永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

六根清浄。

2008-04-26 19:50:45 | 日記・エッセイ・コラム
一坂太郎さんが高杉晋作の日記を現代語訳にされ興し記した本を持って大里の海岸に行く。海からの風でかなり肌が寒い。この本は12年前に出版された本だ。この本を海岸のベンチに腰かけて、久しぶりに読む。僕はその昔NHK大河ドラマの“火神”を見て以来、高杉晋作の虜である。そのドラマは大村益次郎をテーマにしたストーリーだつたのだが、なぜか高杉晋作にひかれたのである。というのも、僕のお爺さんは肥後藩の藩士で、小倉と長州の戦争で小倉の赤坂の守備隊となって手向山から赤坂海岸を防衛していたのだ。高杉晋作の奇兵隊と対峙していたのである。実際には幕府側の小倉と熊本の兵は長州には手が出なかったそうだ。お爺さんは僕が5歳くらいまで生きていた。当時100歳近いくらいだつた。当時としては凄い長生きである。僕の記憶では蚊帳の中で生き仏さんみたいにじっとしたのを憶えている。頑固にチョン髷を結っていた。肥後藩士野爺さんは熊本の地方の半農半士である。僕の亡くなった親父(僕は親父が遅い時にできた子。親父が43の時の子。親父は明治生れ。)からよく爺さんの話しを聞いた。小倉戦争からの帰りに婆さんに博多で博多帯びを買って熊本に帰ったという話しをよく聞かされた。僕は小倉に就職をし、それから結婚して、最初に住んだのが小倉の手向山というところだ。爺さんが駐屯していたところだ。何の因縁か知らないが、親父がそのことを喜んだことを憶えている。この本は高杉晋作が江戸末期に書いた日記だ。幕末動乱の山口、江戸遊学、上海遊学のことを日記にしている。今の日本を憂いするかのように、若い晋作の目でみた国土を書いている。晋作は明治維新を見ぬまま29歳の若さで没している。