崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

歴史直視?、親日?

2011年02月14日 01時38分23秒 | エッセイ
 今度の台湾訪問の主目的は1930年代の映像に映っている通りを歩き、台湾博物館(現在の国立台湾博物館)の児玉及び後藤記念館を観覧することである。その私の趣旨に乗ってくれた西田氏ら一行4人が同行し案内してくれた。まず一行に古い映像を見せて私の行きたい所を示した。電車に乗って近い駅に下車し、椰子の木、カジマル樹などの並木の下を歩き、日本統治期の台湾帝国大学附属病院、東大門、後藤が泊まったという官舎、台湾放送局、「国父(孫文)史蹟館」などを見て回った。寒くも暑くもない、気持ち良い散歩も言える。歩道には段差を無くしているところが多く、社会福祉にも配慮があると感じた。しかし歩道が駐輪場のようにオートバイなどを多くおいてあり邪魔になっている。これは伝統的な建築様式ともみえるが、直すべきであろう。大陸の中国が自転車から車へ変わったが台湾はオートバイと車が混在しており、オートバイの群れの走るのが壮観で印象的である。まだ人より車優先の社会、これから変わるであろう。
 国立台湾博物館に入場した。この博物館は1915年「児玉及び後藤記念館」として建てられて台湾総督府に渡され「台湾博物館」となったものである。自然史、歴史、少数民族、稲作、そして狭い空間ではあるが、「児玉・後藤銅像陳列室」がある。戦後二人の銅像を地下に放置したものを2008年に博物館三階にコーナーを設けて展示するようになった。説明は漢字ではなく、英語と日本語になっているのを見ると日本人向けの観光用の感はあるが、国立博物館が植民地時代の支配者の日本人no銅像を展示しているということは、東アジアでは初めてであり、歴史を直視することなのか、ただ商業的なことであるか、親日的だろうか。(台湾博物館を背景に、後列西田、前列右端から金田、李、金田夫人)
 日曜日の市場は活気がなく、客は少なく店主たちが食べている。美味しい果物はマンゴだというが、季節ではないので見当たらない。小さいリンゴのような棗を勧められたので買って、芸術館のコーヒーショップで味わいながら西田、金田夫婦、李さんらと放談した。一人でホテルに帰り途中に英語書店があって、『日本植民地下の台湾(Taiwan under Japanese Colonial Rule)』を購入して夢中になって読み始めた。

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2010台北国際花卉博覧会

2011年02月13日 06時25分13秒 | エッセイ
 昨日台北に到着した。空港には三人の方が迎えに来てくれた。中に一人の女性は十年ほど前に神戸で日本語の塾の先生としていて李良姫に日本語を教えた方で、李さんをつれて広島の私の研究室まで来られたことがある方である。三人の案内で心強くホテルに着き、楽しい時間を持った。出発の時の日本の寒さはここでも寒いとは言うが15,6度くらいである。観光に来ているわけではないが、「2010台北国際花卉博覧会」を見なくてはならない。曇ったり雨が降ったりする中,一人で3時間ほど歩き、ほぼ全館を見たが最後のエコ関係の所ではぎりぎりまで待っていたが、ホテルで約束時間のために諦めなければならなかった。
 入り口からの全景が赤い花で圧倒される。この寒い冬で、美しい花の世界が展開される。花の香のなかに、花から香水などを取る香料展示館も印象的であり、花を主題とする音楽では日本の沖縄風の「花」に拍手を送った。土曜日の午後でどこでも人が溢れていた。花博覧とはいっても花は背景に過ぎないような印象である。花を背景に写真を撮る人が多く、花が主であるという観察する人は少ない。花を群れにしているので花カーペットともいえるほどである。上海庭園だけが小規模なものがあり、生け花とか花が主となるところを探したが見当たらなかった。花も多く集めておき、長く咲いていると美しさが感じにくくなる。「美観から壮観に」変心した。静宜大学の張修慎教授に台湾料理をご馳走になり、満腹した。花の美観から料理の味覚へ幸せな時間であった。(写真は赤いサルビアの花)
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春蘭満開

2011年02月12日 03時58分38秒 | エッセイ
 春蘭が満開して香を放っている。西洋蘭のように華麗な花ではなく、花の色も葉の色と似ていて区別もつきにくい。しかし古くから愛用された花である。東洋絵の初歩者は蘭を描くという。特に梅、蘭、菊、竹を四君子といい、格調高い観賞用の植物とされている。株が増えて知人に分けてあげたが花が咲いたという話は戻ってこない。おそらく枯らしたであろう。蘭は観賞用植物といっても野性が強く、雑草の習性をもっている。過保護はいけない。専門の花屋ではない趣味の方はその辺にただ置くだけでよいというか、気が付いたとき水をやればよい。ただ暑さと寒さを避ける。特に炎暑には直射日光を避け日陰に置くことを要す。そうするといつか地味な花が咲いて素晴らしい香を放って、長い間感動を与えてくれる。
 春蘭から教育や人間関係へのメッセージは大きい。放置でも、過保護でもなく、気配りをすることで人はよく育つということである。子供を持つ親にはスカートの風のような母親にはならないこと、しかし無関心ではないことが大事であろう。自然に育てるルソーの教育観ともいえる。親が子供を自分の作品のように「…選手」を作るのが良い教育とはいえない。蘭を好んだ先人の心にも感動する。
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マニフェスト

2011年02月11日 06時46分28秒 | エッセイ
 国会中継などで常に野党が与党の民主党を批判するのがマニフェストである。つまり選挙前のマニフェストの通りではないと言う。国民に対する選挙の時の約束を守っていないという非難である。政治政党の戦略に過ぎないと聞き流していたが、政権を委託する一人の国民として選挙においてマニフェストの意味を考えなければならないと思うようになった。
 選挙とは基本的に一人の国民がある特定の人物を信頼して投票するところから成り立つものである。そこでマニフェストはどのようなものであろうか。判断する一つの参考資料にすぎない。極端にいってある無名の人がマニフェストが素晴らしいものであるかとして当選するわけではない。われわれは常に人との人間関係で人を択びながら信頼し、裏切られるなど経験している。結婚など総合的に判断して伴侶を決める。その人間を見る目が必要である。選挙も同様である。人気投票のように軽い気持ちで投票しては自分の人生を誤る。
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「修理」は手術のように

2011年02月10日 05時58分46秒 | エッセイ
愛用したパナソニック・コンピューターの液晶画面が真っ暗になり、寿命だと思って放棄して使えなくなり残念だと思い、韓国からサンスンの製品を購入して来た。たが、情報を多く入れており、使いなれた物に愛着があり、昨日修理センターの方に来ていただき、朝9時から12時過ぎまで修理し、新しく組み立てて新品のように直った。費用が気になったが保障期間内だったので無償であること、本当に嬉しかった。
 私は長い時間彼が修理する場面を観察した。特に彼の指先と顔の表情を見つめた。螺旋回しだけで、電動は一切使わない。はずされたねじと部品が100個近い。それらを群れごとに羅列しておき、新製品をはめて逆順で締めていく。古い点着テープや保温液体を塗りながら丁寧に組み立てる。大病患者の手術のように見ていた。韓国のサンスンとはどのような違いがあるかと余計な質問もした。彼は機械的な差よりはゴミなどが入らないように、また保温処理などで「日本製が丈夫である」といった。手作業の多いコンピューターでは特に丁寧な工程で作られる点で日本人という言うか、日本文化の真面目さ、強さを見せていただいた。
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日本人の韓国文化体験

2011年02月09日 05時36分28秒 | エッセイ
韓国のホテルで人を待っている間に多くの人が新年の挨拶を交わしていた。もう一回新年を迎える雰囲気であった。ホテルのバイキングは新年会のグループ、主に女性で混みあっていて、話すのが難しいほどであった。一泊の韓国出張でも韓国外大の中村八重とは市内を歩き、韓国海外僑胞問題研究所に寄り、朝食から昼食まで長く話をした。彼女がスウェーデンのストックホルムに調査に行ったときの写真を見ながら研究の方向に関しても論じた。出版社からはエッセイ集を書いてほしいとか、対談集などの計画の要請も受けて忙しくとも嬉しく賛同した。
 帰国の出発時間を間違えて空港に着いたときは早すぎであった。仁川空港では王朝時代の行列や音楽の公演と観客を交えて韓国の楽器体験時間もあった。いたるところに新しく、アイデアの富んだものがあるという印象を受けた。日本人の観光客は韓国文化を体験しようとしている。韓国人も日本文化への関心が高くなっていると感ずる。また、以前のように政治的対話も少なくなった気がする。政治には大統領を批判する人はあっても政論のような話は非常に少なくなった。昔のように民主化へ熱を上げて話す人は一人もいなかった。情報の多様化、民主化の定着であると判断するのはまだ早いのだろう。
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ソウルへ行く道は遠かった

2011年02月08日 06時43分38秒 | エッセイ
 昨日韓国ソウルへ来た。私が1969年から1972年まで3年間勤務した国立民俗博物館の招待で「韓国シャーマニズム特別展諮問会議」に参加するために来ている。午後2時からの会議に間に合わせるために朝早く家を出て、福岡空港に着いて手続きも終えたが、仁川空港が霧のために大幅に遅れるという。定刻に出発してもぎりぎりであるのに遅れるということで不安になった。他のルーツ、釜山経由などを考え、KAL職員と相談したがほかに方法がないといわれた。時間に間に合わせようとしても不可であり、韓国の博物館担当者に放棄する意思を伝えた。が遅くても来て欲しいといわれた。飛行機は2時間以上遅れて12時50分に出発した。見下ろせる朝鮮半島は雪を被って東洋画のようにきれい。座席は飛行機の後ろで早く降りるのが難しい。その旨乗務員に相談したら親切にも前の方へ移動させてくれた。一番早く出て出版社洪鐘和社長の車で会議室に1時間15分送れて入った。それからも2時間以上会議をした。後に韓国レストランで歓迎会を受けて、ソウルのど真ん中のホテルの広い部屋で5人のお客さんと12時まで談笑をした。就寝時間も平常より2時間遅れることになった。大変な一日であった。今日は帰国する。
 私は「やった」と叫びたいほど懐かしく、嬉しかった。40年余前に勤務したとき、現地調査ばかりして評判が悪かったのではないかと推測しており、その後一度位顔を出したことがあるが呼ばれたことはなかった。昨日その古い職場から正式に招待されたのは初めてである。私が勤務した機関ではあるが人と場所などは変わっている。しかし歴代館長の写真はほぼ全部親しく知っているである。今度の特別展は同館の梁研究官の企画で11月にオープンする予定である。そのとき私も参加するつもりである。前回全羅道の私の現地調査から呼ばれて講演したことと元職場に呼ばれたことは私を良く評価してくださったことと感謝している
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北京からの通信

2011年02月07日 05時13分30秒 | エッセイ
 中国国際放送局(北京放送)の大野清司氏から春節の挨拶メールが届いた。私は彼が日本のTBSテレビで「文化遺産」などくつかの製作に「考証」などで知り合った。一昨年私が韓国のシャーマン儀礼に参加したとき彼は北京からきてそこで会って楽しい時間をすごした。彼の現職は1941年に毛沢東が日本軍の兵士向けに反戦を訴えて始まった北京ラジオ放送 CRI(China Interenational Broadcating Network)である。私は北京に訪ねてみようと約束したが私の都合でまだ実現されていない。今年はぜひ行ってみたい。以下彼のメールである。

 職場が日本向けの放送局で日本の正月に合わせて正月番組の制作などしたのでこちらに来てほとんど初めてせわしない気分の年末とほっとした正月というのを味わいました。そして、今週は春節。中国全土が1週間の休みです。私の職場も先週末から実質的に春節モードで地方出身者は徐々に帰省しオフィスもがらんとしていました。そして2月2日は大晦日。相変わらず町中が爆竹と花火で騒然とする中で新年を迎えました。この日の花火は何度見ても興奮します。私が今、勤務している中国国際放送(CRI)は、もともと外国向けのラジオ局ですが今年はこちらでネット放送の免許を得てCIBNというネット放送局を立ち上げました。
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「狭き門」

2011年02月06日 06時13分54秒 | エッセイ
 クリスチャンは少ない。またキリスト教的な生き方をする人は少ないと思う。その少ない信者の生き方をアンドレ・ジイドの小説「狭き門」(山内義雄訳)を考えるために読んでいる。昔読んで感動したがどの部分だったか探し読みになっている。「わたしたちは、幸福になるために生まれてきたのではないんですわ」「主よ、あなたが示したもうたその路は狭いのです――二人ならんでは通れないほど狭いのです」などのところであろう。この世の義、神の義をもって生きる人は「狭き門」で辛いものがある。清教徒の道は険しいものであった。
 私が若いとき厳しく生きうることの辛さのために相談したキリスト教会の指導者に聖書を引用しながら「狭き道」を歩きたいといったらその人は意外にそれを理解せず孔子の「君子大道」で返ってきたので失望した。エピソードがある。ある人が教会の牧師に相談したら有名な宗教学者を紹介してくれたので相談に行ったらその教会の牧師に聞きなさいといわれたという(不正確かも)。誰に聞いても正確な答えはでない。自分で深く考えるべきであろう。ただ辛さを自ら作るのではなく、義の道を貫くために辛さが伴うのであろう。それが狭き道であり、狭き門である。
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ネットと民主化

2011年02月05日 06時33分52秒 | エッセイ
 「毎日新聞」(2011,2,4)“ネットで「愛国心」暴走”で中国のネットから「反日デモで小日本と叫べるが、本当は共産党打倒と声を出したい。難しいけどね。チュニジアで革命が起きたね。ある日、中国でも発生するかもしれない。独裁政権は永遠には続かないさ」と書かれている。北アフリカで民主化の突風が発生したのは意外なことであり、それが偏西風のように東へ吹いているようである。昔ソ連が怖い存在であったが崩壊して世界が大部変わったが、中国はカメレオンのように色を変えながら維持している。調査地として行ってみてもロシアは民主化されているが中国はされていないことを強く感る。私は体験した韓国の民主化をモデルにして見ている。エジプトの民主化は政治政党主導のデモではない点に拍手を送りたい。中国は共産党が独裁して個人が独裁しているのではないから民主化は難しい。日本の自民党も同様、党内で総理が変わるのが政権交代と錯覚させ、長期執権したのである。「偽民主義国家」を含めて本当の民主化はまだまだ程遠い。
 私が日本に留学した時一番初めに会った方が池明観氏であった。彼から聞いた日本文化論のような話は忘れない。彼は後に公に知られたT・K生の『韓国からの通信』(1973ー88)の筆者であった。当時、留学生たちは韓国の民主化へ強い関心を持った。「通信」は,韓国反体制派の発言,地下文献,うわさなどを,T・K生が自分なりのコメントをつけながら紹介したものである。朴政権を「倒すべき悪」とした。金大中拉致事件、朴大統領の夫人暗殺事件など大きいニュースが伝わった。民主化の道は長く険しいものであった。今、民主化の風は偏西風のように東へ吹いている。民主化の噴火も必要である。人が尊重される時代を望んでいる。
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八百長

2011年02月04日 05時44分26秒 | エッセイ
日本文化の象徴的な国技の大相撲で八百長が問題になっている。伝統的な綱引きや相撲は単純な、審判などもいなくてもよいほど勝負が決まるので好まれているといえる。二つとも神事行事として豊作を祈るものであった。二つに分かれて勝負を争うが勝敗は二の次のような行事であった。綱引きでは男女に分かれて女性チームが勝ったら豊作といって男性側が負けてあげるのが普通である。
 相撲が祭りからスポーツへ、国技へと変わってきた。それが勝敗が予め決まっている神事行事へ返還したようである。しかしこのたびの八百長はお金が絡んだ不正事件である。テレビが一般的に普及していない時代の韓国でレスリングが超人気があった。しかしそれがショーであるといわれて人気が下落して今もショーの一つに過ぎないので当時の人気を回復していない。
 日本では会議などの準備などを徹底していると言える。他の国より早くから準備に入り打ち合わせなどが繰り返し行われる。それに比して韓国人や中国人に対して日本人は「突然」「唐突」と非難する。日本で準備を徹底するのはよい。しかし根回しなどで中心メンバーが意見や勝負をきめてするので会議自体は祭り風になっているのは問題である。マスコミも同様であると考える。ただお金の不正がなければ予め勝敗を決めるのは日本式であるのかもしれないとも思える。これをもって日本全体が公正、公平とは何かを反省すべきであろう。
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今日は旧正

2011年02月03日 06時31分31秒 | エッセイ
 日本と韓国の全く異なる文化の象徴的なカレンダーの「正月」、今日は韓国の陰暦の正月「旧正」である。韓国は正月という点からは中国文化圏である。3日間の公休日であるが、会社によっては9日間も休めるという。民族最大の伝統的な年中行事である。昨日韓国人から旧正月の挨拶の電話が来た。日本では「犬の正月」(개 보름 쇠듯한다という諺)のような雰囲気であると冗談が出た。しかし日本に住んでいる今は、ただ昔の韓国での正月民俗を思い出すだけであった。
 その時点で宅急便でお土産が届いた。韓国の啓明大学時代の70年代の教え子からのものであった。めっだに口にすることのない高級な肉と栗饅頭である。姉からエゴマ油と塩で味付けして捲いて送られてきた海苔と一緒に食べた。日本では我家が最高の正月のおせち料理を食べる気持ちである。
 東アジア共同体を作っていくなら共通な文化は何だろう。伝統的には仏教や儒教などがあったが近代化によって世界化は進行してもキリスト教やナショナリズムによってより異化していった。共通文化とは若者文化が中心であろう。しかしそれは世界的なものであり、日韓だけのものとはいえない。今後はナショナリズムから国際化へ、グローバリズムへ跳躍していく時代になっていくだろう。
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「温」と「寒」

2011年02月02日 06時30分04秒 | エッセイ
「温暖化」という言葉は消えたようである。日本は寒さより暑さに対する工夫をしているが、今日本でも大雪と寒波のためか寒さに苦労している。太陽エネルギーに感謝すべきである。私は地球が熱と光を失うのではないかと不安を持っている。太陽だけではなく地球自身も熱や力を持っていることにも感謝すべきである。しかし地震、火山などは怖い。昨日の朝、新燃岳が噴火した映像が映ってきた(写真は読売新聞)。白い煙が立ち上っているのがわかる。この爆発で溶岩ドームが直径およそ600メートルにもなったという。その空振で霧島市内では300枚を超える窓ガラスが割れ、けが人も出た。
 日本では温泉が多く、楽しい温泉文化がある。しかしそれは爆発の潜在性を忘れてはいけない。イタリアのボンベイで歴史的悲惨な状況を見たことがある。火山灰に覆われて生物が剥製状態で全滅した。温泉文化とセックス文化の都市が一遍に全滅したことに倫理的に神の罰だとも言われた。いまその話は無力化されているが、われわれが住んでいる地球が大変な爆力を持っていることは認識しなければならない。いま私は「温」と「寒」、太陽エネルギーと地球の爆力の両性に心ひかれている。
 
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「新老人の会」

2011年02月01日 06時07分42秒 | エッセイ
昨日日野原先生主導の「新老人の会」の下関支部の前会長89歳の林三雄氏、現会長の山本猛彦氏が研究室に訪ねてきた。全国一万数千人の会員のなか萩生まれ縁のある山口県が現在610人で一番多いという。
 一昨年東亜大学35周年記念講演には日野原先生の招請講演で1300人が集まったことがあり、その時には我夫婦は控え室で日野原先生にお会いしたことがある。日野原氏は、1911年生であり今年100歳を迎えるという。来年は下関と釜山で講演会を予定している。「老人が動けば日本は変わる」というキャッチフレーズで健康な日本と活気付けるのが主趣旨で「新老人運動」が全国的に広がっている。日野原氏は老人に対する社会のあり方など様々な生活体験を話し、老人の知恵を伝える事の大切さを強調する。
 林、山本、崔の三人の話は前ふれが長く本論になかなか入らず、私はおそらく入会のお誘いと思った。が「韓国の敬老思想」に関して講演をしてくれという話であった。若者には老人自信が「敬老思想」云々するということが古臭く思われるかもしれない。私も若い時はそうおもっていた。そんな私もあなたもいつか老人になってしまう。敬老思想とは老人がよく使ういう言葉であるが同時にやがて老人になる若者向けの言葉でもある。
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