映画「ひまわり」のストーリーはうろ覚えだがソフィアローレンが歩くひまわり畑の映像ははっきり覚えている。その感動を覚えている。昨日「花の海」でその感動を味わった。しかし太陽に向かうという花は全部夕日に東方向に向いていて逆ひまわりであった。鑑賞用の足台も東に設けられている。逆光であり観難い、写真を撮り難い。成熟期に入った若いひまわりは東を向いて咲いているということをはじめて知った。私の長い人生の中で花の観察力が足りないと思った。
ひまわり文化圏があると言える。油のために栽培している。中国人やロシア人たちがひまわりの種を口に入れて皮を巧みに出しながら食べる。ひまわりは太陽に向って咲くことから命名されたと思っていたけれども逆もある。北朝鮮の「太陽節」はどうだろう。太陽に向かっているのだろうか。日韓においても未来に向けて「未来志向」と叫びながら逆行しているのが常である。
今日は8.15記念日である。このような名付けをすることは簡単ではない。降伏、光復、解放、終戦、敗戦など多様であるからである。世界的に大変な転換期を象徴する記念日である。ウィルソン大統領の言葉の通り、戦争と植民地から民族独立の時代に向かうように変化してきた。解放され「民族独立」は嬉しかったが結果は必ずしもそうではなかった。植民地に替わり独裁政権の存在はより残酷なことである。今平壌では聖戦を賛美する群衆の行列が行われている。開戦の秒読みともいわれる。ただの反米示威かも知れないが、独裁体制下で国民は奴隷化されている。
仏教的お盆の初めはキリスト教会の礼拝から始まった。日本の敗戦と韓国の解放を記念する説教であった。最近韓国で信徒数が急減する現状をもって教会が使命を尽くしていないからだと反省すべきであると語った。この教会は無牧の教会になって1年過ぎたがむしろ信徒たちの誠意で教会が立ち直っている。韓国も初期キリスト教へ戻って甦るチャンスとなるべき時期であろうと思った。キリスト教の生贄をもって南米でジェノサイド、日本帝国の組合教会の植民地協力、多くの教派が天皇制軍国化を認めた歴史をもっている。より深みのある説教が必要である。
夏の風物詩のクライマックスは関門海峡花火大会である。ベランダを整理してにコザを敷いて3人の客を迎えた。女性の前田よしみ氏の歓声が上がり雰囲気が高調した。関門の花火はコラボレーションという点もあるが門司側は大玉の連発、下関側が追い上げるように感じた。試合のような競演として見ている。1万5千発という圧倒する数もわぁわぁーと言ってるうちに終わった。ソウルから来られたキンカンス氏が撮った映像をテレビで鑑賞した。戦火ではない花火で競うことは美的センスの勝負である。花火は美の、感動の競演であった。
高級帽子に下駄を履いた不均衡な紳士姿で盆休み閉鎖中の大学の研究室に入り資料を持って、帰り道にお中元店に寄りお中元を贈り、また倉光氏の病院にも寄った。3人のお孫さんと娘さん夫婦が団らん、憩いの時間であった。今晩は関門海峡花火大会、天気はよさそうである。倉光氏から韓国語の拙著を日本語訳した原稿をいただいて検討することとなった。
猛暑の夜の気温は下がり凌ぎ良い季節、仕事を急ぐような焦るような気持ちになる。自ら才能を検証してみると家庭的に恵まれたことが稀、身分や文化などの継承や世襲的なものも全くない。ただ母の教育には感謝する。わたしに「好きなことを自由にするように」放任したような教育、躾であったこと。それが最先端の教育哲学ではなかったかと感心するところである。
「楽しい韓国文化論」は6年目、第6回が9月30日芥川賞作家柳美里氏による「文学と人生」の公開講座から始まる。2011年11月に東亜大学東アジア文化研究所が設立された時、始めたものである。先端の研究と知識を市民と共有する、そして日韓の友好の市民講座である。国家間の摩擦には関わらず下関と釜山から出発し、地域と地域による国際化やグローバル化を狙っている。下関市には弥生時代の文化の象徴的な土井が浜人類学ミュージアムがあり、副館長の吉留徹氏が稲作文化を語る。また下関市立歴史博物館の館長町田一仁館長から「朝鮮通信使と下関」、フリーライター真弓智恵子氏から「朝鮮通信使ワーク」が語られる。私は下関市湯玉などから朝鮮半島へ移住した人たちの話「韓国の日本村」を語る。定員は30人程度を予定にしている。私のFB、ブログ、ツイッターの読者の大部分は下関の方ですので、是非参加いただければと思っている。
夏休み、盆休みの中でも研究室で読書会は休まず行った。グァムに北朝鮮ミサイルの脅威、トランプ大統領の応対Fire and Furyの中で我々は平然と集まっていた。政治と学問、佐野真一氏の本から宮本常一氏の「絵引き」、拓本と版画の技術に関する映像鑑賞、そして着色絵葉書に関する本格的は共同研究に入った感がした。写真はドイツミュンヘンで1915年、版画式印刷の写真である。カーラー写真ではない。本当の色は不明である。「本色が分からない」。
続いて林楽青氏の満州映画からみる日満語通訳の分析に関する発表があった。ノンバーバルとバーバル(nonverbal and verbal)、インフォーマルとフォーマル(informal and formal)のコミュニケーションの言語的文化的レベルと現場が分かる貴重な分析であった。言葉が通じない時にはジェスチャーを使うがそれも異なり不通になることもある。例えば日本人のお風呂の仕草は中国人には通じない。ジェスチャーは言語の一種であることは分かる。ジェスチャーランゲージ、ノンバーバルランゲージという言語の一種と言える。学位論文に接近していることを初めて直感した。熱中症ではなく、「熱中正」の勉強会であった。
8月15日が終戦記念日であることを18・19歳の日本人は知らないと報じられる。毎日が何々記念日であるから知らないのも驚くことではない。結婚記念日を覚えていないと叱れるのが夫であろうが、今年の8月6日が私共夫婦の結婚40周年記念日、私の出張などで、めったに一緒に過ごすことがなかったが、今年は二人で名古屋からの帰りの新幹線の中で一緒に弁当を食べた。ちょっと高級なアイスも食べた。家内は何も言わなかったが意識していたようだ。誰でも不幸な過去の記憶を失うことは良し悪しであるが、認知症は怖い。脳を働かせたいからいろいろ記憶するのかも知れない。韓国の留学生が日本の侵略史を教えてもらって反日になったのは当然あろうといった。個人にも辛い過去がある。それをただ記憶として持ち続けるのではなく、それを以て思考する、それが人生であろう。記憶をもって思考し、成熟する。
*写真上水流久彦氏ら編『境域の人類学』へ寄稿
朝起きてコンピューターを開きネット上の情報を読み、それからこれを書くのが変わらない私の日常である。トーフラが未来ショークFuture Shock(1970)にて予告したとおりネット中心の生活になった。トランプ大統領の直話ツイッターなどから情報を読みとる。新聞などの媒体の存在感が薄くなっている。情報源からメディアを通して伝わる体制、「媒体」とは情報を集めて伝えるが、それは「編集」や「偏執」によって捏造、隠ぺいなどが多く、情報源者からは不満があるのは事実である。トランプ大統領はCNNやNew York Timesなどと対立して直接投稿送信する。私も新聞の読者であるが、時には情報提供者にもなる。ある新聞は記者が取材を3回もしても編集者が載せない。直接ブログ、FB、ツイッターなどで報じている。
名古屋からの帰路は新幹線ヒカリとゴダマであった。高齢者割引ではのぞみは乗れない「望がない」からであった。ヒカリは便数も少なく、のぞみの通過待ちが多く、全6時間以上もかかった。しかし、ゴダマは車両内部構造を改良してスペースに余裕があり読書と作文ができて良かった。新下関駅には友人のタクシー運転手の青木氏が待っていた。彼は座ってする仕事なので運動をしなければならないと言いながら、野球をしてきたという。私も長く新幹線で座って来たばかりであり、私自身も座ってする仕事が多い。95才まで生きていらっしゃった私の恩師は一生座っている生活パターンであった。私は学者の基本姿勢として根気よく座ることであると学生たちによく言っている。私が車内読書が可能になったのは大手術以後のことである。昨日車内読書で夢中になった本はアメリカの韓国慰安婦出身の女性たちに関するものであった。新しく出版準備中の原稿の参考にしたい。JI-yeon Yuh, Beyond the Shadow of Camptown: Korean Military Brides in America ©2002,New York University。
名古屋観光ホテルで600余人が参加するワンアジア財団のコンベンションに家内と一緒に参加した。去年カンボジアで会った方々にも会えて嬉しい再会の時であった。「教育を通じた平和」を日本語、英語、韓国語での発表があった。中国語での発表はなく、私はレシーバーを使用しなかった。発表者の一人のHook氏はシェフィールド大学から来られた方で、友人のグレーソンJames Grayson博士を思い、早速会って話した。懇親会で登場した人の中では衆議院議員の江島潔氏、久しぶりであり記念写真も撮った。写真右から江島議員、大村議員、自民党の中川氏、私、佐藤理事長、幸子である。あいさつを交わし、私は下関でこのような会議をと誘ったが下関出身の江島氏は下関にはこのような大きいホテルはないので残念と言った。再会したトルコ人はこれから山口大学に赴任するとのこと、今後協力しあうことを約束した。膨大なお金と努力により毎年行っている財団に感謝したい。テーマは平和。大きなテーマに教育を通して挑戦している。大きい過ぎではない、広すぎではない。
読書会のメンバーに田辺氏から「甘酒」がプレゼントされた。私は酒造過程で生ずるもの、韓国の술찌거미酒粕と思い酒という印象で口にしたことがない。ただ最近家内の勧めにより甘味を味わったことがある。田辺よし子氏からの電話ではお湯で薄めて飲む、日本の伝統的な甘味飲料であるという。
読書会では私が「日本人ほど日記をよく書く民族はない」という鴨下信一著『面白すぎる日記たち』を紹介し、出版予定の『慰安所日記』の註に加えようと思った。日記に面白いと言うには抵抗があった。人の日記を読むことはプライバシー侵害の1号と思っているからである。性について●○などの記号を使いながら書かれた日記を著者は面白く紹介している。死後のものとは言っても人権問題に触れる。人は特に日本人はなぜ日記を書くのか、日記を世の中に残すのか。着色の絵はがき画像を映した。白黒の原版、着色版、着色版からの白黒版をみせながら検討した。なぜ写真やアルバムを残すのか。残すのではなく、残るのである。粕のように。
縁故主義、友たち内閣と言われている改造への期待が充満している。輪郭が報じられ今日正式に発表される。組閣人事に客観的ルールはあるのか。「人づくり革命」といってもそれはその人の生きている人脈を越えることではない。永田町にはベストの政治家ばかりだろうか、そのベストの中からベスト(one of bests)が登場するのか。ベストの羅列ではチームワークが上手くいかない。小さい集まりでも同様である。ベストなる人物の総網羅式の集まりでは効果的な協力関係は難しい。友情や尊敬による縁故がなければならない。国民は自分を考え、政治を考えるべきであろう。
私は多くの大学に学縁も多い。韓国や中国などの教え子たちの多くは就職に満足、研究を続けない。日本では教職に就かなくても研究を続ける人もいる。県立広島大学の准教授の上水流久彦氏・村上和弘・西村一之編の『境域の人類学』が届いた。私も小論を投じたがあまりにも出版に時間がかかり放棄、あるいは無関心に近い気分になっていた時、ようやく手にして読み始めた。100年史を持つ人類学は現実社会から離れたところで縁の遠い村での現地調査をしてきた。全般的に植民地を扱ったものがすくない。韓国研究も原始民間信仰や家族親族研究に限られているといえる。世相の表面的な研究ではなく、現実とつながる研究が必要である。本書は今現在を問う研究成果である。
前期講義の最終時間で学生たちの感想を聞いた。意外に授業に関するコメントが多かった。先生と学生の対等な関係、ベトナムでは先生は怖い存在である、対話式の授業方式が良かったなど。私のために発言はマイクを使わせたことが学習につながった、という意見もあった。日本文化論で扱った「恥」「親切」などにも意見が多かった。アルバイトの経験から親切さは形式か礼であり本質ではないという批判もあった。その比較にもなりそうな「楽しい韓国文化論」が後期に行われる。一般市民向けの公開講演、柳美里氏の「文学と人生」のチラシが出来上がった。写真は鈴木愛子氏、デザインは鵜澤和宏氏によって作成された。この講座はワンアジア財団の講座「アジア共同体」と並行されるので忙しくなる。いずれも市民に公開する。