永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

あの頃グラフィティー、いつもワクワクの時代でした。

2013-03-20 09:35:57 | 日記・エッセイ・コラム
中学1年の時に買っ漫画雑誌『少年』のふろくに付いていた鉄腕アトムのミニブックです。本体の『少年』はどこにいったか不明です。多分、当時このふろく本であるアトムがぼくにとって重要であり、ずうっと大事に保存していたのだろうと思います。
このことからして、ぼくは物を捨てきれない性格の物持ちであることは確かであるようです。人の記憶というのも、あんがいそのようなもので、記憶はよほどのことが無い限り捨てることは出来ません。アーカイブという言葉がありますが、個人的な思考にも記録遺産ということもありえますので、個人アーカイブがこれからの時代を生きていくポイントになるのかも知れません。うむ、解ったような解らないような、書いている筆者としてはは生きている証とでも云いたいのですかね。回りくどいですね。
本の発行クレジットは“昭和40年2月号、手塚治虫さん作、光文社刊発行”です。
表紙をあらためて見みると、じつにシュールな絵です。迫力があります。当時かの日本は高度成長の時代です。絵から受ける波調がいきいきしています。
昭和40年ころの時代はというと、TVでは、『ローハイド』『ララミ-牧場』『ベンケーシー』『コンバット』『サンセット71』『アンタッチヤッブル』など、アメリカTVドラマが放映されていました。よくTV画面をかぶりついて見ていました。今の若い人からすると、何のドラマかと解らないでしょうね。こういうことを書いている筆者のことを生きた化石とでもいうのでしょうか。
ビートルズの『プリーズプリーズミ-抱きしめたい』がヒットしたのもこのころです。そうそう忘れてはいけないことがありました。国家一大プロジェクト『東京オリンピック』が開催されたのもこのころでした。
軽自動車のマツダミニやかぶと虫型のスバルが町を走りはじめあたのもこの頃じゃなかったですかね。軽自動車は原付きバイク免許で乗れた時代です。
このブログを書くのに当時を思い出していると、なんだか映画のスクリーンをン見ているようで走馬灯のように記憶が蘇ってきます。まあ、楽しい時代でしたなあ。

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『少年』昭和40年2月号、ふろく『鉄腕アトム』手塚治虫作、光文社刊発行