永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

門司港に運河があった頃。

2015-07-02 12:52:16 | 日記・エッセイ・コラム
大正15年に発行された門司港の地図を見た。
現在の労災病院近くの倉庫街のある船溜りから、浜町を経て老松公園に突き当たり、関門トンネルを繋ぐ国道3号線を栄町に下り、右に折れ観光はね橋のある船溜り向かい弧を描いて川がある。川の名は堀川とあり、現在の老松町あたりは新川町となっている。
なぜ鎮西端という名が残っているのか不思議に思っていた。たぶん海に向かって川が流れていたというのは想像していたのだが、古地図を見て納得した。
近代国際港である門司港。たぶん海峡沿いの桟橋には何艘もの船が停泊していたであろう。二つの船溜りを繋ぐ河は港湾の築港時に大量の荷揚げと旧税関あたりへのスムーズな運送手段が必要になり人口の運河がつくられたようである。
新川町の地名の由来は新しくつくられた運河からきているのだろうか。堀川という名の由来も人工的に掘って出来た川だからなのだろう。
いまこの路線は国道や町の幹線を走行する車の流れる道路になっている。門司港は過去に思いを馳せることのできる町なのである。