今朝『クールジャパンについて』(がんばってる個人を支援してほしい等)と、『表現の自由について』(森美術館とかレスリーキーとかの件等)についての意見をまとめて、内閣府の『規制改革ホットライン』に書いて出しました・・・本当に出しました。
さいきん、特にひどいと思ったので我慢できなくて、自制とかも効かなくなって、自分で出来ることはこれくらいですが、とにかくやったんです!
そういえば、どこかの貧しい地域で、手作りで楽器を作って楽団を作ったら、犯罪も問題も減ったってのを思い出しました・・・文化を『これ以外は認めない』として規制とかして結果、荒んでいって犯罪や問題が、もしくは規制が厳しくなって人らしく住みにくくなったり、果てには戦争でたくさん人がなくなったりしたことも思い出しました・・・
遊んで暮らすことや、贅沢三昧をする・・・とかを推奨してるわけではないのです。
価値はモノを作った人が決めるものでは無く、誰か他のひとが決めるのです。
ゴッホさんやの絵のお値段やそういうの。
あと上手い下手(食べ物の上手いまずいもそう)の二元論もそうです、絵でも何でも本人のその時点での最高作。
そんな事情がわからない人が物事の上手い下手決めるのです。
もっと重要なことも大切な何かもその二元論は一掃してしまいます。
それのいちばん典型的でこわいのが、『なんでもトップでなければいけない』『過剰なくらい売れなければいけない』『そんなのは無駄です』『それは無価値』といったの。
なにが高級で価値があって何が低俗でつまらないのか、馬鹿なこととすばらしいこと、優れている劣っている・・・そういったことは、わたしも含めてただの他人のものさし、いわゆる『主観』でしかないのです。
その『主観』を『主張』するのはいいのですが、自分の主観を孤高の唯一の正道ととらえて、それを人に『これはいい物だ』と薦めるのならまだいいとして、他人がそれを理解できないのを、『おかしい』『理解力が無い』『審美眼が無い』とか言うのは間違ってます。
『これはみんなが言ってるから、これはすごいものだ!すばらしい!』を参考にして自分で判断できるのならいちばん良いのですが、何かの権威の方やどんなに偉い人でも、それを押し付けたり、それで物事の優劣を決めるのは、なにかが違うと思います。
今のこの世の中なので、安心感や統一感や安全だとかなんとか、これはやばいので規制しないと犯罪も起きるし危ない、などのそういった考えも『主観』に基づいているのです。
そういったのがエスカレートすると、今のこの国や世界の諸問題に発展するのです。
統一された文化、暮らし、規制、世の中の仕組みすべてがそうなると、もはや人間ではないと思います。
人間にはココロがあります、ココロは人体を構成する部品である脳の一部の外界の刺激に対する機能と反応なのかもしれません、でも、それだけではない何かがあるのです、その何かが、人間である定義だとわたしは考えます。
いま、わたしは精神的な病気の状態です、世間で言う普通の状態ではないのですが、その普通ってなんなのか?わたしにはその普通ってなにかが理解できません。
混沌と秩序の進歩と調和の可能性、・・・これはわたしがさいきん思ってることですが、たぶんわたしが死ぬまでわたしの中での結論はでないでしょう。
文化が無くては人間は生きていけないのですし、文化が有っても規制されすぎなのも人間は生きていけないのです。世界中の人がいろいろな文化を持って暮らしてそして生きているのです。
個人の『主観』での好き嫌い等は一切否定しません・・・が、それを押し付けて、そのものが好きな人に「世間に悪影響」で抗議や規制を行ったり、嫌いなものを無理矢理押し付けて「これが正しいこと」と、たくさんの個人をまとめる立場になってる人がそれを行うのは断固として否定します。
人間は誰のモノでもないのです、親子であっても、師弟であっても、上司部下であっても、そうなのです。
誤解と混乱を招くかもしれませんが、人間が団結して一致して何かを成し遂げるとかはすばらしい、いいことだと思います。文化的にも社会的にも上記の人間性さえ保障できたら、相互理解があって信頼関係があって、ひとりの『主観』を押し付けるものでなければ、誰もに納得できるすばらしい『主観』や主観を『主張して』更なる発展があるのなら、わたしたち人間はもっともっと豊かに明るくたのしく、時には苦難を乗り越えて、科学や文化や人間性が発展していくと思います。
理想郷は遠くにはないのです、すぐそこに、みんなの相互理解や社会的にも本当の意味での民主制や共産制や人間性があれば、今居るここが本当の理想郷なのです。
政府の『クールジャパン』も自国の文化の紹介だけでなく、他国の文化の理解とかにも、ただしく予算を回していけば、もっと文化的に発展すると思いますし、本当の『クール』な『強い』日本になれると思います。
世界全体でみても『自分だけが』の『主張』がなければもっと早くに文化も科学も発展するでしょう。
この文章もわたし自身の『主観』で書かれてるので、褒められたり賛同されたり批判されたり炎上したり無視されたりするのかもしれませんね。