永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

フラッシュバック。練成する試みの新鮮な時代。

2010-08-30 06:23:10 | アート・文化
先日、集りでMさんに一ヶ月ぶりに再会。ユ60年代後半期の東京銀座界隈に集るデザイナーや芸術家、漫画家などアート・ジャンルの話しをしてくれた。時代はそろそろモノ・カネが東京に集中、一局集中による隆盛の予兆があったころの話し。
Mさんは国立の芸術工科大学でデザインを指導されて退官された後、現在は地方の大学で後輩の指導をされている。大学入官前には大手精密器機会社の銀座デザインルームでデザイナーをされていた。その当時はデザインが経済活動に必要性がそろそろ企業に認識されたころ。たぶん東京オリンピックにおけるデザインポリシーの確立による成功から及んだものであると思われる。
そのころぼくは高校生。デザイン専門誌“アイデア”にMさんがデザイン論文をよく寄稿されていて読んだことがある。当時先輩から薦められて、ぼくはレイモンド・ローイの商業美術のバイブル“口紅から機関車まで”にかぶれ、難解なデザインの理論と実践を無理に頭におしこんでいた。そうした中、Mさんのデザイン論文はグラフイックをどう立体に転化させるかの実験的な仕事の紹介で分かりやすく理解できた。そろそろ万博が話題を呼び始めたころでもあり、ポップアートや新しいアートが建築やプロダクトにも応用されて、Mさんの仕事にもそれが影響していたのではないかと今になっては思う。
Mさんもデザインルームの現実の仕事では、かなり斬新なデザインをしたらしい。アクリルを使用した立体的なデザインクロックなどデザイン企画を立ち上げてしたい放題だっようだ。
そのころ、デザイン室には後にデザインやアートのジャーナリズムで名をあげたデザイナーや芸術家、マンガキャラクター作家が仕事を求めて来ていたそうだ。後に名をはせた彫刻や絵画によるシュールなアート表現で話題をよんだO氏、国民的マンガキャラクターを生んだY氏など。
当時、毎日繰り広げられた黎明期のアーチストのデザインやアート論の話しは、Mさんから今聴いていてもリアルに伝わってきてわくわくする。



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