崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

映像から見る植民地朝鮮 (22世紀アート)

2019年05月19日 06時27分27秒 | 日記
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 日本語で執筆するためには日本語を駆使する力が要る。単語より、センテンスへ、パラグラフへ、レトリックへ、そして心に届くようにと中学時代の国語教科書に書かれていたことを思い出す。今日本では多くの妄言が話題、問題になっている。それらの多くは単語が主である。話す言葉は聞き手、状況、意図などによって理解しなければならない。聞くにも言葉の能力が必要である。文章を書くのもそうである。心や精神の力で書くべきであろう。今『思い浮かぶ植民地』(仮題)の後書き中である。植民地の支配と被支配の狭間で悲劇的になった人のことが、なぜ自分のことのように感ずるのか。植民地史に自分を透視し、悲しくなった。感情を込めて書いているからであろう。
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