崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

水を人の顔にぶっ掛ける

2016年08月17日 06時29分10秒 | 旅行

オリンピックの映像から韓国のドラマへ切り替えた。家内が見ている連続ドラマの視聴に加わった。大声での喧嘩の場面が繰り返され、嫌な異様な場面に目を逸らしベッドに向かった。韓国式の怒る表現として物を壊し、携帯などを解体壊して投げる、食事の食卓を引っくり返す、コップの水を人の顔にぶっ掛けることである。日本的には我慢して復讐心を抱き、刺すようなことは韓国のドラマでは少ない。どちらが良い悪いは言えない。異様なこと、不思議なことは男性の暴力の場面はすくない。女性が男の顔に水を掛けて侮辱する場面は多いが、逆の方はない。男尊女卑、家庭暴力の韓国の男性像は少ない。ドラマは現実を表わさない教科書(?)であろうか、韓国女性の悪質を表現するものだろうか。 先日カンボジア訪問の時、水スプレー祭りへの観光案内が数回あった。水をかけられることによる祝福される祭りである。今日本は猛暑、旱魃、水が欲しい。しかし韓国では伝統的には雨乞いでも水をかける習慣はなかった。ただ最近映画などで侮辱の表現として水を人の顔にぶっ掛けることになっている。殴らず簡単に侮辱する表現になったようである。しかし私が生まれ育った時代には全くなかった、新しい文化である。留学当時は日本で仏像などに水を掛けるのを見ても違和感があった。 


ハン・イン

2016年08月16日 05時49分58秒 | 旅行

 TVはオリンピックに夢中である。私も観戦に夢中になることが多い。観戦の仕方もいろいろなレベル。ある人は点数や勝敗に関心が高く、ゲームの観戦にはそれほど関心がない。その人こそ負けた時の失望は大きい。またある人はゲームのルールを知り、選手のパーソナリティーや戦術などまで知っていて、観戦自体を楽しむ。私は卓球をしたことがないがプロのように家内に解説しながら見ていた。日本とドイツの対決であった。卓球といえば中国との戦いであるのにドイツかと思った。実はそれが日中の試合のようなものであった。日本の福原がドイツのハン・イン (韓瑩, Han Ying, 1983年中国漢族)に敗れた。

 オリンピックは国際化、世界化、グローバル化の象徴的な国家間のスポーツの戦いである。しかし今国際化と同時に民族主義が強まっていく傾向があることに気が付く。国家というイメージが薄れていて、民族、人種の対決のように感がある。ジャマイカのボルトなど人種的英雄が登場している。ハンに負けたこと、ドイツに負けたこと、否、中国人に負けたように感ずるのはなぜであろうか。ここに大きいメッセージがある。グローバル化は民族主義への傾向があるということである。移民、多民族化、グローバル化や多様化はただ混合するのではない。第2,3の塊、民族主義、地域主義が現れるのであると思われる。

 

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終戦記念日

2016年08月15日 05時55分15秒 | 旅行

 今日は日本の終戦記念日、韓国の解放記念日(光復節)、猛暑と旱魃でカンナの花や草が枯れている。下関も熱帯夜が続く。昨日の礼拝は正午にかけて行われた。韓国から日本語学習のために来られた釜山東亜大学の李学春教授を同行した。二階の礼拝堂は推定温度38度を超える中、日本キリスト教団から来られた牧師は聞きにくいこもった声で長すぎる説教、本教会の司会も困辱の時間であったが、私は「苦行修行だ」と思い、我慢した。清掃環境業の人と立ち話をした。彼は関門海峡花火大会の時安倍総理席の近で仕事をしたと現場の話をした。去年より観客が過半数にしかなく、花火の頻度や中身も貧弱であったとコメントをした。その原因を聞くと、「一人様1,000円の環境整備協力金」、招待席及び協賛席を設けていたが有料とだ噂になり観客が極端に減ったのではないかという。新聞などは115万というが信用ならないと。
 昼食は李氏にご馳走になった。彼は1か月以上猛烈に日本語勉強し、かなり聞き取れるようになった。教会で礼拝から教訓を得たように語ってくれた。実は彼自身が神学大学院の学生でもあり教会では「伝道師」と自己紹介をした。牧師を目指しており、在日教会の復興に意欲を見せていた。まず民族主義を持たないこと、日本人向けの牧会をすること、牧師は自分を「しもべ」、信者を「お客様」という態勢変化、信徒中心の教会にすべきだと主張した。教団は会員に過ぎない、信者自身から復興を起こすなど牧会の信念、ついでに私の新著へのコメント、私は耳を傾けた。読んでコメントをすることの期待を込めて数人に寄贈したが初のコメントであった。被植民地における犠牲者へ私の視線が当てられたことに彼は触れた。アイルランドのケースメント、フィリピンのリサールなどキリスト教者による独立運動をした人物、特にリサール処刑前夜に書いた詩(拙訳)に感動したという。信仰に生きることは時には辛い、苦行であろう。*写真中央が李氏 


花火大会

2016年08月14日 05時29分23秒 | 旅行

 昨夜恒例の関門海峡花火大会が行われた。朝から掃除、環境美化、観戦の場にゴザを敷くなど準備をした。カンボジアでの写真を見せるためにビューアーを調節しておいた。家内は韓国料理を作り、韓国東亜大学の李学春教授らを待った。李氏は家内の韓国料理に意外な感を漏らした。家内が日本人であり私の食べ物は日本化されたと思ったようであった。しかし家内の料理が韓国化されたことが異様に感じていると言いながら飽食するといった。彼はキリスト教の牧師になるために神学大学院生になっているという。韓国の牧会者たちに不満があり、自分自身で神学を学んでいるという。今日教会に同行することとなった。私の写真説明が終わり砲声のような爆音から花火が上がり始めた。我がマンションからは下関と門司の両側の花火が見えるが門司の方がより正面でありよく鑑賞できる。1万5000発の花火が打ち上がり、海峡の両岸を照らす光の競演を100万人以上が楽しんだ。毎年欠かず見ているが、変化が見えている。花火が名実に「花」の美しさが感じられた。西日本最大級の規模、大輪の花を咲かせた。距離的に近い下関からの爆音、ヘリコプターの飛行音が加わって調和しているように感じた。李氏一声曰く、釜山の花火より粗末だねと。花の美しさは日本文化の特徴であろう。ただ閃光と爆音だけだと戦場に似て怖くなる。


光復節

2016年08月13日 06時28分15秒 | 旅行

 オリンピックが連日画面や紙面を占めている。メダリストの嬉面と感想の言葉が名言、金言のように伝わっている。中にも銀メダルのベルニャエフ選手(ウクライナ)と銅メダルのウィットロック選手(イギリス)が金メダルの内村航平選手に尊敬しアイドルだという発言が耳に残った。過烈な競争についての否定的な批判があるにしても、私は戦って、抱き合うことが多い場面をみてその意義を十分納得する。戦って和解する、競争しながら協力することができるというメッセージは大きい。喧嘩より和解が難しい。前者は感情的に怒り、起こりうるが和解は我慢と沈黙からできるものである。

 連載のエッセーが掲載された東洋経済日報の光復節特集号(8.12)が届いた。「8月になると」という題で日韓の反省を迫ってみた。日本は明治以降3回も大きい戦争、そして植民地などで支配した。韓国は大きい被害を受けている。そして世界で一番反日の強い国であると指摘した。日本の反省と韓国の和解を求めた。しかし和解という言葉は理解し難い。「和解のために」を書いた朴裕河氏が非難され、裁判を受けている。法治ではない法が怖い国である。刑務所歴が政治力につながり、私は韓国の大統領による光復節の大量恩赦を歓迎しながら日本の天皇より王政に類似していると感じる。

 *写真は冥界婚とエッセーが載った新聞


公開講座

2016年08月12日 05時51分06秒 | 旅行

 猛暑の中、帰宅して、まず出会った方々への一報をしようとすると、すでに写真や拙著へのコメントなどが届き、先取りされたようでも感謝である。高麗大の宋先生から韓国語の拙著『植民地歴史を正しく見る』(民俗苑)に日本研究者として反日感情への壁を同感するという感想を送ってくれた。日韓関係が研究者にも影響するということである。猛暑は猛熱、、花に一日水を3回やり、研究室に寄って観葉植物のパキラなどに水をやった。猛暑の中、気になることは校舎の軒下の観音竹である。大学がお盆休みで閉まっている間、誰が水をあげるのか心配で、とりあえず水をやり、さらにバケッツに水を入れて横に置いて来た。誰かが鉢に水をやったくれるようにしておいた。

 同僚たちに帰国とカンボジア会議の報告、二学期からはじまるワンアジア財団の公開講座の準備の打ち合わせをした。全学レベルでの講義に他大学、市民が参加する公開講座であるが、その受講生を確保することが問題である。今度のカンボジアの会議での報告によると一橋大学では希望者が多く、テストを行い、選抜した例もあったが、ここでは難しい。学内外の在学生と一般市民、スカイプによる討論などの特徴ある講義を提供することとなる。講義は注入式ではない、対話式を試み授業法の改善にも貢献したいという願いがある。その内容を報告書として残す。市民の参加登録を待っている。

 *写真はプノンペン市内の国立博物館で現場教育をしている高校生たち

 


植民地のレガシー

2016年08月11日 05時51分02秒 | 日記

 今まで東南アジアには逆季節に旅行したが、この度は真夏の旅であった。西日本の猛暑は雨季のカンボジアより暑い。ワンアジア財団の国際学会で数百人との出会い、100人ほどと話したり名刺の交換をしたりし、学会終了後は20人規模のプノンペン市内観光、10人規模のアンコールワット見学して深夜便で仁川空港へ、最後に数人の同行者と別れの挨拶で、乗り換え帰宅、全過程が終わった。このハードスケージュルをこなしたことに自ら万歳をしたくなった。ホームカミング、留守中に面倒を見てもらったベランダなどの鉢の葉は日焼けしながら、それでも伸びていた。中には古木から芽がでた棗が多く実っている。今日は山の日、連休中、お盆へと続く。
 国際会議に招待してくれたことに感謝したい。佐藤洋治理事長とは数回記念写真を撮りながら互いに苦労話を交わしたのは印象的であり、今も心に残る。彼はただのスポンサーではなく、アジア共同体への希望と信念をもって実行するリーダーである。彼のスピーチからそれを十分キャッチすることができた。私は国際会議に出ること以外にフランス植民地のレガシーを調査した。このカンボジアの学会の参加者にフランス植民地に関して話掛けても積極的な反応はなかった。二人ともガイドさんはフランスは侵略や強制支配ではなかったので怨念はないという。それより解放後の政権の悪政が話題になる。したがって刑罰と殺害の博物館と現場を展示するのが主になっている。それを観光化している。多くの国の自国の恥を言わず外国の侵略と植民地を以てナショナリズムを観光化しているのとは非常に異なる。ここにカンボジアの希望が見えてくる。これから発展するだろう。


世界遺産アンコールワット

2016年08月10日 07時40分28秒 | 旅行
私が昔東南アジアなどに調査旅行したときは外国人は少なく、今から考えると先導的また独占的な感があった。しかし今は中国人や韓国人の観光客が溢れる中、後からついて歩くようで存在感が薄くなったように思われる。もっと時代を遡ると旅行はより特殊な職種の人のものであった。昔日本製の物を持って行けば珍しく視線を惹いたが今は相手国が先に進んでいるようであり、珍しいものが少なく、土産を買うのに難しさを感ずる。旅行客の中にいる時はまずカメラ、それも自撮のものが目立ち、迷惑になっている。観光という暴力さえ感ずるときもある。世界文化遺産のカンボジアのアンコールワットには人が溢れており、損傷が大きく深い傷が目立つ。柱の下の部分が壊れたところが多く遺産管理の赤信号が出ているのに最尖塔まで登るに人波が並んでいる。ある日本語ガイドは1630年に日本人が書いた落書きを見せてくれた。なぜ世界遺産と登録するか、希望するか。文化政策の検討が必要である。
 アンコールワットで保存の放置歴史は空心樹という木によって刻まれている。放置されたレンガの上その木の根が嵌って成長している。その歴史は数百年を遡っている。私には遺跡より木の根の歴史に気が奪われるような気分であった。確にか熱帯の日差しは強く、一生最多量の汗を流したであろう。「その木何の木」のCMより印象的な木である。早速検索してみたらやはり神秘的であった。深夜の飛行機で仁川空港に着き、想いがいろいろで考えを整理している。やはり日本も暑い。下関駅では市の国際課長、高野係長、釜山市の交換職員が迎えにくれ、「カンボジアからお帰り」の挨拶された。偶然の出会いであったが私への情報が伝わったのである。 

民俗村

2016年08月09日 06時37分30秒 | 旅行
朝食を早く済ませてプノンペン空港から北へ、移動車での臨席は13歳の女子中学生。父は韓国人、母は現地カンボジア人で韓国のパスポートを持ってプライドを持って英語で自己紹介、短い国際的時間であった。飛行時間45分アンコール・ワットに着き、迎えに来た運転手とは通じる言葉が無い。プノンペンより直線道路が広々して閑散なそして落ち着いているような感じである。青空は高く秋の感もする。日本の猛暑が過ぎた気分である。ホテルでもなかなか言葉が通じにくく、ようやくカンボジア華僑のガイドが現れ、重訳の形で歩くことになった。昼食会にはニューフェイスが含まれ一行は13人、大連理工大学の遅国泰教授など自己紹介の時間であった。日本語、中国語、英語となった。
 この地域の習慣の昼休息時間を挟んでカンボジアカルチャーヴィレッジへ向かった。観光用のテーマパークである。少数民族の民俗を館内の展示しているが粗末な感があるが、公演は自由に見てよい。クメール族の伝統的な結婚式、コーウーラ民族の孔雀の踊り、クーロン村の新郎選びのコミックな寸劇を見た。毎回同じ俳優が扮装を変えて登場していて、必ず観衆から一人を選んで登場させる。その観衆を見て探すとき観衆は自分が選ばれるのではないかと一瞬緊張する。各自俳優性を思考するのかもしれない。新郎に選ばれた人は半裸に着替えて登場して共に踊るなど楽しい公演である。
 ヴィレッジの構内には大型バイキングがあって、それぞれの民族フードが提供される。クメール族のパンケーキをトライしたが香りが強い野菜には不慣れ、異様感があった。教育されず、知識も無い人も味はよく知っているが、それは生理的であるだけではない。実は文化的な背景を持つことがわかる。カレーはインドを中心とした文化、それが世界化されている。コーヒーの香りと苦さは普遍化するには難しいはずであるが、世界化されているのはなぜだろう。私は最初にコーヒーを味わって苦いもの=漢方薬と抵抗が強かったが今はなれている。西洋への文化意識によるものである。コーヒー文化が原産地などで生活化され、その文化の基礎のないところに流れるためには味、香りなどの普遍性が必要であるが、文化意識が背景にならなければならない。香菜の普及には文化意識が変わらなければならない。
 最後のコースは夜市場night marketでは安い物が人気、私は研究者と会話の時間であった。参加者の中国人から見る韓国人の誇示性の強さが嫌な感、カンボジア人の純粋さに魅力を感じているといった。売店で本1冊を購入したが後に値段が間違っていたということで返金してくれた。正直な国民性がうかがえる。同行の一人は息子がベトナムに住んでいるので東南アジアへ関心が高くなったとも言っていた。

夜景は綺麗

2016年08月08日 05時48分36秒 | 旅行
朝早く貸し切りのマイクロバスが来たのを見て失望した。19人乗りとして小さい。さらにガイドは初歩の韓国語、観光や調査に不十分な予感がした。簡単な話はできても説明は解らないので調査の基本条件が満たされない。補助席も使い昼の暑さには冷房量も間に合わず大変な日程であった。それでも案内者にカンボジアの事情を聞くこととした。フランス植民地は強制されて行われたことではないので反感はない。日本の侵略に対しても悪い感情は強くない。それより悪かったポルポト政権があったからである。韓国より日本が経済的に優位とは思われるが彼は韓国が好きであると言う。東南アジアで韓国が日本より好きであると言う話を初めて聞いた。車はトヨタであり、人は韓国人との関係が多く、深いという。
 観光一番とされている王宮に行ったがどこも冷房のついているところがない。金色塔や飾り以外には日本では基礎工事で使うようなペイントが塗られており、古いもの、本物の確認ができないものが多い。靴を脱いで入る所もあり修業に来た感もあった。フランス植民地遺産の建物もほぼそのようにペイントされていてわかりにくく混在している。昼は現地食を避ける希望から韓国食堂の「崔固執」でカルビ湯を食べた。
 プノンペンでははキリンフィールドkilling fieldは必見、暑さと残虐さに憂鬱になった。ダークツーリズムの典型である。イャーフォンで日本語の説明を聞いた。残虐を観光化している。そこからマーケットへ、薄い屋根の下に店舗がコンパクットにたくさん並んでいるところに入ってしまって窒息するような感じであり、冷房のあるカフェに入った。マンゴジュース、それがお腹を悪くしたようであった。夜にはタクシーでイオンモールへ、夜は汚い道路辺が見えなく、夜景は美しい。夕食はカンボジアの米粉麺が美味しかった。帰りはソウルの慶熙大学の李チャンシュ教授夫婦と4人乗りのツックツックTuktukに乗った。安い乗り物ではあるが日本の人力車に乗った高級感もあった。ゴミなど俗なものが見えない夜はきれいだった。

言葉の越境

2016年08月07日 06時50分29秒 | 旅行
昨日ワンアジア財団主宰の学会はインターコンチネンタルホテルの大型ボールルームで現地時間9時から始まった。同時通訳のイヤーフォンがテーブル上に置かれていた。普段は使われないもの、アジアの越境の第一難関、象徴的なものである。難聴の私はもう一つの難関、韓国語、日本語、英語は素聞き出きるが中国語とロシア語には使わざるを得なかった。日本語や韓国語の通訳では理解しにくく、英語で聞いた。アジアの言葉の越境にまだまだ壁は厚い。ある程度言葉の越境が可能になったとしても言葉の中身がより大きい問題であろうと感じた。
 佐藤理事長のキーノートスピーチでは教育、特に高等教育に関するものが強調された。45カ国の400大学に講座開設の支援を行っており、それを私も10月から始めるので参考にしようと思い聞いていた。実行の報告があった。一ツ橋大学は伝統音楽や伝染病の越境をテーマにしたのが参考になると思った。特に報告者の李研淑教授は十数年前研究会を一緒にしたことがある方で本当に久しぶりに嬉しく再会した。
 午後は三つのセクションに分かれて行い、私は芸術、メディアの班に参加した。小さいルームにも同時通訳の音がうるさかったが日本語と韓国語、英語が中心であって言葉の問題は小さくなるにつれて中身が気になった。ただインターネット上の整理のような内容が多く、半分失望している中に美意識の構築への比較、戦争映像の話は面白かった。質疑のとき、すでに発表者が不在であったが私はコメントに立った。美と醜の文化の日韓比較とは普遍的な問題定義にもなりそうであるからピアノと琴の比較などへの比較が可能かに疑問を投げた。大規模の大会は必ず盛り上げが必要である。やはり最後は国毎の参加者による歌舞でフィナレ、全日程が終わり、宿泊しているホテルに戻ったのは夜九時だった。しかし私の仕事の本業は今日からである。フランス植民地、日本の占領に関する調査である。朝早くから出発、空は曇っている。

ワンアジア大会オープニング

2016年08月06日 07時31分30秒 | 旅行
 日本は猛暑中、それを超えるかと心配してくれた人がいたがここプノンペンは雨季であり夜冷房無しであり、避暑に来ているような感じである。時差マイナス2時間、深夜に到着、チェックインに私の名前探しにも時間がかかり、ホテルでは部屋のトイレのドアが開かず、修理の人がいろいろやったがだめで、蹴って開けるハプニングがあった。タクシーで国立博物館に寄った。運転さんMr.Vandethはカンボジア人の青年26歳、英語が流暢である。全館冷房なしの施設、半野外展示のようでありオーディオ英語説明で観覧した。螺鈿工、彫刻、織物が主で主に芸術を強調するような展示である。
 世界的にダークツーリズムの国として有名な国でもあるのでポルポト政権時代の残虐の展示をするトウーレン・スレン博物館にも寄った。残虐極まる拷問、殺害の現場の遺跡である。19世紀半ばからフランス植民地より解放され、強く残る自国、自民族への残虐をどう国民は見てきたのだろうか。私はフランス植民地遺産の建物を尋ねながら探したがほぼ見ることができなかった。
 午後プノンペンホテルロビーには韓国や中国などから大勢の学者と研究者、その家族などで溢れていた。数台のバスにのりインターコンチネンタルホテルへ、さらに溢れる参加者の中、多くの人との名刺を交換しながら回った。私の名前を知っている人が多く、驚きながら話し、2時間過ぎ会場で理事長の佐藤洋治氏、中川議員など有名人などと挨拶、記念写真を次々と、現地時間6時から560人参加の会議が始まった。登壇した6人のスピーチ、発表はアジア共同体は難しいが努力するなど、ご挨拶のような内容が主であったが、理事長の話がもっとも研究者的であり信念を持って準備された内容であり私は感銘を受けた。それについては後に録取されものを紹介するつもりである。

不安と期待感のある旅

2016年08月05日 03時36分07秒 | 旅行
韓国仁川空港では大勢の人が往来している。私より年上のような人は一人もないようである。多くの知り合いが集まった。やはり若い学者であった。私の年齢で参加することが照れくさくも感じた。高齢者は旅行も控え、仕事もしないのではないだろうか。高齢者は見えない所にいるのか、去って行ったのか。ある人は私をまだ生きているのかと冗談を言った。カンボジアでの学会参加者は韓国からだけで100余人であるということで今度の会議がいかに大きいか想像できる。待合の時間が5時間あっても忙しく、くたびれてしまった。誰も会議の規模や内容については知らない。私は会議と同時にフランス植民地の遺産処理過程を調査することにしている。100年以上の長い植民地がカンボジア社会をどう変化させたのか、あるいは戦後の独裁政権がなぜ世界で一番貧困国家を作ったのかを知りたい。
 飛行機の隣席にはアメリカからカンボジアへ友達に会いに行く、テキサスの女子大学生Lydia Abigart氏と談笑。機内では数回機体が揺れてサービス中止になった。しかし私はそのようなことは気にするはずもなく、コンピューターを開いてこの文章を書いている。下関から博多へ、福岡空港から仁川へ、そして夜の7時半発5時間弱の飛行時間でプノンペンに着く。日本時間で深夜の2-3時ころには着くだろう。その先は具体的に何をどうするのか、どんな人に逢えるのか不安と期待感がある。
写真は仁川空港で

「戦争と難民」が報道された

2016年08月04日 06時01分20秒 | 旅行
今学期も終わり、川村博忠先生が私の弁当も買って来られて一緒に食べながら話をした。二人の話はtysのアサコ氏が指摘したように老人癖の「長く、繰り返し、自慢話」である。楽しい時間であった。彼は奥さんを介護する生活を長くしている。夫が妻を介護する苦労話は愛情物語りであり、妻が夫を介護するのとは異なり異様な感がする。しかし高齢化時代にその例は少なくない。先日鑑賞した映画「八重子のハミング」を勧めた。ぜひ見たいという。彼は大学者、私は彼の専門の地理学に大きい質問を投げかけた。グーグル衛生から地球を見ること、GPSで位置、距離などが分かる時代に地図、地理学はまだ有用な点は何だろうか。公開講座ではそのような点を含めて議論したい。
 今日カンボジアへ発つ前連載の原稿「八月になると」を送って、先週の研究会「戦争と難民」が報道された。彼の記事は名文レポートである。
    
         「イスラム国」とテロの背景に迫る」「テロとゲリラの違いは何か 活発な論議」

「戦争と難民」をテーマにした研究会が七月三〇日、東亜大学東アジア文化研究所(所長・崔吉城教授)でおこなわれた【写真】。イラク戦争当時、クウェートで取材をした経験を持つ反田昌平氏(毎日新聞下関支局長)が講演したあと、活発な論議がかわされた。反田氏はとくに、米国同時多発テロ後のアフガンーイラク戦争、「アラブの春」、シリア内戦を通して、アフガニスタンのアルカイダが変貌し、イラク戦争後に台頭したザルカウイーなどのテロ組織が「イスラム国」(IS)につながっていく経緯を明らかにした。そのうえで、フセイン崩壊後のイラクで、ヨルダン人のザルカウィーが宗派閥対立をあおって斬首映像を流し無差別テロを呼びかけたり、元アルカイダ幹部のスーリーが「グマーバルなイスラム抵抗の呼びかけ」をネット上に公開、「今後は組織的、大規模な攻撃ではなく、つながりも組織も最小化して戦い続ける」と提唱したことを節目としてあげた。
 また、アメリカが〇七年、ザルカウイーに反発するスンニ派の諸部族・指導者をとり込む「覚醒評議会」を設立し、アメリカの資金と武器で軍事訓練を受けた民兵組織をマリキが雇用する関係ができたが、その失敗がその後のISにつなかっていると指摘した。オバマ政府が米軍撤退後のイラクを託したマリキが、「覚醒評議会」のメンバーに給与を払わず切り捨てたことから、このメンバーがイラク戦争の混乱に乗じたテロリストやフセイン政権元幹部らと合流していくことになった。
 反田氏は、「ネットが普及するなか、ISに感化され刺激を受ける若者も多い。ニースやバングラデシュなどテロ後に犯行声明を出したり、忠誠を誓っているケ
ースもあるが、それぞれが勝手にやっている側面もあり、ISなどの具体的な指示、命令系統はほとんど存在していないとみられている」とのべた。また、シリアから大量の難民が欧州(EU)に流れ込んでおり、「EUはトルコの合意にもとづいて一部の難民を受け入れることになっているが、足並みは揃っていない」と語った。
 コメンテーターの堀まどか・大阪市立大学准教授は、かつて土地を占領、願繭する帝国主義とたたかった中国や韓国から来る留学生か、ISのテロについては、「撲滅しなければならない」と語ることを紹介。「ゲリラやテロとの違い」やイギリスのEU離脱問題、さらには相模原での障害者施設での大量殺人、日本人の宗教観などと関連して、ISのテロをどう見るかと、問題を提起した。 
 崔吉城教授は、「植民地時代は伊藤博文を暗殺した安重根が英雄であった」のと比較して、今のテロが「一般民衆を窮迫している」ことに特徴があることを強調した。
  参加者からは、「帝国主義反対や社会主義をめさすというこれまでの運動からみて、訳が分からない事態になっている」などの意見が出され、無差別テロの思想について論議が発展した。「ISなどイスラム原理主義は、自分の権力を伸ばしたいために宗教を利用しているだけだ」という見方も共通して出された。
 崔吉城教授は、「アメリカには戦争は正義だと考える思想があるが、テロの問題になると戦争学者はお手上げの状況にある」と語った。また、アメリカの戦争がいつも「平和」という言葉を使ってやられることに対して、単に「平和を守る」という言葉だけでは無力であることも論議になった。
 反田氏はクウェートでの取材当時、「日本人か中国人かと聞かれて、日本人だといえば歓迎された。それは、‟あのアメリカと戦争をした”という勇敢さと、勤勉、礼儀正しい日本人と見られていたからだ」とのべた。また、安倍首相がイスラエルで援助発言をしたことを機に、ISにとらわれていた後藤さんが殺害されたことと関わって、そのような日本人への見方が崩れてきた結果、バングラデシュの日本人殺害にまで来ていることを明らかにした。
 研究会では、「第一次世界大戦後に領土を線引きしたイギリスの植民地化か失敗したが、アメリカのイスラエル建国もそうだった」との意見と関わって、中東のテロ問題一が欧米の植民地主義に起因していることについても活発に論議された。
 崔古城教授は相模原事件と関連して、若者が「むだな人間はいらない」というヒトラー的な平等や福祉を切り捨てる思想にひかれていることは、「人間的な教育を受けていない」ことの結果であり、教育者としての責任として受けとめる必要性を強調した。(長周新聞竹下一) 

遠慮と善意

2016年08月03日 05時10分52秒 | 日記
昨日公開講座のネット上の公開に伴う機械装置などを大型教室で設置してリハーサルを行った。大型テレビビュアがエレベーターに上手く入らず猛暑の中7階まで二人の教員がかついて運搬するなどハードな仕事であった。スカイプを通して中国の学生が映像に表れて対話ができるようになったので嬉しかった(写真)。講義中遠距離からも講義を聞いてコメントをする映像が映るようになる。10月に行う「東アジア共同体」の15回の全講義がネットを通して公開され、討論できるようになる。
 作業の後に茶話の放談があった。イソップ物語か聖書の例話のような話もあった。一人は自己主張がやや強い。もう一人は遠慮深い。積極的な人の話に耳を傾けやすい。しかし消極的で遠慮深い人へ気を使う人も多い。それが日本人の良識である。世の中には人の遠慮や善意を利用したり無視したりする人が多い。私は遠慮する人が損しないように配慮するようにしている。