永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

龍馬の時間軸と伝達。

2010-03-28 07:05:42 | 日記・エッセイ・コラム
下関功山寺の長府博物館で『坂本龍馬と三吉慎蔵』展を観る。
龍馬は土佐を脱藩して6年後に32歳ではかなく世を去っている。展示してある龍馬から慎蔵宛の手紙を読んでいると当時の時勢がよくわかる。京都の情勢を逐一、情報にして手紙を発信している。慎蔵を媒介にして長州、薩摩に情報を流していたのだろう。
情報の大切さを認識していた龍馬は現代の情報社会のそれと、決して劣らない。伝達手段こそ今とは違うが、逐一手紙の手段で情報をとっていたということは日にちの長さの違いだけで、手紙を運ぶ交通手段が当時の時間の流れで社会が動いていたのであって、社会の流れのスピードは今とスライドして見たらそう違いはない。たぶん、当時は通信手段は官製ではないだろうから、宿場と宿場を繋ぐ飛脚によるものだろう。時間と情報のスピードは絶えず手紙を送っておけば、そんなに問題はない。
龍馬は時代を大きく変えた源の人物としてドラマなどでは表現されているが、ひょっとしたら当時の情報社会でのスパイ的な役割を持っていたのかもしれない。
龍馬が常に刺客に命を狙われていることもあり、最後の手紙では、お龍さんの面倒など処遇を慎蔵に託す文面には命がけで仕事をしている様子が読めて、幕末激動の時代に身を置く人の宿命を感じる。
龍馬といえば長崎のイメージが強いが、脱藩してからの主な所在は下関だ。活動の拠点は下関が軸になっている。最後はお龍さんと住いを持って生活の暮しを営んでいるのがほほえましい。




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