ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

東急池上線途中下車(5) 荏原中延駅

2015年09月05日 08時00分00秒 | まち歩き

 中延駅から中延商店街を歩いています。アーケード街を通り、品川区には昔ながらの店がまだ多く残っていることを、荏原町および中延で実感しているうちに、アーケードが終わっていました。もう、池上線の荏原中延駅の近くに来ています。

 そこで、今回は久しぶりに東急池上線途中下車シリーズとなります。ようやく第5弾です。

 第4弾は旗の台駅で、「待合室」の第436回から第438回まで、東急大井町線途中下車シリーズ(2)と一緒にしましたが、それは2011年8月20日から9月8日までのことでした。4年も経過して、ようやく隣の駅です。

 ちょうどアーケードが終わった所に交差点があります。一方通行ですが車の通りは多く、歩く際には注意を要します。交差する道路も商店街となっており、昭和通り商店街と名付けられています。奥に進めば中原街道です。

 中延商店街のアーケードの終点から国道1号線に向かう道路で、浪花会通りと名付けられています。やはり商店街で、東中延に展開しています。ここに読み方を示すものがなく、品川区のサイトなどにも書かれていないのですが、浪花は「なみはな」なのでしょうか、それとも「なにわ」なのでしょうか。どちらにしても、一瞬「大阪か?」と思える名称ですが、品川区にあります。

 先の2枚と同じ交差点です。アーケードの終点または始点です。ここまで来れば、荏原中延駅はすぐそばです。左側が浪花商店街で、右側は昭和通り商店街となります。また、この交差点から手前のほうは荏原中延東栄会となります。

 荏原中延東栄会を歩いていると、すぐにこのモダンな、あるいは奇抜な建築物が目に付きます。これが荏原中延駅です。池上線はこの下を通っています。同線では長原駅に次ぐ地下駅ですが、このようになったのは1989(平成元)年のことでした。それまでは地上にあったので、私が立っているところは踏切または線路の上であったこととなります。

 荏原中延駅が開業したのは1927(昭和2)年8月28日のことで、蒲田から路線を伸ばしてきた池上電気鉄道が雪ヶ谷から桐ヶ谷までを開業させたことによります。

 雪ヶ谷、桐ヶ谷のいずれも、地名としてはともあれ、駅名としては聞き慣れませんが、どちらも既に廃止されています。雪ヶ谷は1923(大正12)年に開業しましたが、1928(昭和3)年に移転し、1933(昭和8)年には調布大塚と合併して現在の雪が谷大塚駅となります。一方、桐ヶ谷駅は1945(昭和20)年7月25日に休止し、1953(昭和28)年8月11日に廃止されました。ちなみに、桐ヶ谷から大崎広小路までが開通したのは1927年10月9日、五反田まで開通したのは1928(昭和3)年6月17日でした。

 改札口は地上にあり、ホームは地下にあります。IK04という番号が割り当てられていますが、改札口では示されていません。ICカード専用の自動改札機は設置されていないようです。

 池上線は他社の路線との乗り入れを行っていませんが、実は五反田~旗の台については都営三田線と乗り入れる計画がありました。しかも、旗の台からは大井町線を通り、田園都市線の長津田まで相互直通運転を行うというものです。また、高島平からは東武東上線の和光市まで向かい、そのまま東上線に乗り入れるという計画も盛り込まれていました。三田線が西高島平という中途半端な場所で終点となっているのは、こうした直通運転計画のためで、元々、高島平~西高島平は東武の路線として免許が付与されていたのです。しかし、相互直通運転は幻に終わります。東武は東京都交通局に先の免許を譲渡します。また、三田線は三田から泉岳寺、五反田を経由することとなっていましたが、浅草線に転用されました。そのため、三田線の正式な起点は長らく泉岳寺とされていました(今でも蓮根駅付近の高架橋には証拠が残っています)。

 ただ、池上線と大井町線の改良は難しかったでしょう。池上線の各駅のホームは18メートル車3両分しかありませんし、大井町線の各駅のホームは20メートル車で5両分という所が多いのです。九品仏駅は4両分しかありません。五反田⇔旗の台については新線を建設するしかなかったはずです。

 荏原中延駅には東急ストアが同居しています。また、オリジン弁当の店舗も入居しています。

 駅名の由来ですが、たしかにここは旧荏原区(荏原郡荏原町)の中延にあります(所在地は中延二丁目となっています)。そのために荏原中延という名称にした、とも言えます。

 しかし、近くに大井町線の中延駅および荏原町駅があります。いずれも、現在の住居表示で中延、戦前も荏原区荏原町の大字中延またはその周辺にあります。大井町線が目黒蒲田電鉄によって建設され、池上線が池上電気鉄道であったこと、および、同じ年とは言え、荏原中延駅が中延駅および荏原町駅より1か月以上遅れて開業したという事実からすれば、池上電気鉄道が対抗意識を出して名付けたのではないかとも考えられます。確実な資料が手元にないので推論するしかないのですが、大井町線、池上線の両線が当初から同じ会社によって建設されたのであれば、荏原中延という名ではなく、「西中延」、「北中延」などと名付けられたのではないか、などと考えられるのです。

 荏原中延駅から東栄会を歩き続けます。このまま進めば武蔵小山商店街の東端に近い平塚橋交差点に出られるのですが、今回はそこまで行きません。

 まだ午前中ということからか、別の理由によるのか、この辺りは人通りが少なくなります。まだ開いていない店も多いようです。ただ、履物屋のような店なども所々にあり、昔ながらの商店街という感じがします。私は、荏原町駅前などについても下町という表現を使いましたが、品川区には下町という表現が相応しいように思えてなりません。

 変わった店を見つけました。中には御覧の物ばかりが並べられているのです。

 最近はガシャポンなどと言われていますが、私が小学生であった1970年代後半の川崎市ではガチャガチャなどと言われていました。カプセルトイと言い、スーパーカー消しゴム、鉄道消しゴム(電車や機関車の形をした消しゴム)、バネのおもちゃなどがカプセルの中に入っていて、当時は10円玉2枚を入れてハンドルを回したものです。一時期消滅したように見えたのですが、最近は復活したのか、また増えています。

 ちなみに、ガシャポンはバンダイの登録商標となっています。

 さらに歩くと中一商店街となります。中延一丁目に入りました。駅から離れつつあるので、商店も減ってきます。この辺りも高層住宅が少ないので、歩いていると気分がよくなります。ただ、2015年8月28日の午前中は曇天でした。

 もっと歩いて平塚橋に出てもよいのですが、まだ回りたい所があります。荏原中延駅に戻ることとします。

 現在の荏原中延駅、1番線ホームです。ホームドアはありませんが、柵が設けられており、センサーも仕掛けられています。池上線および東急多摩川線の各駅に共通する構造です。2番線に到着した電車に乗って奥のほうへ進めば、次は戸越銀座です。何回か行ったことがありますが、駅付近の一部しか歩いたことがないので、いつかしっかりと回りたいと考えています。

 しかし、今回は1番線に来る蒲田行きを利用します。次の旗の台で大井町線に乗り換え、残る駅を目指します。

 ここから言い訳がましくなりますが、田園都市線の沿線に住んでいる者にとって、池上線は取り上げにくい存在です。ようやく、荏原中延で第5弾となりましたが、今後も進めにくいことを白状しなければなりません。

 第1弾:洗足池(大田区) 「待合室」の第180回(2006年8月18日から25日まで)および第181回(2006年8月25日から9月1日まで)

 第2弾:池上(大田区) 「待合室」の第209回(2007年3月30日から4月9日まで)

 第3弾:大崎広小路(品川区) 「待合室」の第380回(2010年9月16日から23日まで)、第383回(2010年10月8日から15日まで)および第384回(2010年10月15日から21日まで)。

 第4弾:旗の台(品川区) 「待合室」の第436回(2011年8月20日から27日まで)、第437回(2011年8月21日から27日まで)および第438回(2011年8月27日から9月8日まで)

 まだ取り上げていない駅:五反田、戸越銀座(以上、品川区)、長原、石川台、雪が谷大塚、御嶽山、久が原、千鳥町、蓮沼、蒲田


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