崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「嘘と信じたい」

2015年02月02日 04時57分33秒 | 旅行
 「嘘と信じたい」と言った後藤健二の母親の石堂順子氏が「信じたくない」と言った。嘘をついてはいけないと思いながら嘘を信じたい心があるから嘘が多い。嘘であって欲しいことなのに本当に、卑劣なことが起きた。昨早朝5時頃インタネット上に新しいニュースが流れた。TVで確認して、驚いた。日本もテロが標的になったこと、世界にテロが広がったことを意味するだろう。最悪といわれている日韓関係ばかり残念だと思っていたが意外な情勢になった。長期政権安定を図るために選挙を行い、国際的にアピールするために真っ先に「テロには屈しない」と言っていた。テロリストには屈せず、処罰が必要であるが、人命尊重のためにテロに屈してもしょうがない。それは戦争と違って無防備状態であるからである。これから国会で議論がなされると思うが復讐心だけではなく、まずテロとは何か、平和とは何かから考えて政治を行うべきである。
 私の講義を受けたイスラム教の学生は次のように書いてくれた。

 イスラム教の教えでは、暴力や迫害を認めておらず、正当な理由なく、1人の人間を殺害することはすべての人類を殺害することと等しい。テロはイスラム教徒だが、イスラム教徒はテロではない。テロは、10億以上のイスラム教徒中の、非常に少ない部分である。「イスラム国(ISIS)」と「イスラム」は違う。確かに、イスラム教は一神教だが、絶対に他の宗教を敵視しない。私の両親は、子供の時から教えてくれた。悪いことをするのはいけないとか、年長者を尊敬するとかを教えてくれた。
 テロは、いつから始まったのが、分からないが、私は絶対反対する。多分、たくさんの人に誤解されていると思う。コーランはアラビア語である。初めの段階では、意味とか、教義とは、何にもわからない。お寺の人から教わり伝える。もし過激主義を教えるなら、人は、どうなるか?
 テロ事件の多くがイスラム過激派によるものだが、一般的なイスラム教徒とイスラム過激派は考え方が全く違う。イスラム教徒たちはイスラム過激派に反対する。イスラム教は暴力を嫌う平和的な宗教だと思う。


 羽田空港へ向かう車窓から白雪の富士山が見えた。建物の上に小さく見えた。これは昔美濃部東京知事の環境政策の結果ともいえる。中国のように数メートル先が見難い国家が学べるところである。飛行機の窓からは雲で富士山が見えなくとも綺麗な雪景山が広がった(写真)。下関で下車、家内とミミに迎えられた。三泊四日の東京出張で多く歩いて1キロ弱体重が減った。重いカバンを持って多くの階段を上り下りして歩き回ったことだった。