崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「長周新聞」(1955年)

2012年05月25日 05時11分58秒 | エッセイ
 下関には特色のある「長周新聞」(1955年)がある。長府と周南の地名からとった題名ではあるが旧日本共産党の一人であった福田正義氏が創刊したものである。以来日本共産党の出版物も多い。この新聞は創立者の福田氏と協力者であった礒永氏を崇拝する記事が年中繰り返し、掲載される。人権問題の出版物が多く、私はかなり目を通している。先週の日曜日、下関シーモールでは福田氏の10周忌記念会があって参加した(写真)。500余人が参加している。今は共産党とは縁がないとは言っても、その動員力は強く良く残っているではないか、驚いた。
私は地方新聞を尊重する意味で下関に来て以来定期購読している。政治色や編集色の濃いページを除いて文化面に注目している。本の紹介や書評、「よい映画をみる会」、文化短信などは内容が豊富、批評性の高いものでもある。一人の記者である竹下一氏と時々会って話をするが、格調高い識見の持ち主である。ここに彼による私の講演の要約を全文紹介したい。

長周新聞2012年5月23日記事(竹下一氏)
崔吉城東亜大教授講演
 「メディアと異なった視点で崔吉城が見た北朝鮮」と題して、東亜大学東アジア文化研究所第一回講演会が19日、東亜大学で行われた。同研究所所長の崔吉城教授が2001年から03年にかけて、3回にわたって北朝鮮を訪れた学術調査をもとに語り、みずから撮影したビデオ映像で紹介した。
 崔教授はマスコミを通した北朝鮮の情報が、「初公開」「発見」などセンセーションなるな事件報道、また「拉致」「核」「飢え死に」「脱北者」といった問題に狭められていることを踏まえ、「北朝鮮を客観的に理解する」うえで日常の文化、生活を紹介する必要性を感じて報告の場をもったことを明らかにした。
 崔教授は38度線の軍事停戦委員会の会議場がある板門店にソウルと平壌の側から参与調査に訪れ、両者の異なった様子を紹介した。
 板門店はソウルから「一番観光名所」となっており、日本人も多数訪れている。崔教授は「板門店辺りは、自然の景色や優れた文化遺産がないのに観光名所となっている」ことに注目。バスガイドの安内では「北朝鮮が怖い国だ。服装もジーパンやミニスカート、サングラスは危険にさらされるからいけない。カメラは絶対に出さないように」と指示され、鉄条網や「立入禁止」「STOP」など警告の表示板が林立する中を走り、「ソウルに帰るとホッとする」という観光である。
 崔教授はこれを「ホラー映画のような恐怖心をあおって、観光商品化している」と評価。北朝鮮では、板門店を南と統一するために会議をする場所として、「民族統一への熱意と素直な案内」が行われ、カメラ撮影も自由にできたことを明らかにした。
 また、北朝鮮のキリスト教会の礼拝、植民地時代を再現する場面も入れ込んだ「アリラン祝祭」のマスゲームなども紹介した。
 聴講者との質疑応答では、マスコミが飢え死者を映しだしたり、地下鉄は避難のためのトンネルだと宣伝していることに疑問を呈した。また、人々の栄養状態の悪さ、貧しさが伝えられるが、農村では「牛による農耕で、労働による痩せ方が多い」こと、「ジャガイモを食べる状況だが、それはヨーロッパも同じ」だとのべた。また、住民も自らの生活を貧困ととらえておらず、日本の生活に関心はあるが「われわれは独自のやり方でやって行く」と考えている様子も紹介した。
 最後に、「南北統一に日本はどうかかわるべきか」質問に対して、崔教授は朝鮮戦争という条件のもとで南北がすぐ歩み寄ることができない中で、日本が北朝鮮との間で敵対ではなく友好関係を築くことの重要性を強調した。
 また、「日本と北との関係がよくなれば、シベリアと直結するなど、日本との広いアジア大陸とがつながる」と日本の交易にとっても有利なことを示唆。日米関係に規定されて、北朝鮮との関係を中国に依存するのではなく、これからは日本独自で進めるべきだ。敵を外に作って日本の中をどうするかというのではなく、日本側から北へ出向かいて仲直りすべきだ」と訴えた。
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