崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

悪い噂

2011年05月27日 05時25分48秒 | エッセイ
 先日出版社で鼎談した録音を起こした原稿を読みながらかなり精度の高いものであると思った。ただ「話し言葉」と「書きことば」とは異なる点にいまさらながら気がついた。書くときは問題点などを持って論理的に書こうとするが、鼎談の話し言葉では話相手によって話が進められるので、そこに自分の意見を差し入れることで自分の論理だけを主張すると全体構想が崩れる。司会者の山路先生からイントロの部分のお話があり、それによって韓国の植民地研究について話す順番が回ってきた。私は不特定な読者より、3人の鼎談であり、主に二人を聞き手として話をした。そこには文では書かない半分冗談で話をした部分もある。まず「読者」と「聞き手」が異なるのにその話が文になることには相応しくないところもある。特に和気藹々の雰囲気に合わせて強調しやすくなる。話は現場の力を持っている。噂が人を殺すということわざがあるがまさにそのとおりである。
 今韓国で悪い噂が流れている。2035年に韓国が東アジアの中心になり、日本が韓国の植民地になるという内容である。昔黒人が白人を支配するという千年王国説に似ているがこの噂はそれほど強さや広さを持っているものではない、悪戯に過ぎない。デマや噂はコミュニケーションがよくできなかった時代に盛んなことであったが、今、特にインタネットが進んだといわれる韓国でこのような悪戯はそれを逆利用したインタネット弊害であろう。

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1 コメント

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話し言葉と聞き言葉 (本山大智)
2011-05-27 16:08:54
 人は、話すときは自然と文法を気にせずに話す傾向があります。そうでない人もいますが。
 しかし、大抵の人は文法は気にしてないと思います。私は、まだ論文を書いたことがありませんが、報告書などを作成する人などは、一言一句気にしながら書きますので、完了した翌日は体調がすぐれないと聞いたことがあります。「書く」という行為に人は特に神経を集中させます。
 現代や後世の人々に読み続けて欲しいという思いがあるからこそ、人は「書く」という行為に力を入れるのではないかと思います。
 近年は、電子メールの普及により「手書き」という行為が停滞しつつありますが、これから「肉筆」とされるものは特に貴重になってくるのではなでしょうか。
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