アクエリアス期「蓮花のささやき」

暗闇を照らすー弥勒・魂・宇宙意識への誘い

自由にしてくれてありがとう。。。

2012-10-18 14:21:48 | メッセージ
何か不満がある時、私達はいつだってその何かに期待しています。 その何かの中に欲求があります。
あなたの期待するものはなんですか? あなたの欲求はどんなことですか?
「ああしてほしい」「ああなるといい」「わかってほしい」「理解できない」「おかしい」「こうすればいいのに」「もっと、もっと」「ちゃんと」「なぜこうしない」「どういうことか」「いつもああでこうで」。。。。
頭と心はいつも色んなことでザワめいていますね。

欲求/期待じゃない。 そんなことじゃない、そんな所じゃない、そんな理屈に真はない、と伝えてきます。
わかってるよ、頭では分かってるけど、、、でもだけど、、と頭と心は続けようとしますね。
ストップ! 思考のループにかかりませんように。

「欲求/期待じゃない」ってどういうことだろう? それをはずしたら何が見える? 
ただまっさらになるように、本当に目の前にあるりんごをその場からのけるように、自分の中から欲求と期待をはずしてみました。
するとそこに感謝がありました。と共に「自由にしてくれてありがとう」と伝えてきました。


皆色々な手段を使って、その人の経験の元を使って語ってくれたり見せてくれたり、あっ、生易しいですか?  怒鳴ってくれたり、お節介してくれたり、余計なことしてくれたり?、、、(笑)。
どの人もみんな、自分の経験をシェアしてくれてるんですね。 そして自分の経験の元も皆とシェアさしてもらってるんですね。

「自由にしてくれてありがとう」、、、この一の言葉に十のことが詰まってたので、今その意味を言葉にする難しさを感じています。
それぞれの方がそれぞれの感性で、この言葉を体で感じてみてください。 自分を大きな乳白色の卵で包んでみるように、この言葉をヴェールにして自分を包んでみて下さい。 どんな感じがしますか?
これはいつでも使えるツールです。
「自由にしてくれてありがとう」この言葉をただただ自分の中で唱え続けることで、心の自由を思い出せるようになっていきます。
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腹の意志

2012-10-15 18:58:20 | メッセージ
事に当たる時それがどんな事情であろうと、同情・おせっかい・心配・いい人・義務感からでなく、自分の本心から本当に望む気持ちで事に当たっていない時、痛手をこうむります。 その痛手は本来痛手ではなく恩恵なのですが、当の本人には痛手を負う事象として感じるでしょう。 

その人が困っているなら、私で役に立てることがあるなら、その人の為だから、という自分の本望からではない気持ちからの行為には限界という形で「それは本心じゃないでしょ」と教えてくれます。
「相手の為に」は自分の為、その動機は自分の立場や価値を守るための行いですね。

最近自分の腹からの本心・本望・意志・動機を試されるような状況が、自分や自分の周りで起きていませんか?
他人事に思えるようなことを聞いたり目にしたりしたことも、その人を通して自分の意志の在りかを確認するよう促されています。
ありがたいですね。

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内なる声/信号を生きる

2012-10-10 15:38:49 | メッセージ
私には昔から強く発してくる内なる声/信号がありました。 でもそれに耳を貸してると世の中とソリが合わなくなり非常に厄介です。 それで私は変わり者・頑固・偏屈・非常識・人間失格とみなされ、陰口をたたかれます。そんななので味方という味方もいませんでした。 その信号に従うと身近な人や周りの人を困惑させたり、時に傷つけることにもなりました。 そんな時は本当につらいです。 その相手の痛みと自分の痛みを葛藤という形で何年も抱えることになりました。 多くの人が考える世間の常識的なやり方、考え方に沿って生きていたら自分の心の声は無視されますが、周りに迷惑もかけないし世の中のはじき者にならないのでどれほど楽でしょう。みんなと当たり障りないそれなりのその場の会話も楽しめます。
が、私には世の中や身内の厄介者になるより、内なる声/信号を無視することのほうが拷問だったのです。 どんなに味方がいなくても理解してくれようとする人がいなくても、内なる信号を座標に生きてきたのでした。 

何故ここまで内なる信号がこんなにも強かったのか、そしてそれに従わずにはいられなかったのか、今では理解しています。
この時代に生まれる為、そのこと(誰も味方はいない)を前提に、そのこと(はじき者)を引き受ける覚悟で、内なる信号を生きる前例として生まれると決めてきたのです。 
そして、今世界中が内なる声を生きれる時が来ました。 今まだその序章です。
 
この宇宙のからくりを体験しながら、あなた自身の喜び(地球や宇宙、周りの人の喜び)を引き出していきましょう。

評価や価値・結果・評判というものを無しにしたときに見えてくるものを感じてください。 
フィーリングがとても大事です。 

 
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良い方にも悪い方にもひたりきらない

2012-10-06 13:47:34 | メッセージ
先日、久しぶりに思いつきで大川の滝へ、、、。
晴れ間が続いた時の水量は少なくなりますが、それでもずっと乾くことのない豊かな豊かな滝の水なのでした。

久しぶりのご挨拶をすると、「恩寵を受け取るように」と伝えてくれます。 そしていつでもそこにチューニング/フォーカスしているように。。。 
というのもすぐに不安や疑念や心配に自分を明け渡し、思考のループでグルグルしちゃうんですね。 今回は天体模様がそれを助長していたようですが、自分の真の喜びにフォーカスしていればそのループにわざわざはまる必要はないんですね。。。
だからしっかり喜びの手綱を握っているように、示唆してくれました。
でも何が喜びになるのか、分からなくなることがあるんですよね。 
私の場合は、好きな曲きくとか香りを嗅ぐ自然の中で静かに過ごすとか、落ち着きを取り戻すものを挙げると色々ありますが、それは結構自身がいい状態のとき、よりリラックスできるもの、頭で考えてしまうような「頭でっかち」なときに効果的なようでした。 でも心がザワついて落ち着かない「心でっかち」なときはそんなことじゃ効果ないことがわかり、先日のようにもう観念して宇宙に明け渡し、ひたすらホ・オポノポノ、、、私にはこれでした(あっ、分からない方はネットで調べてみて下さいね。アマゾンでも本があります)
皆さんにはそれぞれどんな方法が合うか、探してみて下さいね。

今私の周りにいる友達は「受け取る」のが上手(スムーズ)な友達が多いです。 あれがああなったらこうでとか、いついつまでにどうのこうのでというような雑音を頭で響かせないで、きっとただまっすぐに「ああしたい」「これ必要」という喜びのニーズにフォーカスしてるんでしょうね。
今メッセージきました、、、どうもひたりきらないことがポイントのようです。 前向きでも期待しすぎになり、深刻真面目でもブレーキになる。  
どちらにも偏らず、嬉しいこと喜ばしいことを思い浮かべ目の前の日常を続けていく。 日常の中にこの嬉しいこと喜ばしいことを思い浮かべる頻度を増やしていくことが練習のようです。 でないとすぐ自分や相手や世の中の評価に標準合わせてしまうでしょう?
手放すことがいかに重要か、何度も何度も伝えてきます。
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