永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

梅雨の夜長。

2008-06-18 09:02:15 | 日記・エッセイ・コラム
2,3日前から続いてい寝つきの悪さに睡眠を促すため、深夜までふとんの中で読書三昧。梅雨時の夜長というわけだ。松本清張の「渡された場面」と、三島由紀夫の「仮面の告白」2册を読破。あまりのおもしろさについつい小説の中に入り込んでしまい、かえって眠れなくなる。それでも読み終ったら、嘘みたいに睡魔に襲われる。
朝がた4時間ほどして目がさめる。寝起きもよく、頭の中がスッキリしている。嬉しくなる。やはり、僕にとっては読書はトレーニングなのだ。


さむらい文化と町人文化。

2008-06-17 14:40:35 | 日記・エッセイ・コラム
お昼休みに久しぶりのNHK朝ドラ「瞳」の再放送を見る。何日ぶりだ。毎日見たいのだが、このところバタバタしていて欲求不満になっていた。今日のストーリで瞳の住む長家の向いのおばあちゃんが過労で倒れる。瞳が介抱して、近所仲間がおばあちゃんの息子に電話を入れて、息子が夜になつてお見舞いにくるのだが、快方に向っていたのに、息子が来たとたんに不機嫌になり、「あんたなんかの顔なんかみたくもないよ」とねそっぽを向く。息子はエリートだが、おばあちゃんにすると下町気筋でそりがあわないから顔もみない。ドラマを見ていて谷崎潤一郎が頭に浮かぶ。文壇大御所だった谷崎潤一郎だったが、町人文化の粋みたいな存在である。エリートでありながらその顔を見せない谷崎。町人はおセンチみたいな雰囲気がありそうだが、ある意味ではセンチメンタルではない。今日のドラマのおばあちゃんを見ていてそう思った。さむらい文化の方がおセンチのような気がする。さむらいは俗人でないから、センチになる。


めくるめく。

2008-06-17 08:40:38 | 日記・エッセイ・コラム
相変わらず足の先にしびれを感じたままなので、重い腰をあげて病院へ行く。手のしびれはなくなったけど、足の甲と指先にしびれが残っている。心電図をとる。「血流ですね。ストレスからきていますね。しっかり水を呑んで下さい。休んでいて下さい。」と言われる。「ストレス社会だから、ストレスは当り前じゃないですか。ストレス無くすにはどうしたらいいですか。」と聞くと、「だから休んでください!」。解ったような、解らないような答に、逆にそのまま仕事先に行く。ほとんどお医者さんの話しは聞いていない。そのお医者さんは長年僕の健康にお世話になっていて、僕の性格まで知っている同世代の先生だ。だから話しが通じる。帰宅して、仕事を休憩して、石川達三の「母系家族」を読む。昭和17年に書かれた小説だが、少しも色褪せていなく、少しも今の時代と変っていない本の中の時代背景に改めて新鮮さを憶える。戦前、その前の時代、幕藩体制の時代と思ったほどに社会は変革していないと思う。一気読みして、気分が楽になる。読書もスポーツと同じだ。


回帰。

2008-06-16 14:10:41 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりにブログする。何かと物事が重なり、このところ書けなかった。昨晩は寝つけず朝寝起きが悪く、血圧を計ったらかなり高い。右手足がしびれている。医者に行こうと思うが、前々から福岡のHさんからお誘いを受けていた福岡アクロスでの「西島伊三雄童画展・昭和あの頃展」を優先して行く。行きの電車の中で何とかだが少し眠れて少しからだが落ち着く。会場には西島先生のご子息Mさんが受付けされていて、お互いに再会を喜ぶ。「永野さん久しぶりやね。元気しとんっしゃたね。きょうは月曜ばってん、ようきんしゃったね。永野さんが今まで見とらんやった親父の絵も出しとるばい。まあ、見てつかあさい」。なるほど、はじめて拝見する絵が数点ある。でも、西島先生の絵を見ていると、なぜかしら絵の画面の中に入り込んでしまって、描かれている絵の登場人物や背景の風景の中のひとりになってしまう。これは凄いことなのだ。西島先生が見る人のこころに語りかけてくださっているからだろう。生前の西島先生は人情味あふれる豪快な先生で、人を大事にされる方だつた。絵のことよりも人生の生き方みたいなことを教えていただいた。先生に失礼だが、僕の親父さんと僕は勝手に思わせていただいていた。福岡に行ってお会いできる機会があった時はよく声をかけていただいた。「おい、永野。元気しとるや。門司ば描きよるや。人が見てようわかる絵ば描かんといけんばい。難しか絵やらデザインは描くな。人が喜ぶ絵ば描け」よくハッパをかけていただいた。いきなり電話をいただき「おい永野。今から門司に行くけん。門司のどこそこに待っとるけん。」先生を門司港駅の改札でお待ちして、門司港の下町をごあんないしたこともあった。その晩は、きまって居酒屋で杯をかたむけ、西島先生の愉快なお話をお聞きするのが定番だつた。今では懐かしい思い出である。展覧会場を後にして博多駅に向う。地階に「ナイルカレー」のお店があったのでここでお昼にする。懐かしい味だ。トロッとしたカレーに中辛の味は抜群だ。20代のころ福岡に行った時は必ず食べていた。レジで精算して壁に目をやると西島先生の絵がかけてあった。嬉しくなる。帰りの車中は何だかからだが軽くなった感じで、重かった頭もモヤが晴れたような感じになり、病院に行くのを止める。


泰平の世は揺るぐ。

2008-06-02 16:18:51 | 日記・エッセイ・コラム
きのうのNHK大河ドラマ「篤姫」で老中・阿部正弘が亡くなってしまった。翻弄する徳川幕府の権力闘争に疲れてしまったのだろうか。ドラマの後に本棚から松本清張の「天保図録」を引っ張りだして読む。徳川幕府がつくった封建土地制度が経済等の矛盾で破綻をきたす様子がよくわかる。当時の世情は大不況だつたそうである。武士階級も金策に困って町人ブルジョアに頭わ下げてまわっていたそうだ。斎彬の特命により家定に嫁ぐ篤姫が大奥に手も足も出せない苦悩もだが、幕府内の権力闘争が老中の苦悩につながっていくのががよくわかる。