永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

メモリー。

2010-12-26 19:32:17 | 日記・エッセイ・コラム
ことし後半は東シナ海域で国際的に平和を乱す不穏な事件がおきましたが、あらためて、そしてつくづく戦争の予兆を身近に考えさせる年でもありました。
ぼくが高校生の時に好きな先生がいました。好きと云っても男先生ですが、師匠として人生の先輩として尊敬していた先生です。福田先生と云う国語担当の教師でいわゆるシベリア抑留から生き延びて生還されてきた方です。
小柄な先生で、授業1時間の2割が国語の授業で残りの時間はいつもシベリア抑留の時の体験談でした。「俺がする国語試験はしっかり聞いておれば満点取れるけん、だまって聞いとけ!」と云って、要点をわかりやすく教えてくれていました。おもしろいと云うか、為になる授業はシベリア抑留体験の話しでした。
先生の歯は全てなく総入れ歯で、いつも上下の入れ歯をカチカチ鳴らしながら話しをしていました。シベリアで食べるものが無く、いつも岩塩を溶かした冷たいスープに固いパン一切れだったそうで、お腹がすいてすいて、木の皮や根っ子を食べたりしていたそです。ひどい時には空腹感をごまかす為にコールタールの小さい固まりをクチャクチャ口中で噛んでいたそうです。それで歯がボロボロにになったそうです。
福田先生は決まって話しの最後に「ぜったい戦争はしたらいけんばい!」。「何もよかことはなか、人が死ぬだけ」「一般市民にしわ寄せがあるだけ」の話しで授業が終りました。なんとか必死に生き延びて還ってきたそうです。今もご存命であれば90歳前後くらいだと思います。
ニュースなどて戦争の話しになると、福田先生を思い出します。それと母が長男を背中におぶって、空襲の炎の中を逃げ郊外に歩き続けたと子どものころから聞かされたことがメモリーになっています。