崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

下川正晴教授のこと

2015年03月19日 05時33分15秒 | 旅行
ネット上で拙著の紹介がなされているのを見つけた。大分短大の下川正晴教授のホームページである。私が朝鮮戦争の体験者であることに初めて知ったということである。下川氏は毎日新聞のソウル駐在記者などを経て大学教授になった方である。彼は韓国映画を授業に取り入れながら一般にも紹介するなど広く文化活動を行ってきている。九州大学での植民地映画の公開シンポジウムに私を呼んでくださり議論したことがある。また門司で合宿研究会を一緒に行ったこともある。その後ご無沙汰していたがホームページでご厚意を知ることができた。昨日は下川先生のFBに次のような写真とともに下記の文が掲載されていたので恐縮している。そのまま引用、紹介する。承諾を得ていないが上述の信頼関係から大丈夫だと思う。

崔吉城先生(写真左)、秦郁彦先生(同右)に学べ!!
きょう、崔吉城先生(東亜大学教授、広島大学名誉教授)とFB友達になった。先生とは以前、九州大学で韓国映画史のワークショップを一緒にやった。最近では、先生の著書「韓国の米軍慰安婦はどうして生まれたか」を読み、FBで紹介したこともある。
崔先生のFBログをたどって驚いた。一昨年、韓国で発掘された慰安所管理人(朝鮮人)の日記を丹念に読み込み、さらに、日記の舞台になった東南アジア現地に出掛けて、日記に記載された事ごとの検証作業をされている事に気がついたからだ。これはスゴイと思う。本当は、ジャーナリストがすべき仕事なのかもしれない。
朝日新聞記者が騙された吉田清治氏(故人)の証言を不審に思い、韓国済州島まで出掛けて、吉田氏のウソを暴いたのは、昭和史研究家の秦郁彦先生(日本大学名誉教授)である。当時、僕は毎日新聞ソウル特派員だったが、秦先生のような「歴史学的フィールドワークの世界」があるのを気がつかなかった。秦先生は僕が「記者の目」(93年9月9日)で、慰安婦支援運動への違和感を書いたのを読み、帰国した僕を呼び出して事情聴取もされた。
崔先生といい、秦先生といい、先駆的な実証史学の道を堂々と歩いておられると思う。僕は昨日、広島・厳島神社で原田環先生(県立広島大学名誉教授)のお話を伺いながら、歴史研究の要諦が「裏を取る」「コツコツやる」「記録する」の3原則であるという教訓を得た。原田先生は「実証主義に基づかない朝鮮史研究」を実例をあげて、説明してくださった。これは僕が新聞記者時代から感じていたことでもあった。
秦先生、崔先生、そして原田先生のおかげで、今後、僕がやるべき課題が見えてきた。いま65歳。これまでは冗談まぎれに「暴走老人になると迷惑をかける。75歳くらいで死ぬ予定だ」と話して来たが、新たな自己課題が登場して来たので、まだまだ生きようと思う。(笑)陽気もよくなってきたので、あすからは、早朝の散歩に励みたい。

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