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三代目の“世襲政治家”に日本の未来を期待できない5つの理由

2024年09月22日 18時53分01秒 | 社会

〈総裁が変われど絶望的な未来〉自民党裏金問題、公選法違反疑惑…三代目の“世襲政治家”に日本の未来を期待できない5つの理由   裏金国家#2  世襲議員が日本をダメにする?

Yahoo news 2024/9/22(日)  集英社オンライン

 

長年にわたって「裏金」をばらまき、縁故主義による仲間内資本主義がはびこる日本社会。その結果、世界の株式時価総額トップ100に入った日本企業はついにトヨタ1社だけとなった。日本経済はなぜ低迷し続けるのか。

金子勝『裏金国家 日本を覆う「2015年体制」の呪縛』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再構成してお届けします。

 

“三代目”が身上を潰す

自民党は末期症状を呈しつつある。

「2015年体制」は、裏金による地方政治支配を基盤にし、その利益共同体の基盤を守るために、東京生まれの東京育ちのエセ地元議員である世襲議員を担ぐことでできている。そして「2015年体制」は、劣化した世襲政治家でも国会議員として生き残れる仕組みを作り上げる必要性から生まれたのである。

それゆえ、世襲議員が行う政治の根本的問題点は、難しい政治学の学説を当てはめて説明するより、「三代目が身上を潰す」という格言からくる庶民の日常実感で見た方がずっとわかりやすい。実際、三代目の世襲政治家は、世の中で言われている三代目世襲経営者の弱点とそっくりである。

 

三代目は「家業」を潰すまで社長にしがみつく傾向があるが、「家業」が傾いてくると、初代の苦労を知らないためにいくつかの共通の欠点が見えてくる。

第1に、過去の「栄光」にしがみついて、世の中の変化や客のニーズの変化に全くついていけなくなっている。過去売れたかもしれないが、今は売れなくなった商品なのに、同じ商品を売り続けて会社がどんどん傾いていく。東京オリンピック、大阪万博、リニア新幹線といった1960年代~1970年代初めの高度成長期の再現を望む「三丁目の夕日」路線がそれに当たる。

すべて大赤字になって負債ばかり残していく。世界で進歩が著しい情報通信産業、ゲノム創薬と医薬品ヘルスケア産業、再生可能エネルギーと蓄電池、EVと自動運転などの先端産業分野では決定的に後れを取ってしまった。その結果、世界の株式時価総額トップ100に入った日本企業はついにトヨタ1社だけになってしまった。

昔からのなじみということで、政治献金をくれる古臭い重化学工業企業が集まる経団連企業に都合のよい国家事業ばかりやって、ますます産業衰退を招いている。防衛費倍増による武器輸出原発60年超えの運転再稼動、4桁暗証番号の古臭いプラスチックのマイナンバーカード石油元売り企業や電力大手向けのエネルギー補助金などがそれにあたる。

それによって四半世紀にわたって実質賃金が下がり続け、貿易赤字を定着させた。結果がすべてなのに、世襲政治家は当面の利益、官僚は自分の天下り先しか考えず変えようとしない。

 

国立大学法人法「改正」に「桜を見る会」における公選法違反疑惑

第2に、三代目の世襲は往々にして地べたに這いつくばって努力した経験がなく、世襲として経営トップを引き継ぐことが最大の目標になっている。岸田文雄首相は典型的で、首相になりたいだけで、何をしたいというこだわりがなく、会社の未来に関してはほとんど何も考えておらず、少なくとも思いつき以上のものを表明することができない。

「お家騒動」がある会社だと、何よりも優先的に考えることは、後継者を潰すことである。安倍元首相も岸田首相もその典型である。そして自分を初代より劣っていると、比較されることを嫌い、失敗しても失敗を認めず、謝罪せず、経営方針を変えず、自己正当化ばかりしている。

 

第3に、「世襲」というのは、公正な選抜基準はなく家柄とか縁故という「私的」な基準なので、公的立場にありながら周囲では極めて「私的」な人間関係が形成される。それゆえ民主主義という統治原理とは相反することがある。

時には、三代目世襲は絶対的支配者のように振る舞うのを好む。そのために、周囲できちんとした意見をする者を排除する。2014~2015年以降、内閣人事局で忖度官僚だらけにし、放送法解釈変更で批判的な司会者やコメンテーターを徹底的に排除し、日本学術会議の任命拒否や国立大学法人法「改正」で大学や科学者の自治を壊すのである。

さらに行けば、自分のご機嫌をとる者をひいきし、主として金銭関係や許認可関係などの「利益」が与えられる。そのために森友学園の国有地売却事件、国家戦略特区における加計学園の獣医学部の情実認可の疑惑、「桜を見る会」における公選法違反疑惑など公私混同の行為が横行する。三代目世襲経営者は会社の会計などの粉飾を始めると末期症状だが、安倍政権の下では公文書や統計の改ざんが行われてきた。

 

通常の企業と違い、国家の破綻の前兆が見えにくい理由

第4に、会社の内輪(内部事情)を優先して、客のニーズを無視し、客に不良品を押しつけ始めると、これは潰れる前兆である。マイナンバーカードは欠陥カードであって民間企業ならとうに潰れていたのに、売れない商品やサービスを客=利用者に押しつけて平然としている。

あるいは、世論的にとても支持されているとは言えない、本来医療に使うべき健康保険の保険料負担に子育て支援金を上乗せするのもおかしい。後述するように、裏金問題も国民世論を無視して、内輪だけを考えて甘い「処分」で終わらせようとするのも基本的に世襲の特性から来ている。

 

第5に、会社(国家)を自分のものだと勘違いして私物化する。ついには裏金作りを始めると、もはや末期症状である。異常に借金を膨らませて宴会をして平気になってしまう。サラ金経営に陥って潰れそうになると、経営者も幹部も通常の健全経営ではありえないような裏金作りを始める。国会議員のレベルではパーティ券裏金作り、政府のレベルでは使い道がチェックされないような予備費を膨らませ、官僚は基金を膨らませるのである。

 

社員も労働組合も将来不安を抱えているが、目先の給料を上げてもらうことしか言わない。経営がしだいに長い付き合いの銀行への借金頼みになっていく。国の場合、通常の企業と違って中央銀行がお札を刷れるので、「失われた30年」と言われるように、ある程度長持ちしてきたが、破綻するときは極めて悲惨である。三代目世襲政治家は家業が潰れるまでしがみつくために、自民党だけでなく国も潰れていくことになるだろう。


約半数が世襲議員”の自民党が日本経済に与えた「7つの負の連鎖」

2024年09月22日 15時33分04秒 | 社会

〈総裁の顔を変えればいいのか?〉いまや”所属の約半数が世襲議員”の自民党が日本経済に与えた「7つの負の連鎖」

2024.09.21 集英社オンライン 金子勝

 

総裁の「顔」を変えたところで、自民党の根っこは何も変わらない――。民主主義を破壊し、国際競争力を低下させた背景にある世襲支配の実態とは。

金子勝『裏金国家 日本を覆う「2015年体制」の呪縛』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再構成してお届けする。

長年にわたって「裏金」をばらまき、都合の悪い言論を封殺し、縁故主義による仲間内資本主義がはびこる日本社会。民主主義を破壊し、国際競争力を低下させた背景にある「2015年体制」の正体とは。

さらに、情報通信やエネルギー転換など、先端産業分野から取り残され、国民生活をどんどん貧しくしていく日本経済の構造的問題、そして迫りくる“カタストロフ”とは。

世襲支配、円安バブル、脱税と隠蔽、軍事費の増額……負のらせん状階段を下り続ける、この国の悪弊を断つ。

■目次

第1章 「2015年体制」というディストピア

第1節 日本政治の腐った根っこ 第2節 「2015年体制」とは何か 第3節 世襲という病

第2章 自浄能力なき隠蔽国家――腐敗が止まらない仕組み

第1節 検 察の権力チェック機能も自民党の自浄能力も期待できない 第2節 国会審議で明らかになったことは何か 第3節 自民党内のアリバイ的処分と法改正 第4節 政治資金規正法改正の自民党案の欺瞞性

第3章 裏金国家――国が腐るとはどういうことか

第1節 「惨事」便乗型資本主義 第2節 「国家的」な裏金作り 第3節 円安インフレと防衛費膨張の悪循環 第4節 投機マネーに狙われる国 第5節 ずるずるとした滅び

第4章 裏金国家の経済政策――仲間内資本主義日本

第1節 プーチン型権力を目指す 第2節 リフレ派とMMTが日本経済を滅ぼす 第3節 政府の産業政策が衰退を加速させる 

第5章 ディストピアから脱する道――裏金を提供する者のためでなく困っている者のための政治へ

第1節 政権交代が必須 第2節 円安インフレと格差拡大を防ぐ 第3節 防衛費膨張を止めてイノベーティブ福祉国家へ 第4節 地方衰退を食い止める 第5節 いかにして少子化を食い止めるか

 

世襲支配と政治家の劣化

実は小選挙区制度が導入された1996年総選挙以降の総理大臣を見ると、岸田文雄首相まで12人が総理大臣についているが、そのうち3人(28年間のうち3年半だけ)を除けば、すべて世襲議員である。ただし森喜朗の場合、父親の森茂喜は国会議員ではなく9期連続で、石川県の根上町(現能美市)の町長であった。すでに日本は北朝鮮と遜色がない世襲政治になっている

その背後には、係累が地方自治体の首長や地方議員であることを含めると、自民党の衆議院議員258人(2024年2月)の中に少なくとも109人(42%)もの世襲議員がおり、根深い基盤を築いている。

小選挙区の数が289であることを勘案すると、世襲議員の多さは尋常ではない。実際、インターネットのサイト(「自由民主党国会議員覧」)や『國會要覧』『新訂政治家人名事典』などで拾っていくと、おびただしい人数の世襲議員が自民党を占拠していることが分かる。

もちろん、世襲議員だからいけないのではない。これほど多くの世襲議員が国会議員を占めていることは、社会的流動性の低さを表すだけでなく、彼らを数多く生み出す再生産の仕組み(メカニズム)が存在していることを示唆している。問題はその仕組みである。

 

世襲議員であることでジバン、カバン、カンバンを持つがゆえに優位に立てる。そのうえで、金でつながる地域の利益共同体を作ってしまえば、同じ選挙区で競い合う必要がない。その結果、同じ自民党内部の他派閥の候補者と政策やビジョンを競い合う必然性はなく、しだいに切磋琢磨して身に付ける政策形成能力も答弁能力も必要性がなくなっていく。

こうした劣化した世襲議員の代表者が、三世代目の安倍晋三であり、麻生太郎であり、岸田文雄なのである。そして、こうした劣化した議員たちが威張っていられる仕組みを作ったのが、「2015年体制」なのである。官僚制をつぶし、メディアの批判能力を奪っていき、しかもできるだけ国会を開かず、すべてを自公両党の協議と閣議決定で決めていけば、彼らのように劣化した能力レベルでも国会議員でいることができるようになったのである。

 

自民党政権が企業の救済目的で行う7つの国家事業

もちろん、それで地域経済がうまくいくわけではない。うまくいかないがゆえに、余計に締め付けが強く効いてくる。中央のおこぼれで生きていき、地域経済の自主性を失っていくと、ますます自由も失っていく。若い人たちは地域から中央に向かって出て行くばかりで、地域経済はますます衰退する。

裏金でつながる地域政治の支配と同時に、集団的自衛権の閣議決定を契機に「2015年体制」ができてくる。実は、これから述べる集団的自衛権という概念は、現行憲法上の戦争放棄との関係で自衛権の行使としては認められないという立場から、これを行使するためには憲法改正のための国会の発議と国民投票という手続きが必要であるという政府見解を歴代内閣はとってきた。

そうした政府見解を前提にして、自衛隊の存在は「合憲」であるとの立場を正統化してきた。ところが、こうした憲法に基づく秩序をたかだか「閣議決定」という内閣の行政処分によってひっくり返してしまったのである。

その意味で、「2015年体制」は「静かなクーデター」によって誕生したと言ってよいだろう。そして「2015年体制」は、前述した地域政治の支配を全国化した面を持っている。中央(支配)と地方(従属)の関係が、同心円のようにアメリカ(支配)と日本(従属)の関係に拡大しながら、日本全体も経済の自主性の喪失と衰退とともに、民主主義と自由を失っていくのである。

衰退する地域経済が中央からのおこぼれで生きていくのと同じ構造が、中央でも繰り返される。国際競争力がなくなっていく経団連企業は、せっせと自民党に政治献金を出していけば、厳しい国際競争で勝てなくても、国内で自民党政権は衰退する重化学工業を救済するような国家事業を展開してくれるのである。いくつかを列挙しておくだけにとどめるが、

①アベノミクスは政府の大規模予算と日銀の金融緩和を続ける円安インフレ政策であり、輸出大企業を中心に未曾有の利益をもたらしている。さらに円安バブルで表面上の企業決算をよくする。

②安倍首相(当時)は「世界で一番企業が活躍しやすい国にする」というかけ声の下で、法人税減税を行って、(本来社会保障に充てるべき)消費税増税分をかなり食ってしまった。

③国際的にはエネルギー価格の抑制には燃料税の一時的軽減が一般的だが、石油元売り企業や電力大手といった独占企業に直接補助金を与えて莫大な利益をもたらしている。

④地域独占を維持する電力大手を守るために、安全性でもコスト面でも問題が多い原発の60年を超えた運転を行う。

⑤自民党に多額の政治献金を出すJ-LIS(地方公共団体情報システム機構)に参加するIT企業に4桁の暗証番号のプラスチックカードを作らせて多数の個人情報をひも付けさせ、市場だったらたちまち潰れてしまうような欠陥だらけのマイナ保険証のカードを全国民に強制している。

⑥国際競争力が低下した日本の重化学工業企業のために防衛費倍増政策でアメリカ製兵器のライセンス生産などを拡大する。

⑦国土強靱化計画の下で、学校統廃合や耐震化などで大手・中堅ゼネコンに大規模公共事業をばらまく。

 

衰退すればするほど支配を強める仕組み

このような取り巻きの財界企業を潤すような大規模な予算ぶんどりを続けていき、結局、情報通信、ゲノム創薬など医薬品、再生可能エネルギーと蓄電池、EV(電気自動車)と自動運転などの先端産業ではどんどん後れを取り、貿易赤字を定着させていく。裏金問題の「裏」は「表」の経済衰退であり、裏金問題と経済衰退は地方から中央(国)まで表裏一体となって進んでいるのである。

 

だからといって、いまの日本経済の衰退を克服する政策について、かつてのように自民党内で激しい論争が起きているわけではない。中選挙区制時代には、同じ選挙区でもライバルが存在し、派閥が互いに競い合っていたので、有権者を奪い合うために政策を切磋琢磨せざるをえなかった。いわゆる三角大福の時代はそれぞれが政策ビジョンを持ち、競い合う最盛期であった。

三木武夫は金権政治とは無縁で社会民主主義的な思考を許容した。田中角栄は地域格差是正を掲げ、ケインジアン的な拡張的財政政策をとった。大平正芳は宏池会を引き継ぎ、大蔵省の堅実な財政政策を志向し、国家ビジョンとしては分散型な田園都市構想を打ち出した。福田赳夫は田中角栄と対立し、大蔵省の均衡財政主義とインフレ抑制路線を代表していた。

 

いまや小選挙区制度の下では、そうした政策ビジョンを争う場もなくなり、裏金を含め政治資金をもって地方議員を囲い込む利益共同体を作り、世襲政治家を軸に政府の利益配分によって地域政治の独占を図っていく劣化した政治家は政策論争をする能力に欠けているために、これから見るように「2015年体制」を形成しなければならなくなった。集団的自衛権を正当化するイデオロギーとして右翼ナショナリズムが用いられたのは、歴史修正主義という反知性主義的な低レベルの議論ですみ、旧統一教会のようなカルト集団が選挙を支援してくれる「実利」があったからである。


山形県米沢市 松川弁当店 上杉神社・稽照殿 上杉記念館旧上杉伯爵邸 上杉博物館

2024年09月22日 12時09分16秒 | 山形県

松川弁当店駅前店。山形県米沢市駅前。

2024年9月6日(金)。

米沢市郊外の伊達政宗公生誕地・舘山城跡で警察の助けを借りて熊から逃げてきた興奮した気持ちのまま、12時直前に松川弁当店横の駐車場に駆け込んだ。

松川弁当店は、「米沢駅」から徒歩5分に位置する弁当屋。明治32年(1899)の奥羽本線開通と同時に創業して以来、鉄道とともに歴史を歩んできた老舗である。米沢牛を使った弁当を中心に販売している。

「るるぶ」「マップル」に掲載されていたので、たまには贅沢な牛肉弁当をと楽しみにしていた。

牛肉弁当も松・竹・梅のように高いものは1980円からあるが、一番安い1380円の牛肉弁当を購入した。調製のため数分待たされたのち、駐車場の車内で食べた。

松が岬公園案内図。

松川弁当店から旧米沢城本丸跡にある上杉神社方面に向かった。工事中の道路を抜けると広大な無料駐車場があり、観光客にやさしい。

濠に囲まれた本丸跡に上杉神社と博物館施設の上杉神社稽照殿、その南に上杉記念館(旧上杉伯爵邸)、南東に伝国の杜(米沢市上杉博物館など)があり、徒歩圏内である。

まず、濠を渡って上杉神社へ向かうと、旧上杉伯爵邸が対岸に見えた。

上杉神社。拝殿。米沢市丸の内。

主祭神は上杉謙信。上杉景勝が会津を経て慶長6年(1601年)に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。明治9年(1876年)現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座された。大正8年(1919年)の大火で境内は本殿以下全焼し、大正12年(1923年)、米沢市出身の伊東忠太の設計により、現在の本殿と宝物殿「稽照殿(けいしょうでん)」が再建された。

上杉神社稽照殿(けいしょうでん)。

1923年鉄筋コンクリート造2階建,銅板葺。

上杉神社再興時に建築された宝物殿で,設計は伊東忠太の手になると伝える。鉄筋コンクリート造で和風の外観を比較的忠実に再現しており,全体を2層の銅板葺きとし,2階には高欄を廻す。数多くの上杉家由来の品を納める宝物殿として親しまれている。

初代米沢藩主景勝、直江兼続、九代藩主鷹山の遺品である絵画、書跡、古文書、刀剣、甲冑、武具、仏器、陶漆器、服飾類等多種多様な遺物を収蔵している。

【重要文化財】茶地竹雀丸文綾片身替胴服、【重要文化財】絹本著色阿弥陀三蔵像、【重要文化財】長巻 無銘伝 片山一文字。【山形県指定文化財】紫糸威伊予札五枚胴具足 上杉景勝所用、本小札浅葱糸素懸威胴丸具足 上杉謙信所用、琵琶 銘 朝嵐など多数展示しているが、撮影禁止である。

稽照殿の設計者である伊東忠太は文化勲章を受章した米沢市出身の建築家で、明治から昭和時代多くの寺社建築を手がけた。稽照殿は神殿と調和を保つ日本風の外観をみせた重層建築で、平成10年に登録有形文化財に認定された。

特別展では、明国箚付(みんこくさっぷ) 上杉景勝宛(1幅)、明冠服類(みんかんぷくるい)(文禄五年上杉景勝受贈)(紗帽(展角付)、犀角帯、大紅刻糸胸背斗牛円領、緑貼裏、靴)

が展示されていたので、驚いた。豊臣秀吉の朝鮮侵攻のさい、文禄の役後に、明との外交交渉のなかで、明は冊封体制下に入らせるため、秀吉に対し日本国王(順化王)の称号と金印を授けるため日本に使節を派遣した。文禄5年(1596年)9月、秀吉は来朝した明使節と謁見して激怒し、慶長の役が始まる。その冊封の印として秀吉麾下の諸将に配布された明の官服類であり、わずかな例しか残っていないという。

上杉記念館(旧上杉伯爵邸)。米沢市松が岬。

銅板葺きで一部二階建ての柱や長押には木曽檜を用い、玄関と門は総欅造りである。

見学は無料。食事もできる。

玄関。丸に九枚笹に対い雀を描く上杉笹(うえすぎざさ)の家紋。

勧修寺笹(かじゅうじざさ)は、藤原北家勧修寺流の一族が使用する竹輪に九枚笹に三羽の飛び雀を描く図案で、藤原北家良門流(勧修寺流)の勧修寺重房を祖とする上杉家も同様に竹に雀紋を使用する

上杉伯爵邸は、明治29年、上杉茂憲伯爵(上杉氏十四代・最後の米沢藩主)の本宅として造営された。敷地は約5,000坪(16,530平方メートル)、建坪は530坪と壮大な大邸宅で、建設には3万7739円という巨費をかけた。この新邸は鶴鳴館(かくめいかん)と呼ばれた。建設の総指揮および設計は、茂憲側近の池田成章が担当し、当時、東京帝国大学の講師であった伊東忠太の意見を参考にした。

ところが、大正8年5月19日の大火で類焼し灰燼に帰した。茂憲が4月18日に東京の本郷邸で逝去した約1ヵ月後のことで、伯爵を継いだ上杉憲章は、おもに東京で生活したことから、当初は米沢の本邸再建は見合わされた。しかし、大正10年になって再建が計画され、翌11年7月に着工、市民の手伝いで胴突(てんつき)が行われた。同年末には事務所・応接室・上段・書斎などが完成し、翌12年には世子部屋(お子様部屋)・台所などを建て、門・土蔵などすべての建物が完成したのは大正13年で、翌14年5月に落成の祝宴が開かれた。

これが現在の上杉記念館である。建坪は285坪(940平方メートル)と焼失前の約半分となったが、銅板葺で一部二階建、柱や長押には木曽檜を用い、玄関・門は総欅造りと、落ち着いた中に気品がただよう純日本風の邸宅となった。

庭園は東京の浜離宮庭園を模して造園したものである。

設計者は中條(ちゅうじょう)精一郎である。中條は米沢藩士中條政恒(安積開拓に功績)の長男で、東京帝国大学工科大学で建築を学び、また上杉憲章に随行して英国に留学、ケンブリッジ大学で建築学を修めた。その後、曽禰達蔵(そねたつぞう)と建設事務所を設立し、慶応義塾大学図書館や東京海上ビルなど数多くの設計を担当した。旧山形県庁も中条の作品である。長女は、作家の宮本百合子。施行は上杉家出入りの江部栄蔵。

上杉伯爵邸は、第2次大戦後、米沢に進駐した米軍将校の宿舎に使用されたが、昭和25年に接収が解除、米沢市が上杉家より譲り受け、翌26年から昭和50年まで、中央公民館として市民に利用された。

昭和54年からは、市内観光の中核施設「上杉記念館」として、観光客や市民に開放されている。

上杉記念館大広間・玄関棟の外観は延びのある入母屋屋根と庇の間に真壁を見せる清廉な意匠とする。

客間棟は、洗練された巧みな大工技術を用いた質の高い建物である。全体に立ちが高く、側廻りの廊下及び1、2階の側廻りに設けた欄間が外観意匠を特徴づける。

仏間棟は、客間棟の西に接続して建つ宝形造りの建物である。6畳の間の背後に花唐窓風の縁取り壁を配した仏壇を設ける。簡素な建物ながら洗練された意匠になる質の高い純和様の建物である。

子供室や使用人室との重なりが重厚感と軽快感をあわせもつ。

米沢市上杉博物館。米沢市丸の内。

天正2年(1574年)に織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられ、以後米沢藩上杉家に伝来した狩野永徳筆の国宝上杉本洛中洛外図屏風がメインの展示。ほとんどは撮影禁止。

豊臣秀吉から上杉景勝への朱印状。

武田勝頼から上杉景勝への書状。

足利義輝から上杉謙信への書状。

1990年代後半に旧博物館を見学したときは、上杉鷹山(上杉治憲)の書状に見える歌「なせばなるなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり」が心に残る博物館であったが、その面影はなかった。

上杉鷹山の師である尾張藩校・明倫堂の督学(学長)細井平洲への言及も少ない。

 

このあと、直江兼続の墓所がある林泉寺、旧米沢高等工業学校へ向かった。

山形県米沢市 舘山城跡 熊と伊達政宗に会える城


トランプ氏の虚偽発言、発端はある女性の投稿か。後悔を口に

2024年09月22日 08時42分50秒 | 社会

「まさかこんなことになるとは…」トランプ氏の虚偽発言、発端はある女性の投稿か。後悔を口に

Yahoo news 2024/9/22(日)  BuzzFeed Japan

 

米大統領選のテレビ討論会で、共和党候補のトランプ氏から「移民がペットを捕まえて食べている」という発言が飛び出し、物議をかもした。討論会から数日が経ち、トランプ氏の発言は1人の女性によるSNSの投稿が発端だった、と現地メディアが報じている。

 

トランプ氏は9月10日、テレビ討論会で「移民政策」についてこう主張した。

(米オハイオ州)スプリングフィールドでは、移民がそこに住む人々たちのペット、犬や猫を捕まえて食べている」

トランプ氏の発言を受け、現地に住むハイチ系移民に対する差別やバッシングが加熱。

SNSには虚偽の内容が数多く投稿され、市には爆破予告などが届くなど、取り返しのつかない事態に発展している。

このトランプ氏の発言だが、現地の複数メディアによれば、スプリングフィールドに住む女性のFacebook投稿が発端となったようだ。

女性は「隣人の娘の友人の猫が行方不明になったという話を聞いた」「その人が仕事から帰宅し、ハイチ人が住む近所の家に目をやると、庭の木に行方不明になった猫が吊るされていた。彼らは猫を食べようとしていたそうだ」と書き込んだ。

投稿はすでに削除されているものの、投稿のスクリーンショットがSNSで出回るなど大きな反響を呼んだ。

共和党の副大統領候補に選出されたJ・D・バンス氏も、この投稿をもとに、演説などで繰り返し「移民がペットを捕まえて食べている」と発言している。

 

ネット上のデマや誤報をチェックする情報機関「Newsguard」は、女性の投稿が、今回のウワサが出回ることになった最初の一人だと報じた。

同メディアは、女性本人や隣人に取材。その隣人は「私は猫を亡くした人のことを実際には知らない」「友人の知人から聞いた話だった」と話している。

Facebookに投稿した女性本人は、NBCニュースの取材に対し「こんなことになるとは思ってもみなかった」と語った。

ハイチ系住民のコミュニティに同情します。もし私がハイチ出身だったら、たしかに怖いです」

彼らが愛しているものを傷つけていると思われても仕方がない。でも私が意図していたこととはまったく違うんです

女性の発言は、NBCの番組内でも紹介された。女性は「私が間違っていた」と後悔と謝罪の言葉を口にしている。

SNSでは女性に対し、「自分の発言に責任を持ってほしい」と厳しい意見が上がっている。