永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

大正から昭和へ、夢想する都市モジコウから起動する?ふたつの時代を俯瞰する柳瀬正夢アートの歯車は止まら

2013-12-14 10:05:51 | アート・文化
北九州市立美術館で始まった「柳瀬正夢1900?1945展」を見てきました。前々から楽しみにしていた企画展です。柳瀬正夢(やなせまさむ)縁の地である門司、地元北九州市ではじめて開催される柳瀬アートをまとまって観覧できるのは柳瀬アートフリークのぼくにとってはたまりません。
戸畑の鞘ヶ谷の山はみぞれまじりの寒風が吹いていました。そんな状況下でも、ぼくはドキドキ、ワクワク、興奮でからだ中がポカポカです。
柳瀬の仕事の凄さはこのブログで何度か書きましたが、地元北九州市では柳瀬の活動があとひとつ知られていません。そこに今回の展覧会はファンにとってはビッグなアクションであります。
門司港で柳瀬がアートに覚醒したという事実は、明治から急速に開発された、国策による近代国際港湾都市モジコウという都市形成が起動する過程にオーバーラップするように思えてなりません。柳瀬の旺盛でしかも猛烈なスピードでアート活動をする回転軸の歯車は止まることを知りません。しかし終戦真近、東京空襲で亡くなる時点であっけなくピリオドを迎えるという皮肉、ここに柳瀬アートの真骨頂があるように思います。
展覧会では膨大な柳瀬資料を観覧することができました。柳瀬の作品や資料は過去に何度か見たのですが、柳瀬の作品をはじめて目にしたのは20数年前、名古屋であったデザイン博のポスター館で見たポスター作品です。歴史資料として展示されているポスターのほとんどが、何となく画家が描いたようなポスター(いわゆる美人画を用いたような広告)が多い展示物の中で、柳瀬の作品はいかにもこれがデザインだと主張したアブストラクトな構図のポスターで、いわゆるグラフィカルなデザイン作品でした。明確なテーマの捉えかたと表現は、デザイン表現で重要になるコンセプトを持った現代の広告デザインに近いものです。柳瀬の感性の鋭さはもちろんですが、近代的デザイン理論を当時から持っていたと思われます。現代グラフィックデザインでも重要な技術でのひとつあるタイポグラフィーなどデザイン構成を駆使した先駆的作家と思います。先の大戦後、世界のデザインの潮流となるドイツのバウハウスデザイン理論にも劣らない先鋭的デザイン発想が柳瀬アートにの特徴であります。絵画畑の画家が描く情緒的な意匠的図案表現ポスターがほとんどである当時の広告媒体技術からすれば、その時代に柳瀬のデザイン技術は凄いことなのです。
こんどの展覧会で改めてじっくりと作品を観察し気付いたことに加え、ぼくなりに考察してみたのですが、ほとんどの作品が柳瀬の視点というか目線というか、柳瀬の目が対象物を俯瞰する角度で捉えた構図で描いているという点です。油絵、絵本の童画、写真作品などほとんどが上からの角度で描いたり撮られたりしています。浮世絵などの構図で見られるあの角度なのです。俯瞰することによる思考が柳瀬にはあったのでしょうか。門司を描いた油絵には顕著に見られます。演劇の舞台設計も手がけたりと複合的でマルチな柳瀬だから氏のアートの秘密がここにあるような気がしてなりません。もちろんこれはぼくの一面的な解釈ではありますが。
油絵展示ゾーンでは、いかにもゴッホやムンクに影響を受けたような筆致の作品があって微笑ましく思いました。
柳瀬には画家とかデザイナーとか、肩書きやジャンルの型はあてはまりません。あえてジャンル分けするとすれば「柳瀬正夢」そのものなのです。
柳瀬が大正・昭和を自由自在、縦横無尽に時代をいきいきと生きた証し、やはり柳瀬の表現回転軸の歯車は今も止まっていないと確信しました。