永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

職人の町、そして職人の姿が似合う町。門司港。

2011-02-09 14:29:55 | インポート
門司港の町を、それも今もところどころに昔ながらの町並の風情を見せる錦町、庄司町、清見などに、これも昔ながらの店の佇まいを見せる靴修理店、酒屋、着物ゆのし店、テーラー、料亭、料理店など職人気質を持って営業しているお店が多々あります。どう見ても、変わらず戦後を経て昭和60年代ころの店の佇まいをそのまま残していると思われる店が結構あります。ぼくはこういうお店や建物が好きでよく絵の題材にします。
お店の中を覗くと、だいたい80才前後くらいのお年の方がお店を守っていらっしゃいます。昔の門司港は門鉄、三井などの大手商社や官公庁が集中していましたから、その社員の人たちが洋服を仕立てたり、接待で料理を利用していたそうです。
職人は全国津々浦々からこの門司港に一稼ぎを目指して集ってきていたようです。そして先代の跡継ぎがそのままこの町に定着し今に至っている例が多いようです。栄町に平民食堂というレストランがありましたが、初代は東京浅草から門司に来られた方で、大正・昭和・平成と三代で店を守られてこられましたが、現在は営業はされていません。平民食堂ファンとしては寂しい限りですが、時代の流れというものもあります。仕方がありません。二代目のおかみさんはしゃきしゃきされた気質の持ち主で、接していても気持ちのよい方でした。
因みにふぐ料理と言えば下関が代表ですが、日本ではじめての“ふぐ料理免許”を取得した第一号の人はこの門司港かららしいです。





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靴修理製造のかごしま屋。〈C〉永野宏三・ひろみプロ


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2 コメント

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八幡が製鉄所でにぎわっていた頃のことは身を以て... (酢亭)
2011-02-09 18:26:37
八幡が製鉄所でにぎわっていた頃のことは身を以て知っています。その当時の中央町のにぎわいや、起業祭の話をしても、今の若いもんに信じがたいことのようです。同じように門司港がにぎわっていた時代があったのでしょう。今は昔の話です。
ところで、この絵のタッチ、好きです。
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酢亭さんありがとうございます。 (hiro)
2011-02-09 21:46:14
酢亭さんありがとうございます。
八幡の町のかつての繁栄は凄かったという話しは聞いています。中央町の日常の様相も人でごった返ししていたらしいですね。八幡駅の朝夕のプラットホームは東京の駅と同じくらいに人で溢れていたと聞いています。日常、毎日がお祭りと同じくらいの人出だったらしいですね。ぼくより10歳年下の人から聞きました。前田あたりの町の表情を見ると当時の面影がわかります。八幡の町の社会資本は東京の群を抜いていたらしいです。
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