永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

テレビがおもしろく楽しかった頃。

2010-04-07 05:57:22 | 日記・エッセイ・コラム
画材店に買い出し。「こんにちは」と店内に入ると、店員がこちらの顔は見ているが反応がない。買物をしていて、商品に解らないことがあり尋ねるが、不愛想で返事の声がはっきりしない。虫の居所が悪いのか店員に笑顔がない。商売の原点なし。以前は買物をしても気持ちの雰囲気があったけれど、店内には活気がない。客対応にKY。空気が読めないというより空気が淀んでいる。精算の時、いつもはしないのだが値切る。用の目的は済ましたのでさっさと店を出る。
昨今、『ニューノーマル』という言葉が流行りだ。『新しい常体』という意味らしい。グローバル化の果ての末、政治・経済が相変わらず渾沌としていて、5年先の日本は破綻するなどとどこかの知事が言っていたが、冷戦の対立の時代が終り、テロリズムの一方的な時代になってしまった状況、出口の見えない社会構造に『ニューノーマル』ということばだけでイニシアチブをとり通念に変えようということか。
最近テレビを見なくなった。NHKの朝ドラ、大河ドラマ以外はまったく見なくなった。他の番組はぜんぜんおもしろくなく、社会的ニュースは新聞・ネットで得る。でも、とっている新聞も最近は記事レイアウトがフリーペーパーなどでみられるようなデザインになってきて肝心の記事に説得力がない。野球・相撲結果はラジオ中継で聴くほうがイメージが拡がって臨場感がある。
テレビは、1950年後半から60年代がいちばんおもしろかったような気がする。その頃のぼくは小・中・高とこどもの成長過程だったから、当然、娯楽番組。当時は時代が高度成長もあり、番組にもサービス精神が発揮されていて、毎日、新聞の番組編成をわくわくするようにその日の番組をチェックしていた。『家族番組・ジェスチャー』、力道山の『プロレス中継』。プロレス開始前のリングで掃除機を回すのがコマーシャルとはわかっていても儀式みたいに見ていた。『私の秘密』、『チロリン村とクルミの木』、『ハイウェイ・パトロール』、『名犬リンチンチン』、『名犬ラッシー』、『ローン・レンジャー』、『番頭はんと丁稚どん』、『ポパイ』、『コルト45』、『ローハイド』、『ララミー牧場』、『サンセット77』、『ライフルマン』、『快傑ゾロ』、『アンタッチャブル』、『てなもんや三度笠』、『ベン・ケーシ』、『隠密剣士』などなど。数えればきりがない。テレビタイトルはほとんど憶えている。日曜日の夕方は、『ディズニー・ランド』からはじまって『鉄腕アトム』、『隠密剣士』、『コンバット』の順で見るのは親から許されるがテレビ観戦はそれでお終い。
時代背景は、ケネディ暗殺からベトナム戦争、東京オリンピックとはげしく動いていたが、こどもにとってはテレビが思考のチャンネルを教えてくれていた時代。今のソースは携帯・ネット文化みたいなもの。今の時代はスピードが速い。ときどきブレーキをかけないと社会が破滅するのではないかと思ったりする。