崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ファンからバラを

2011年05月21日 05時06分08秒 | エッセイ
 講義を半分に切り上げて急いでタクシーで、「新老人会」(会長は日野原重明)の下関支部の会議で日韓親善交流の文化史について講演をした。ここではいろいろなところで話をしたのでダブらないように話のネタを探した。本欄でも時々触れた「私の崔吉城は雀である」と「崔」と「雀」の誤認から漢字文化圏での歴史、漢字の使いこなせ方の違いなどに進めていった。万葉集の読み方、訓読み、音読みの混合の漢字使いは新羅の郷歌25首とも共通し、小倉進平の研究、そして韓国の梁柱東の研究を上げることができる。
 私は大学卒論がその1首の「処容歌」に関するものであった。話はそこで終わるわけではない。漢字文化圏(中国、台湾、朝鮮半島、ベトナム、日本)から儒教文化圏に移っていった。私は日本人が儒学のことはよく知っているが儒教文化の国とはいえないと思う。加地氏の日本が儒教文化国であるという説には賛成できないということを説明した。儒教の愛である親孝行の思想、そしてキリスト教から日韓文化はかなり異なることで講演を終えた。植民地、差別などの質疑を通して深めることができた。難しい内容を分かりやすく話をして中講義室の満室の方々が笑い、居眠りする人はいなかった。最後に私の読者のファンであるという西山さんから赤いバラ20本の花束をもらった(写真)。住民と触れ合う楽しい時間であった。

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1 コメント

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感想 (本山大智)
2011-05-21 11:06:45
 日本文化はアジアの文化が混合された文化ではないかと私は思います。過去、中国、朝鮮半島からの漢字、稲作他の伝来がなければ、日本の文化は現在のような形には形成されてなかったと思います。
 漢字だけの文化で考察すると、現在、漢字を使用しているのは日本と中国に限ります。
 韓国でも近年は漢字が少しずつ見直されてきているようで時代により文字の使用も多様化されていることが伺えます。
 儒教文化の面に関しては、日本は「儒教文化」と言われるほど現在の日本には定着していないように思われます。
 東北関東大震災の時には「ACジャパン」から「思いやりも一つの国技に」というメッセージが発せられていましたが、一時的なものではなく長期的に教育のなかでも教えてほしいと思います。
 本山大智
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