自由を体験するため、自分が何の為に生まれどう存在したいのか知るためであり、様々な疑問への応えのためです。

これらは本来自問することで自答で返ってくるものなのですが、人の言うことやることが気なったり・直感や本音を無視したり・考えすぎたり・常識に捕らわれすぎたり・損得思考だったり・うわべを装ってるだけだったり・目移りしたり・コンプレックスに捕らわれたり・人と違うことが気になったり・億劫だったり・誰かの話を鵜呑みにしたり・過去の思い煩い・未来の心配だったり・答えは一つしかないと思っていたり・不安や悩みがないことが幸せなんだと勘違いしていたり、様々な日常の雑多なざわめきに忙しくしていて、自分の奥底にある湧き出る泉を訪れる間がない為、内奥に泉が湧き出していることにも気付かないまま一生を終えてしまう事態になっていました。今までは、、、。
が、今生は自らの意思で内奥を見つけると決意するだけで、容易にそこへつながることができるんです。
自問で自答を聞き取れなくても、独特なその人に分かるその人らしい方法で様々なヒント・メッセージ・インスピレーションが伝えられてきます。
本来の自分からそれているから、悩み・迷い・不安になり・不服がでます。 逆にこれらが出るのは本来の道から外れているからです。 これらがそのサインだからです。
本来の自分を、本来の道を歩めるよう強く望んだら、必ずそのサポートはあります。
ただつらい・悲しい・いたたまれない・などの想いを持ってそこにひたりきっているだけでは、サインの意味に気付きません。
なぜそんな気持ちになるのか、もっともっと深く自分の本心に問いかけ、本音という自分の本当の音を聞いてください。
過去や未来ばかりを机に並べないで、ただ今の自分を見てください。 

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誕生元年

2013-03-11 11:02:03 | メッセージ
時期はずれではありますが、、、。

葛藤・想いへの執着・事柄への分析・判断など、いわゆる善し悪し・正しい間違い・大きい小さい・多い少ない・好むと好まざる・損得などの両極(2極)した思考価値の少ない人達は、どんどん誕生元年を向かえソウルパーソナルの道を進んでいますが、前述した2極思考価値(今までの時代の在り方)の解放が過ぎてない人は、苦しい時を過ごしているのではないでしょうか。
私もおととし大きな転換があり、あれよあれよとその転換の波乗りの練習に必死という感じで、去年はその転換に少し馴染んだものの、前述した2極を振るい落とすべく、葛藤への葛藤のような年でした。
そしてまだその葛藤への葛藤の名残を持ち越しつつ迎えた今年、これからの「ソウルパーソナルを輝かせる」人生への誕生元年の年。

去年「愛」と「愛情」の質の違いについてメッセージを受けていましたが、今年は人としてのその「情」からの自立に伴い、それにまつわる事柄が状況を取り巻いてるのではないかと思います。
日本人は特に情に厚い文化なので、このことからの卒業にはかなりの痛み(悩み迷い混乱不安失望空虚・・・)が伴っていることと思います。
特に「情」を当てにし頼りに生きている人たちは、「情」からの解放は人間をやめるようなもののように感じられるでしょう。
でもそうじゃない在り方があるとしたら?

今まで普通とか常識と考えられていた在り方に、一滴のしずくが落とされているのです。
そして本来あるべく、人生の多様性への体験へと誘われているのです。



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