TPP参加をめぐって多くの議論が行われた。その過程でよくつかわれる言葉や概念は「国益」national interestであった。人類と世界の平和を叫んだ人も国益を優先することには反対する人は少ないだろう。一昔前までの「愛国」という言葉の代わりの「国益」であろう。愛国や国益のためといえば全ての倫理を越えて通じると言える。アメリカが中華民国(台湾)との関係を切って中華人民共和国(中国)と国交正常化へ、後に日本、韓国もそのようにした時、私は普通の人間関係でも裏切りという非倫理的なことが国益を最高値において国際関係では平気で出来る、その国際政治に多いに失望したことを覚えている。
今韓国人が対馬の文化財を盗んで韓国に持って行き、「韓国製だから」と云々弁明しているのは恥ずかしい。将来メードインジャパン、メードインコリアの商品はどうなるだろう。幼稚な知識さえ国家の名前を借りて正当化しようとする。それだけではない。国交正常化のために北朝鮮へ行って首脳会談をして戻って「拉致国家」云々といいながら敵対しても国民は異様なことに気がつかない。国家には倫理より国益が優先されているからであろう。国益の拡散のために、世界化、国際化は飾り言葉にすぎない。国益のために盗んでも、戦争をしても、正当化された、そんな歴史は単なる過去の古い歴史ではない。いま生き続けていることを認識すべきである。
今韓国人が対馬の文化財を盗んで韓国に持って行き、「韓国製だから」と云々弁明しているのは恥ずかしい。将来メードインジャパン、メードインコリアの商品はどうなるだろう。幼稚な知識さえ国家の名前を借りて正当化しようとする。それだけではない。国交正常化のために北朝鮮へ行って首脳会談をして戻って「拉致国家」云々といいながら敵対しても国民は異様なことに気がつかない。国家には倫理より国益が優先されているからであろう。国益の拡散のために、世界化、国際化は飾り言葉にすぎない。国益のために盗んでも、戦争をしても、正当化された、そんな歴史は単なる過去の古い歴史ではない。いま生き続けていることを認識すべきである。