永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

続く。70年代のころのこと。

2010-12-12 18:36:30 | 日記・エッセイ・コラム
70年代と云えば、日本はまだまだ豊かさを求めていた時代でした。今の時代は格差とか貧困とか経済の厳しさなどの言葉で表現されていますが、当時は社会全体が成長期で貧乏が楽しい時代でした。
そのころぼくは会社員をしていましたが、そのころは給料振込みではなく手渡しで貰う薄い給料袋でも当時の物価では結構満ちたりた衣食住の生活ができていました。でも給料のほとんどをレコードや本、映画、旅行に費やして、食べるものにはお金はかけていませんでした。当時の写真を見ても、からだはガリガリの体躯でした。でも毎日が楽しい思い出になっています。
当時、小倉駅南口の横のビルにジャズ喫茶アベベがありました。同じビルの一階にアルゼンチンタンゴを聴かせる喫茶店“サリー”がありました。映画『東京タワー』の場面で小倉の街が描かれた通りです。界隈は、当時新宿の街にも似た猥雑な空間でしたが、結構文化的で時代の先端を行っていた空間のある街でした。サリーの経営者は当時60代のご夫婦で門司に住いを持っていらっしゃる方で、会社を退職後、隠居の楽しみで趣味のアルゼンチンタンゴ喫茶を経営されていました。ほくは仕事の息抜きによく通ったものです。今はこのお店はありません。ぼくはコーヒーを愉しみに通っていたのですが、ガリガリに痩せたぼくを見て心配してか、ときどきスパゲッティーをお代をとらずに奥さんが「食べなさい」と驕っていただいたことを今でも懐かしく思い出します。巷でコミュニケーションがよく行き交っていた時代です。はたちの1971年です。