ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

岳南鉄道線に乗ってきました

2014年08月09日 21時18分29秒 | 写真

 (以下は、「川崎高津公法研究室」の「ひろば」に、「別室27」として2013年5月2日掲載に掲載し、2013年5月11日に再掲載したものです。こちらに移行するにあたっては、表記などに修正を加えましたが、内容に変更がないことを、あらかじめお断りしておきます。)

 自動車社会、少子高齢化、中心街空洞化、首都圏への一極集中、……。

 地方のローカル線を囲う状況は、ますます厳しくなっています。21世紀に入ってから、各地で廃止に追い込まれる路線が多くなりました。しかも、それは中小私鉄に限られていません。大手私鉄でも、たとえば名鉄の谷汲線、揖斐線、美濃町線、田神線、岐阜市内線、竹鼻線の一部(江吉良~大須)、三河線の一部(西中金~猿投、碧南~吉良吉田)などが廃止されており、広見線の一部(新可児~御嵩)、西尾線の一部(西尾~吉良吉田)および蒲郡線の存廃議論も生じています。

 他には、近鉄の北勢線が三岐鉄道に譲渡され、伊賀線と養老線は子会社に引き継がれています(分離された訳です)。いずれも三重県内の路線(但し、養老線は岐阜県内も通る)です。そして、2012年、近鉄は、同じく三重県内の路線である内部線と八王子線を廃止するという意向を表明しました。

 大都市圏も公共交通機関の衰退と無縁ではありえません。存続が危ぶまれ、あるいは廃止される路線が出てきました。西鉄北九州線が全廃されたのは2000年11月ですので20世紀最後の年の出来事ということになりますが、福岡市東区の貝塚から福津市の津屋崎までの区間であった西鉄宮地岳線のうち、西鉄新宮~津屋崎が2007年4月1日に廃止され、残った区間が貝塚線となりました。大手私鉄ではないのですが神戸電鉄の粟生線も、存続か廃止かで揺れ続けました。とりあえずは存続しますが、巨額の赤字が解消される見通しはなく、厳しい状況は続きます。

 2013年に入ってから、西武ホールディングスと投資会社サーベラスとの対立により、西武秩父線、山口線、多摩川線、国分寺線および多摩湖線の廃止がサーベラスから提案された旨が報じられました。ついに首都圏の大手私鉄も、純粋な廃線が問題となるような状況に来ていることになります。

 私は、職業的な関心と趣味的なそれとの兼ね合いもあり、時折、地方中小私鉄や大手私鉄のローカル線などを利用します。もっとも、数は多くありません。行く地方も限られています。昨年には、2月に千葉都市モノレール、5月に豊橋鉄道渥美線(他に名鉄各務原線など)、9月に松浦鉄道西九州線と島原鉄道線、11月に近鉄内部線・八王子線、三岐鉄道三岐線および北勢線、豊橋鉄道東田本線、そして12月に岳南鉄道線(正式な名称はありません)を利用しました。この「待合室」やブログの「ひろば」でもいくつかを取り上げてきましたが、今回は岳南鉄道線の様子を紹介しましょう。なお、以下、「ひろば」に掲載した2012年12月26日付の「岳南鉄道線に乗ってきました」、および2013年1月25日付の「岳南鉄道が鉄道事業を分割」に大幅な修正、編集および加筆を施したものであることをお断りしておきます。

 岳南鉄道と言えば、ステンレス車体の吊り掛け駆動電車が走り、東急の初代5000系が走ったことでも知られています。長い間、乗ってみたいと思っていましたが、その機会になかなか恵まれず、ようやく意を決して、2012年12月25日に乗ってきました。

 同社は、1948年、伊豆箱根鉄道駿豆線の前身である駿豆鉄道が路線の免許を取得し、その系列として設置された会社でした。1949年に鈴川(現在の吉原)~吉原本町が開業し、1953年には現在の吉原~岳南江尾が全通します。その後、岳南鉄道は駿豆鉄道系から富士急行系に移っています。2013年、子会社の岳南電車が設立され、鉄道事業が移管されました。

 岳南鉄道線は、静岡県富士市にある東海道本線の吉原駅から北のほうに伸びる、10キロメートル足らずの路線です。元々は貨物輸送が主体の路線ですが、2012年3月、JRのダイヤ改正に伴って貨物輸送が廃止され、存続が危ぶまれる状況になりました。いや、それは以前からの問題であるかもしれません。貨物輸送は1960年代にピークを迎えましたが、その後はトラック輸送への転換が進み、旅客輸送の収入が上回るようになったのですが、その旅客輸送もかなり落ち込んでおり、何年か前にDMV(Dual  Mode  Vehicle)の実験も行われていますし、初代東急5000系が1996年に引退して元京王井の頭線3000系の7000形と8000形に置き換えられた頃からワンマン運転が始められました。平日の朝などを除けば1両編成2本で済むほどですから、乗客が少ないことは容易に推測されます。

 静岡県富士市に着きました。市名の通り、富士山が間近に見えます。撮影場所は、吉原駅の北、国道139号線沿いのコンビニエンスストアの駐車場です。静岡県には富士宮市もあるので紛らわしいという印象を受けますが(この他、伊豆市と伊豆の国市という例があります)、富士市には製紙をはじめとして工場が多く、新幹線の車窓からでもすぐにわかります。現在の富士市は、1966年11月1日、富士市、吉原市および鷹岡町が合併して成立しており、2008年11月には富士川町を編入する形で合併しました。市内で50ヘルツと60ヘルツとの境界が存在します。

 ローカル私鉄に乗るために出かけるのですから、本来であれば鉄道路線を利用すべきでしょう。5月に豊橋鉄道渥美線を利用した時、11月に近鉄内部線・八王子線などを利用した時は、新幹線を利用しました。しかし、今回は自宅から吉原駅まで愛車の5代目ゴルフGLiを運転しました。コースは、自宅の近くを通る国道246号線を走り、宮前区の有馬で給油して、横浜青葉インターチェンジから東名高速を走り、片道120キロメートル余り、富士インターチェンジで降りて一般道を走り、JR吉原駅まで、というものです。

 新幹線で行かなかったのは、面倒であったからです。富士市には新富士駅がありますが、この駅は新幹線のみの駅で、東海道本線(在来線)の富士駅や吉原駅からかなり離れています。しかも新富士駅には「こだま」しか止まりません。新幹線ならば三島駅での乗り換えという手もありますが、これも面倒です。本数、待ち時間などの兼ね合いから、5代目ゴルフの運転となりました。

 吉原駅付近に駐車場があるかどうかを調べ切れなかったので、周辺を走り回りました。駅の北口の裏通りに、1日100円という駐車場があったので、そこに車を停め、JR吉原駅に向かいました。駅の構内には、おそらく貨物用のスペースであったと思われる場所があり、現在はJR貨物が経営する駐車場となっているのですが、月極でした。

 こちらは東海道本線の駅で、改札口は奥の階段を昇って2階にあります。富士市の工業地帯にある駅だけに、かつては貨物輸送も行っていました。現在もJR貨物の駅として事務所が置かれています。 ちなみに、吉原駅は旧吉原市の代表駅でもありますが、吉原地区から少し離れた鈴川にあり、明治時代に開業してから1956年までは鈴川という駅名でした(それまでは、現在の本吉原駅が吉原と名乗っていました)。

 今回はJR東海道本線を目的にしているのではありません。そこで岳南鉄道の吉原駅を探します。案内板がありました。駅前の、あまり広くない幅の道を西のほうに数百メートル歩くことになります。

 戦後に開業した岳南鉄道の吉原駅は、JR吉原駅から少し離れた所にあります。工場街の中にあり、注意していないと見落としそうになるような場所にありますが、終日駅員配置駅はこの駅だけです。それにしても、起点にしては目立たない駅です。切符売り場があるので駅だとわかりますが、自動券売機もなく、鉄道グッズの案内ポスターばかりが貼られているので、売店と勘違いしそうです。

 JR吉原駅から岳南鉄道吉原駅までの道です。完全に工場街で、岳南鉄道のほうの駅前からはプレス機械か何かの音が響いてきます。川崎市に生まれ育ち、町工場になじんでいた私にとっては、懐かしい光景です。川崎区、幸区は勿論、中原区、高津区にも小さな工場がたくさんあり、平日の昼間にはあちらこちらから機械の音、油の匂いに包まれたものです。

 この道を奥のほうへ進めば、JR吉原駅です。駅舎は少し離れた場所にあります。御覧のように狭い道で、本当に駅に行けるのかどうか不安になりますが、右のほうには東海道本線の線路や架線が見えるので、大丈夫です。

 吉原駅で一日フリー切符を買いました。硬券です。しかも、懐かしい、東急の初代5000系の写真でした。岳南鉄道には、1981年に2両編成4本、計8両が移籍し、15年ほど活躍していました。東急時代はライトグリーン一色でしたが、岳南鉄道では赤が混ざったようなオレンジ色に白の帯という塗装でした。元々が軽量車体であり、電力の節約にも貢献したそうですが、1996年に定期の運用から外れます。その後も在籍していましたが、老朽化が進行し、2008年に全て解体されています。

 一日フリー切符の裏面です。私が購入したのは平日用で、土休日用は別にあり、しかも安くなっているようです。他にも鉄道グッズがたくさん売られており、この点は他の多くの鉄道会社と共通します。

 まだ電車が到着していませんが、改札口からホームを撮影してみました。番線表示がないのですが、付番されているのでしょうか。屋根が昔のアーケード商店街か何かに似ています。よく見るとビニールの波板が貼られていました。ホームの屋根というよりは小屋の屋根に近い雰囲気です。

改札口の近くに掲示板があります。首都圏の駅にはこのようなものがない場合、あるいは、あっても広告だらけの場合が多いのですが、この駅は違うようです。

 ここはちょっとした展示コーナーになっています。岳南鉄道は長らく貨物輸送を主力としてきたので、写真も電気機関車ばかりです。11月に訪れた三岐鉄道三岐線の東藤原駅と似たような空間になっています。

 距離の割には随分と多くの電気機関車が保有されていたものですが、2012年に貨物輸送が全廃されたので、現在、電気機関車の活躍の場はありません。但し、車籍が残っているのかもしれません。

 左側のガラス窓の向こうには、電気機関車などの車両に据え付けられる金属製のプレートなどが展示されています。勿論、鉄道グッズ販売のための広告も貼られています。

 9時39分、1両だけの電車が到着します。降りた客は10人くらいだったでしょうか。見れば、京王井の頭線で活躍していた3000系、通称「ステンプラカー」です。東急の初代7000系に次ぐオールステンレスカーですが、前面の上半分のみ、日本で最初にFRPを使用し、編成によって色を変えていたために人気のある車両でした(しかも7色でした)。現在、岳南鉄道の他に上毛電気鉄道、北陸鉄道、松本電気鉄道(アルピコ交通)、伊予鉄道に譲渡され、活躍しています。岳南鉄道には、中間電動車の両端に運転台を取り付けた7000形と、2両編成の8000形が在籍しています。

 側面には京王時代の面影が色濃く残っていますが、正面は改造されて運転台が設けられただけに、元の3000系に似せてあるとはいえ、かなり雰囲気が違います。前面は、FRPも使用されているものの普通の鉄製のようです。現在、7000形は3両で、全て単行(1両編成)で運行されているようです。

 さて、この電車が 9時50分発岳南江尾行きとなり、折り返します。乗客は20人くらいでした。

 発車すると、しばらく東海道本線と並走して、右に大きく曲がりますが、工場街の中を走る光景は川崎区内の工業地帯を想起させます。実際、鶴見線の沿線を思い出しました。富士市は、万葉集にも登場する田子の浦を抱えるとともに、竹取物語の最後の場面の舞台となったとも言われており、その一方で製紙工場や部品工場などの多い工業地域なのです。岳南鉄道は、その工業地域を走り抜ける貨物輸送主体の路線でした。全線を通じて、その痕跡が色濃く残っています。しかし、視線を変えると目の前に富士山の威容が広がります。日本最高峰を見ながら移動する訳です。

 車内放送は自動で、わざわざ「無人駅です」などと案内します。時折、天気のよい日に田園都市線の二子橋から遠くに富士山や丹沢の山々を遠くに見るに過ぎない私にとっては、車窓という点で岳南鉄道線はなかなかの路線ですが、カーブが多く、速度もあまり出ません。駅間の距離が短いので仕方がないかもしれません。ただ、国道139号線など、自動車の通行量は多いため、利用客が少ないのです。10代か中高年(とくに女性)の客が多く、20代からの青年層の客が少ないようです(もっとも、朝のラッシュ時を過ぎていますので、正確にはわかりません)。

 1つ目がジヤトコ前で、交換不能の無人駅です。扉が開く左側には住宅がありますが、右側は工場でしょう。すぐに2つ目の吉原本町に着くと、乗客が半分くらいに減ってしまいました。右側の扉が開きます。列車交換ができない駅ですが、日中は駅員がいます。次の本吉原でまた半分くらいの客が降り、車内の客は私を含めて5人しかいません。ここで列車交換をしましたが、相手の7002号は、ステンレス車にしては錆のようなものが目立ちます。

 この先は、工場街に入ったり住宅街に入ったりしながらゆっくりと走り抜けます。岳南原田駅も交換可能駅で、右側が開きます。ここでは富士山が左側に見えます。構内が広く、貨物施設も残っていました。また工場街を走ると、引き込み線が残っている工場もあります。岳南鉄道線が貨物路線であったことの証拠です。この引き込み線は、島式ホームを備える交換可能な(従って進行方向右側の扉が開きます)、しかし無人駅の比奈駅につながっています。この駅を発車し、踏切を越えるとヤードのような施設があり、岳南富士岡に着きます。構内には、もう二度と営業運転をすることがないものと思われる電気機関車と貨車が置かれていました。製紙工場の名前が車体に書かれています。また、岳南富士岡駅の構内には車庫もあり、7001が休息をとっていました。

 住宅街に入り、長い直線を走ると、やはり、交換可能で右側が開くのに無人駅の須津(これで「すど」と読みます)に着きます。ここで乗客は、私を入れて2人のみとなりました。他に従業員らしき1人も乗っています。この辺りからは農地交じりの住宅地が見えてきて、少し経ったら交換不能の神谷です。ここで1人が降りたので、乗客は私だけとなりました。発車して、右へ左へカーブし、新幹線に近づき、下をくぐれば、終点の岳南江尾駅です。10時11分、進行方向左側から降りました。

 岳南江尾駅の建物です。割に大きいのですが、無人駅で、かつて存在したと思われる切符売場には板が打ち付けられています。自動券売機もありません。何故か吸殻入れが置かれています。また、自転車が何台か停められていますので、朝方に通勤か通学のために利用する客が少なくないのでしょう。

 すぐそばに東海道新幹線の高架橋があり、何分おきかで「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」が高速で通過していきます。新幹線の車窓から、岳南鉄道線は見えません。無人駅の岳南江尾駅との、あまりに強烈なコントラストが印象的です。駅の構内と言ってもよいような場所に古紙リサイクル業者の工場があり、その作業の音と新幹線の通過音以外には何も聞こえてこないのですから。

 改札口、と言っても無人駅なので何もありませんが、飲料の自動販売機の上には出発案内か何かのために使われるべきものがあります。もっとも、全く使われていないのでは用途などは不明です。

 時刻表や運賃表などが貼られている掲示板です。この駅から電車に乗る場合には、とりあえずホームへ行き、電車に乗ったらすぐに整理券を取ればよいのでしょう。私は一日フリー切符を持っていましたので、整理券などは不要でしたが、或る意味で面倒な制度です。岳南江尾駅は終点ですから、ここから乗るならば整理券がないとしてもすぐに「この客は岳南江尾から乗ってきたな」とわかるはずで、そうであれば整理券も何もいらないでしょう。

 電車でもバスでも整理券がありますが、これは日本独自の制度でしょうか。ドイツのフランクフルト・アム・マインの路面電車の場合は、ただの停留所でも自動券売機があり、日本で言う信用乗車制を採用していました。たしか、ハイデルベルク、ヴュルツブルク、ミュンヘンでも同様です。日本の鉄道事業者やバス事業者は、よほど乗客を信用していないのでしょうか。

 ここですぐに折り返してもよいのですが、せっかく終点まで来たからには、少しでも歩いてみるべきでしょう。そこで、目の前の高いところにある東海道新幹線の高架橋を見ながら、歩いてみました。

  駅の前の道は狭く、住宅と農地以外には何もない、と思っていたら、すぐそばにマックスバリュ富士江尾店がありました。他に商店らしいものがほとんどなく、商店街もなく、人通りもあまりないような場所なので、マックスバリュの看板は目立ちます。100円ショップのセリアも同居していますが、他に店舗スペースがあり、テナント募集の貼り紙がありました。駐車場にある自動車も多く、店内に入ってみると午前中にしては多くの客がいます。もっとも、これは郊外型のスーパーマーケットなどでよく見られるものです。

 他に寄るような場所もないので、店に入り、何となく商品などを見ていました。すぐに不思議な気分になりました。駅から歩いて1分か2分くらいの場所ですが、ほとんど人気(ひとけ)のない駅とマックスバリュの店内とがあまりに違うからです。岳南鉄道ではICカードを使うことができませんが、マックスバリュではワオンなどのカードを使えます。自動車の多さと、電車の客の少なさ。街道筋に展開する店舗の多さと、駅前の店舗の少なさ。妻への土産などを買いました。

 岳南江尾駅に戻ります。この駅のホームには2両編成の8000形(これも元京王3000系)が止まっていますが、通勤時間帯などにしか使われないらしく、パンタグラフも下ろされ、車輪には手歯止めがかけられています。正面に「がくちゃん かぐや富士」と書かれたヘッドマークが付けられています。よく見ると、かぐや姫のイラストも書かれています。

 こうした電車を日中に走らせないのは勿体ない話です。首都圏などであれば、いわば看板として走らせるでしょう。昼間に2両編成を走らせるのが無駄だからというのであれば、単行に愛称なりヘッドマークを付けて走らせなかったのは失策であるとしか思えません。要するに自社の広告を付けて走るようなものですから、日中に主力として運行するのが当然でしょう。終点の駅に留置するだけでは無意味です。

 ともあれ、元京王3000系の8000形は、岳南江尾駅のホームの北側に留置されています。番線表示がない上に、1両編成は専ら南側に到着しますので、実質的には留置線です。

2両編成ですが、ローカル私鉄の終着駅では長く見えます。井の頭線を走っていた時代は5両編成でした。

 駅の南側にも留置線らしいものがあります。実は、岳南鉄道線にはこの先、沼津駅方面への延長計画があったようです。しかし、結局は断念されました。車止めの先、民家のある辺りまで線路が伸びていたとのことです。また、この駅でも貨物の取り扱いを行っていたことがあり、それらしい雰囲気も残っています。

 再び、東海道新幹線の高架橋を見ます。新富士駅はこの先で、吉原駅とジヤトコ前駅との間で再び岳南鉄道線の上を横切り、さらに東海道本線を横切り、しばらく進むと、東海道本線で唯一、他の鉄道路線との乗り換えがない駅に着きます。なお、右側に留置線や専用線の跡らしき線路が残っていますが、左側の本線とはつながっていません。

無人の終着駅に、花壇があります。地元の方々が植えられたのでしょう。

これがなければ寂寞もはなはだしく、荒廃の印象すら受けられるところでしょう。

地元の、鉄道存続への思いがこめられているのでしょうか。

駅の南方を撮影してみました。駅の周囲には民家などがあるのですが、少し先には広大な農地と思われる空間があります。

 地図を見て気づいたのですが、この岳南江尾駅から南南西のほうへ進むと東海道本線の東田子の浦駅に出ます。そのような路線が計画されていなかったのかどうか、明らかではないのですが、やろうと思えばできたかもしれません。さらに欲を出して環状線にすることもできたでしょう。岳南鉄道線は、大まかに言えば楕円形の半周のような路線です。東海道本線と、東名高速道路付近から始まる山地との間の狭い平野部分にある様々な工場を結ぶために、現在のような路線となったのでしょう。ただ、貨物輸送には適しているとしても、旅客輸送には不利な形です。最も南にある吉原駅を出ると、しばらくしてから北上し、やや北西に変え、最西端の吉原本町駅に着き、そこから今度は北東に進路を変えれば本吉原駅、東に変わったと思ったらまた北上し、最も北にある岳南原田駅に着きます。そこから今度は南東へ進路を変え、東に変わったと思ったら比奈駅です。こんな調子なので、比奈駅や岳南富士岡駅から吉原駅に向かうにはバスか自家用車のほうが早いでしょう。どうかすると自転車でもよいかもしれません。

 駅舎とホームとを結ぶのは連絡通路ですが、かつては構内踏切であったことがよくわかります。この駅がいつから無人駅となったのかはわからないのですが、大きさなどからしてかつては有人駅であったはずです。貨物列車が行き交うなど、賑やかな時代があったのでしょうか。

 最近のローカル線では、たとえばJR系列によく見られるように、旧来からの駅舎を取り壊し、ただのプレハブ小屋のような待合室を設けたり、建物を一切設けなかったりすることが多くなりました。経費(固定資産税など)の削減のためでもあるのでしょう。しかし、どれほど乗客が少なくとも、この駅舎は現在も残されています。

 今はほとんど使われていないと思われる留置線です。左側にも線路が敷かれていたはずです。

 10時47分、岳南江尾駅に1両の電車が到着しました。降りた客は2人か3人でした。これが10時53分発の吉原行きとなります。車内にはクリスマスの飾り付けが至る所に行われていました。もしかしたら、以前、東横線と田園都市線で走っていたTOQ  BOX号のようなものかもしれません。吊り革に付けられている広告が統一されていたのです。乗客は私だけで、次の神谷で1人乗り、岳南富士岡で客が11人になり、岳南原田で17人になりました。無人駅が多い路線ですが、岳南富士岡と岳南原田は通勤通学時間帯のみ駅員が配置され、吉原本町は日中のみ駅員が配置されます。その吉原本町で乗客が11人になり、ジヤトコ前で10人になりました。従って、終点の吉原では10人の客が降りたということになります。

 短い時間に1往復しただけですが、存続は厳しいと感じます。「鉄道貨物の衰退、ここに極まれり」という言葉を象徴するかのような経緯がありますし、ラッシュ時に2両編成が運行されるとはいえ、富士市も典型的な自動車社会で、乗客はそれほど多くないでしょう。市内を車で走ってみてわかったのですが、商業施設は国道139号など道路沿いに展開されており、岳南鉄道の沿線にはあまりありません。あるとすればロードサイド型で、電車に乗って買い物に行くような客は少なそうです(今回、商店街らしいものを見つけることができなかったのでした。吉原駅前も閑散としており、工場と若干の店と駐車場があり、あとは住宅地だけです)。

 富士市は特例市で、2012年12月1日現在の人口は26万180人(同市の公式サイトによる)ですが、政令指定都市の中を走る静岡鉄道や遠州鉄道ほどには利用客の条件に恵まれていません。また、伊豆急行、伊豆箱根鉄道駿豆線、大井川鉄道は、いずれも大手私鉄のグループに属し(伊豆急行は東急系、伊豆箱根鉄道は西武系、大井川鉄道は名鉄系)、観光地にも恵まれています(大井川鉄道に至っては、鉄道路線そのものが観光施設のようなものとなっています)。これに対し、岳南鉄道は観光地にも恵まれていません。たしかに沿線の至る所から富士山が見えますし、竹取物語の舞台の一つでもあるのですが、あまり宣伝されていないのか、広く知られていないようです。静岡県の私鉄の中で最も地味な鉄道とも言えるでしょう。親会社の富士急行が山梨県内の大月~富士山(富士吉田から改称)~河口湖を結び、観光資源などにも恵まれているのとは対照的です。

 自動車運転免許を持っていない青少年層と高齢者層にとって、岳南鉄道線は生活の足とも言えます。しかし、20代以上の青年層、中年層などの、運転免許を所持している人々の少なからぬ部分にとっては、利用する意味のない路線となっています。渋滞してでも自家用車のほうが便利なのでしょう。それがよいことかどうかについて、ここで私が記すべきことではありません。或る種の選択なのですから。しかし、その選択の結果が、岳南鉄道を初めとして日本全国のローカル私鉄(そしてJRのローカル線)の衰退、さらに路線バスの衰退にもつながっています。されば、この選択は地域の破壊につながるものであるのかもしれません。

 〔ちなみに、選択という行為の意味について、非常に興味深い本を、12月22日に青葉台で見つけました。ケント・グリーンフィールド(高橋洋訳)『〈選択〉の神話 自由の国アメリカの不自由』(紀伊國屋書店)です。〕

 もう一つ書き加えておかなければなりません。2012年3月に岳南鉄道の貨物輸送が廃止されたのは、JRグループのダイヤ改正が原因でした。国鉄時代の様々な悪評も手伝って、鉄道貨物は風前の灯となって久しいのですが、鉄道貨物の復権が叫ばれるのと現実とでは大いに異なることが明確にされた改正となりました。むしろ、死滅に向かってまた一歩前進した訳です。

 そればかりでなく、JRのダイヤ改正によって、少なくとも結果的には「殺される」、そこまで行かなくとも前途に暗雲が漂うようなローカル私鉄がいくつか現れています。貨物輸送と新幹線(とくに在来線の経営分離)によって、今後、廃線、さらに会社の解散などに追い込まれるようなところが続出するかもしれません。

 ここで話は2012末から2013年に移ります。2013年1月24日、静岡新聞と静岡放送の共同サイト「アットエス」に、7時50分付で「岳南鉄道、鉄道事業を分割 経営改善目指す」という記事が掲載されました(http://www.at-s.com/news/detail/474560537.html)。

 それによると、岳南鉄道は、4月に鉄道事業を分割し、その上で「岳南電車」という子会社を設立する方針を固めました。これにより、「意思決定の迅速化と財務状況の透明性を高め」て同社の経営改善を目指すとのことですが、赤字部門を本体から切り離すということは、鉄道線の廃止を視野に入れた方針である、ということでしょう。また、岳南鉄道線に対しては、富士市から年間6500万円の補助金が支払われることとなっています(2014年度まで)。そうである以上は経営努力の姿勢も見せなければなりません。1990年代に廃止され、会社も消滅した野上電気鉄道のように、補助金に頼り切り、ほとんど経営努力もしてこなかったというのでは、補助金の正当性すら疑われることとなります。

 「鉄道」を名前に掲げる会社の多くでは、もはや鉄道は主力事業ではありません。岳南鉄道もそうであるかどうかはよくわかりませんが、不動産事業や物品販売事業も行っており、これらは黒字なのだそうです。かつてはバス事業も行っていましたが、全て同系列の富士急静岡バスに譲渡されています(岳南鉄道は富士急行の系列に属します)。

 上記記事には、次のようなことも書かれています。

 まず、子会社は、資本金を1億円とし、普通株式を1000株発行します。その上で、普通株式は全て岳南鉄道に割り当てられます。

 次に、現在岳南鉄道の鉄道部門に勤務する従業員24人は、全員が子会社に移籍します。

 利用者にとって最も関心が高いのは運賃とダイヤでしょう。これらは、子会社設立後も変更しないとのことです。

 JR北海道で試運転が行われていたDMVも走ったことのある岳南鉄道線は、子会社に分離されることでどのようになるのでしょうか。存続か、廃止か。注意深く見ていく必要があります。

 

 追記(2014年8月28日)

 岳南江尾駅で撮影した動画を追加しておきます。


YouTube: 岳南江尾駅を発車する7000形(モハ7003)


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4 コメント

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Unknown (名無し)
2015-08-14 17:01:28
観光資源は無いと書かれてますが、
かぐや姫以外にも駅の外は富士八海の一つであった浮島沼や富士山の湧水地が多々あり観光資源にも恵まれていますよ
Unknown (通りすがり)
2018-06-21 00:41:55
路線形の話ですが、東海道本線と岳南鉄道に挟まれた地域は、元々広大な湿地帯で、その為あのような路線形になっているものと思われます。東田子の浦駅を降りると、北に向かって一旦土地がかなり低くなります。昭和30年代までは田んぼのみで、殆ど人家も往来も無かったそうです。旧東海道と東海道本線は砂洲状の土地の上に有る事になります。現在、と言っても何年か前の情報になりますが、今でも岳南鉄道南方辺りまでは水田になっていますが、その東側、沼津市との境界付近は農地にすらなっておらず、草茫々の地です。
岳南鉄道のすぐ北側にバス路線にもなっている県道がありますが、これと岳鉄が近接し、人家もこの付近に集中しているのも、地形に起因していると容易に想像が付きます。東海道が荒天などで往来不可の時には、こちらが街道として機能したそうです。江戸時代なんて、防潮堤の無い海岸沿いの道なんて怖かったでしょうしね。
因みに今は、防潮堤と新幹線、二重の盛土に守られているような形になっていますね。
東海道本線から北上する区間が旧東海道に近接して存在する事、富士市と沼津市の境界がその草茫々の地に有る事、岳南江尾からの東進が叶わなかった事、これらはそれぞれ独立した事情ではないと思われます。

川崎多摩丘陵地帯からでしたら、東名江田-東名中里バス利用、そこから須津駅まで歩くという手段もとれますね。これで何とか、公共交通だけでそこそこ楽に?訪れることが出来ます。
東名ハイウェイパス自体もかなり不便になって来ていますが。東名富士でしたら中里よりは幾分マシです。
Unknown (通りすがり)
2018-06-21 00:54:53
あ、訪れた時草茫々だったのは減反政策か何かの影響だったかもしれません。
すみません、大変遅くなりました。 (川崎高津公法研究室長)
2019-04-24 23:22:17
湿地帯ということであれば、あの線形になることも理解できます。あれこれと調べてみなければなりませんが、そうすることによってまたあれこれとわかってくるものですね。
また、私は田園都市線の沿線に住んでいますので、たしかに東名江田バス停を使うという手もあります。名前と異なってあざみ野駅からのほうが近いのですが、あざみ野駅から江田駅まで東急バスの路線もあります。
ただ、九州は大分市に7年間も住んだことがあるのに、高速バスを利用したのは2回か3回だけ、しかも大分市在住時にはゼロです。何故か敬遠してしまうのです。

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