崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「少なくとも今の日本人は人をころさない」

2015年02月22日 21時24分19秒 | 旅行
シンガポールでの第二日目は電車と歩きばかりで昨日の2倍は歩いた。電車に乗るたびにシルバー席reserving seatに座っていた人から席を譲っていただいた。日本の若者の居眠り光景とは全く異なっている。まず電車で居眠りする人がいない。日本は高齢化社会が心配だと思っている方が多いが、私は若者の衰弱化がもっと問題であると思う。今日の午前の半日はラッフルスプレースから上陸地の川辺を歩いた。アジア歴史博物館を観覧して、ラッフルスシティで昼食をとった。いたるところにラッフルスの名前が地名に刻まれている。彼はイギリス植民地統治者であり、このように記念されていることは何を意味するのだろうか。
 午後国立博物館で日本占領時期の特別展があり観覧した。日本軍の残酷な戦争犯罪的なものが展示されている。ノートをとりながら集中してみているレーという名前の女性に英語で質問をした。彼女は勉強をするのではなく、ただ日本に関心があり、観に来ていると言う。私はこのような日本軍の残酷さを観ることが彼女にとって日本への関心はどうなるだろうかと老婆心で聞いてみた。彼女は歴史と現実を区別していると言う。歴史は持続するものであり、どう区別するのかと言う反問に彼女曰く「少なくとも今の日本人は人を殺さない」と言う。名答であった。
 この度、シンガポール調査の最大の関心事が慰安所日記を書いた朴氏が住み込みで帳場の仕事をした家を探してみることであった。地下鉄の駅から降りて1時間ほど歩いて6人に道を訪ね、ようやくその番地の家の前に立って写真を撮ることが出来た。感動の時間であった。入り口の門の両側には竹、燈篭を乗せた柱などその時代のもののように感ずる。今日は不在のようだったが現在このお宅に住んでおられる方と今後、文通などで確認することが出来たらいいのにと希望を持ってみる。明日の早朝にはミャンマーへ向かう。

真夏の国、シンガポールへ

2015年02月22日 05時51分01秒 | 旅行
 シンガポールへ、夏へ、6時間弱南へ、飛んで飛んで、歩きつかれた。1997年1月中旬に一週間の調査以来ほぼ18年ぶりに来ている。機内ではPCの電源さし込もあり作業ができて、機内食は美味しい、入境もスムース、旧正月の観光客の帰省客が一緒になり、かなりの混雑である。空港のトイレで夏のファッションに更衣し、MRT電車でブギスまで行き、そこからホテルへ、徒歩15分の距離を大いに迷いながらも歩いて着いた。ポルトガル、イギリス植民地、そして日本の占領地であって、今はアジアではもっとも先進国である。日本に来る多くの外国人が日本がきれいだという。私はシンガポールもいつもきれいな印象を持っている。何が先進国であろうか。昨日電車の切符を買い求めるとき、ホテル探し、日本占領メモリアルタワーから帰る時、方向感覚がなくなりまた迷子になってしまって、かなり遠くにあるホテルまで案内してくれた人などから感謝と幸福と先進国であることを感じた。
 さまざまな侵略、植民地の歴史を持って、太平洋戦争後イギリスの植民地に戻ってから独立し、発展してきている小さい島国は今アジアへ、特に中国、韓国のモデルとなってほしい。旧正月の中国観光客がモノをたくさん買っていくと日本では喜んでいるが、「観光」は光を観る人として日本で何かを感じて帰る人が多くいてほしい。食堂のレシートにCNYと言う項目があり、特に人が多く来る時期の特別税が賦課されている。なるほどここはまだ正月期間、町で竜踊りに出会った。先進国には旧の新年の行事がふさわしくないように感じながらも楽しく鑑賞した。夕食は夜の9時であった。植民地の偉大な遺産ともいえるラッフルスホテル、占領メモリアルなどを近くでイギリスの植民地や日本の占領地を考えた。そして歩き疲れ切った。1万歩は十分に超えたのではないだろうか。それでも夜は風が心地よい。