崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「家族とは何か」

2015年06月17日 04時44分24秒 | 旅行
韓国のマースがなかなか収束されず不安が高まっている。全国に広がり、19人の死亡者と発表されている。7月初め開催の韓国巫俗学会の中止のメールが届いた。来週の珍島国楽大会はどうなるのかわからない。その中で昨日ソウルの姉が関釜フェリーで来た。乗客が少なく、下船に時間はかからなかった。姉は八〇代の半ば、マースなどに鈍感というか懸念しない。セウォル号やマースなどで朴クネ大統領の人気が下落したのではないかと聞くと高齢者たちには年金が上がって評判がよいという。
 私はある新聞記者の取材を受けた。日韓国交正常化50年を期して私の見解が求められた。彼はまず国交正常化の前と後の状況についての質問をした。それは今までまとまった見解として斬新な質問であった。私の経験からまず「以前」について「日本は私の中には存在しなかった時代だ」と答えた。朝鮮戦争、学生革命、クーデターなどで日本を意識する暇がなかった。1965年以降日本人や日本文化が入り、反日感情を通して韓国のアイデンティティが高まっていった。日韓関係はいつもギクシャクしていた関係史を振り返る時間であった。
 わが家では藤川夫妻と中国人、韓国人の夕食会があった。藤川氏の奥さんは元看護師、それもハンセン氏病患者を看護した貴重な体験談を聞くことができた。以前その病は感染すると隔離されて結局患者同士の介護の生活で外の世界を全く知らず電車が走ることさえ知らなかった人もいたとのことである。彼女は「家族とは何か」。大きい問題をボンと出した。夫婦や子供による家族ではなく、患者同士が一緒に生涯を暮らすことからの問題点は大きく、重要であった。姉と1970年に撮った映像の母の死霊祭を見ながらわが家の巫俗信仰について談話した時は就寝の時間が過ぎていた。