永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

ハイク。

2009-04-12 16:21:47 | 日記・エッセイ・コラム
好天気が続いている。こんな時は歩かないと損をするので思い切って、久しぶり長距離ハイクに挑む。握り飯と水筒をリュックに朝九時半に自宅を出発。大里海岸に出て海岸線を門司港へ向う。海峡の空気が気持ちよい。一年ぶりに歩く。そのせいか、若干足が重たく感じる。海岸線には釣り人が早くから糸を垂れている。通りには流行りか自転車ツーリングの人を結構見受ける。風師あたりに来ると、ふくらはぎと足首が痛くなってきた。このところ、あまり歩いていなく準備がないためかも知れない。門司港を経てめかりへ足を向ける。かなり歩いている。とは言っても、スピードが早いから50分もかかっていない。まだ体力はある方だ。めかり神社について、関門橋横の潮見台に着く。一時間もかかっていなかった。海峡の音がからだに心地よい。行き交う船をボーッと見ているとストレスも無くなる。握り飯がとても美味しい。前日まで残っていたお腹の張りがすっかり無くなっていた。紫外線が強く腕を見ると腕時計のあとがうっすら白く残って日焼けしている。さすが往復を歩くことはできなかった。戻りは門司港駅まで歩いて、それからバスに乗り家路につく。


小型のキャンパスノート。

2009-04-10 08:56:06 | 日記・エッセイ・コラム
あっという間に時が過ぎ去る。きのうは何をしたかと頭のメモリーを呼び出し振り返ると、とっさに思い出さないことがある。ああ、メモをしておけば良かったと悔やむことが増えてきた。おおざっぱには時間単位で一日の行動は残っているのだが、アイデアとかヒントがふとした時に閃くのだが、その時は強く印象的にはあるのだが、時間がたってしまうとすっかり消えてしまっている。机にはチラシ裏の白をメモ用紙にしているが、動いている時はせちがらいからなかなかしない。細かなできごとやアイデアは一度言葉や文字、絵にして置き換えると記録が残るからとわかっているがついつい流れてしまう。反省をして近くのスーパーで小型のキャンパスノートを買うことにした。


故郷。面影と残像。

2009-04-08 09:33:25 | 日記・エッセイ・コラム
人には故郷がある。それは具体的な貌としての生れ育った土地そして風景であり、また、こころの中の精神的な心象風景なのかもしれない。友人のTさんと一年ぶりに会う。積る月日の話しに、Tさんは、小倉の足立山の峰の貌がいつもこころの中にあると言う。僕は小倉のことを知っているようで、意外と小倉の大地にそびえる足立山の貌は観ているのだが、僕のこころの中には定まつていなかった。僕は少ししっとを憶えた。そう言えば、僕の先輩で、現在はホノルルに移住しているSさんもよく足立山のことを話していた。時々の電話でも「インターネットで小倉の街を検索して、足立山の画像を見ているんだ」と話していた。作家の松本清張さんも「半生の記」で、足立山のことを書かれている。小倉の地形を眺望すると、どのポイントからも足立山は、まるで母親が子どもを抱いているように小倉の街を包み込んでいる。それは母の胎内のようでもあると、Tさんの話しを聞いていてそう思った。人はいつでもこころの中に風景を持っている。それはその人だけの風景になる。
Tさんが、「小倉の香春口あたりを歩こう」と誘ってくれたので連れのう。香春口のモノレール沿線は都会の何の変哲もない乾燥しきつた風景だが、昭和町の方へ一歩は入ると、そこは町の名前のとおり、昭和三十年代の光景がそのまま面影を残していた。Tさんの話しによると、黄金町から中島、馬借方面へ真直ぐ走る道が、昔は日活通りと言っていたそうだ。この町の中心に日活の映画館があつたそうだ。建物や居酒屋の名前に日活の名前を付けているとところが何件かあったが、住民の思いとしての残像が屋号になっているのだろう。狭い路地裏を歩くと、道を互いの家の軒先きがせめぎあっている。ああ、これは子どもの頃、日常では当り前の風景だつたことが記憶に甦り、郷愁として頭の中がぐるぐると一気に回転しだして、どの親もが必死になって働き子どもを育ててくれた時代へと帰ってしまつた。その後、Tさんと別れ小倉の中心に入ると高層ビルの壁が僕を脅迫して現実に引き戻してしまつた。足立山はもちろんビルが視界を遮ってしまった。僕の小倉はしっとりとした古風な町の風景しかこころのスクリーンに写っていない。Rimg0002
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境目。

2009-04-05 20:34:42 | 日記・エッセイ・コラム
フォーク・クルセーダーズの歌に「イムジン河」がある。♪飛びゆく鳥よ 自由の使者よ・・・河よおもいを伝えておくれ♪と、せつせつと唄われていた。三年前映画「パッチギ」でも、たぶんクルセーダーズの中のひとりを思わせる主人公がギターを鳴らしながら唄っている。映画でも在日の人たちにおける南北の複雑な状況で、同世代の連中が喧嘩をしながらも後に互いを認め合う。もう30年以上たつが、当時のイデオロギーの対立から、今や経済と政治の南北格差の問題と変化してきたが、状況はひとつも変っていないんだなあと思う。ミサイルでアクションを起すようになってきたから、さらに問題が複雑になってきている。18年前にはじめてソウルに行った時に、韓国の美術大学大学の先生に、ソウルから車で一時間ほど郊外にある、朝鮮皇族が住んでところに案内してもらったことがある。沿道に広がる大地は朝鮮独特の農村風景で、土の色は九州の土の色より赤い。皇族史跡は山に囲まれた静かなところだった。その山の方を指をさして「あの山の向こうが北朝鮮だよ」と説明されてびっくりしたことがある。閑静と落ちついたたただずまいの史跡にたたずんでいると、なぜこの大地はふたつに分かれているの?と素直に思ってしまつた。その先生は「まだソウルに滞在しているんだったら、板門店に行ってみるといいよ」とすすめてくれたが行けずじまい。滞在中に韓国と日本のデザイナーでソウルでデザイン展をした。そのオープニングの時に、日本大使館の若い参事官の方が来られていた。えっ、こんなところに大使館の方がと驚いた。パーティの時に小さい声で「民間でこうやって国際交流していただくと私たちは助かるんですよ」とボソッと言われた。その時にはピンとこなかったが、その翌日散歩がてら、日本大使館の方まで足を伸ばしたら、警察の装甲車がものものしく警備をしていた。なるほど、海を超えてまだまだ複雑な状況があるんだなと思った。パーティの時に、韓国の若いデザイナーと話しをしていて、話題の中でソウルの漢江川の話しになった時、僕が「漢江」のことをうかつに「カンコウ」と日本語読みしたら、そのデザイナーは「ハンガンと言い直せ」と、ちょっとムキになって僕を嗜めた。僕は後になって恥ずかしくなった。いまは当り前に観光で韓国の街を歩ける。


七曲りの桜。

2009-04-03 21:00:57 | まち歩き
桜の名所は地域に個性をもって花を咲かせていますが、七曲りの桜は山全体を圧倒的に被いつくして観る者に迫ってきます。まるで桜の園に埋まっているような感覚に陥ってしまいます。山道の通りの上の方は佐木隆三さんの「復讐するは我にあり」の舞台にもなったトンネルがあります。作品が映画化された時もここの光景をロケーション撮影されました。七曲りの桜は観るものにとって、気を狂わせるくらいに山の斜面に桜がびっしり咲いています。桜の花は短いサイクルの期間に一瞬にして散り、葉桜になってしまう劇的な植物ですが、新しい季節の節目の象徴的なできごとの暗示でもあります。僕は桜を狂華のメタファモリズムとして捉えていますが、日本人の私としては自分を確認できる季節の花であります。Rimg0073
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