永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

思い、話す人。

2011-03-20 10:50:39 | 日記・エッセイ・コラム
タクシーに乗って行き先を告げたとたん運転手さんが話しかけてきた。地震と原発のことである。話しを聞いていると声がだんだんとオクターブが上がってきた。多面的にこの一週間の事象を批判しているのである。最もその鉾先はTV報道と政府、政治家のことである。
運転手さんは報道に出てくる若い女性アナウンサーとゲストの大学教授などのコメンテイター、報道ヘリコプターに憤懣を持っているらしい。女性アナとコメンテイターのやりとりが、直接現場も見ていないのに最もらしく、よくあんなに傍から話せますねと云うのである。報道ヘリは屋根やビル屋上で助けを求めているのにその上をカメラを構えて回遊しているのはおかしいと云う。政治家は日頃テレビで互いが云いたいことばかりの応酬で声を張り上げるのに、こんどの地震、原発では声を発しないと怒るのである。政治家はこんな時こそ義援金を出し合うべきですよねと同意を求めるかのように云うのである。
歳が45歳くらいに見える運転手さんは15分ほどの車中で、見ず知らずのぼくに一方的にまくしたてた。初対面の人には人見知りするぼくは「あ~っ、はぁ、はい、ああ」と、相づちを打つのみで、なんとも答えようもなく運転手さんの話しがだんだん耳には遠くなってきた。目的地に着くとほくは「お世話になりました。じゃあ、では」と代金を払い車を降りた。
たぶん、確かに、運転手さんは怒っていたのである。怒りの鉾先が客観的にTVなどからの情報に自分の思いが膨らんで気持ちがどうしようもなかったのだろうとは推察できるけど、そして、気持ちを同じに共有したかったのだろうか。
TV画面からは始終映像が流れて、情報がワード文字になり瞬時に流れているし、インターネットへの情報問い合わせの誘導も促している。IT革命が叫ばれて15年ほど経つが、複雑な情報空間を持ってきている現代社会ではある。震災被害に合われた人たちは情報がないので不安と訴えている。情報社会は危機に襲われると意外と簡単に座標軸を失い底が不安定になるものかもしれない。運転手さんの話しを聞くぼくとしてはやはり何とも言えず返す言葉はなかった。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿