崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「懐かしさ」の自由

2009年04月14日 05時33分43秒 | エッセイ
 NHK山口の柴田拓氏と豊浦湯玉宇賀の木村忠太郎の子孫たちに会ってきた。早速木村忠太郎の墓とその子孫の木村、中村、堀などの墓に黙祷を捧げ、歴史を語ってもらった。1900年ころ、この村は170軒を焼く大火事があり、木村は新しい住居を韓国に求めて韓国全羅南道の巨文島に着き、日本村を作った。私は1980年代以来巨文島や豊浦湯玉宇賀を親族訪問のように時々訪ねながら研究をしてきている。しかし木村忠太郎の直系の木村良春氏に会うことができなかった。昨日実にこの村を訪ねて30年近くになって初めて会えた。最初にこの村を訪ねた時は子孫たちは心を開いてくれなかった。
 良春氏宅で貴重な資料を見せていただき、長く話を聞くことができた。彼は好意的であった。なぜ彼が心を開いてくれたのだろうか。彼は巨文島が「懐かしい」といった。今まではあの頃が懐かしいという言葉は誤解されやすかったのであろう。植民地に良い生活をしてきたことへの反省がないとか言われたという人もいる。しかし彼らは人間普遍的ともいえるふるさとへの懐かしさを語るのである。それさえ自由に言えなかった不自由な戦後時代があったのである。彼らも時代の変化や高齢になり「懐かしさ」を語るようになった。それはいま生きる原動力にもなっているようである。

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