デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

セカンドハンドの時代

2017-02-14 23:11:04 | 買った本・読んだ本
書名 「セカンドハンドの時代-「赤い国」を生きた人々」
著者 スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ(松本妙子訳) 出版社 岩波書店 出版年 2016

600頁を越える大著、1キロ近くの重さ、通勤中に読むのに最もふさわしくない本である。しかし自分はいつもの習慣どおり、通勤中に読むことになった。読了するのに2週間以上かかってしまった。この間にぎっくり腰になったということもあり、この本を読むために、行きも帰りも極力座れるように各駅電車に乗ることにもなった。2週間、実に重かった。それは本の重さではなく、書いてある内容が伝える重みだった。読了するまでこれだけ時間がかかったのは、ここで語られるひとりひとりの話しの内容があまりにも重くて、ひとりのひと話しが終わったとき、とてもじゃないがすぐに次の人の話しを読むに気になれなかったからである。なぜかつてソ連という国に生まれた人たちは、こんな目にあわなくてはならないのか、37年にピークを迎える粛清の時代、身近な人たちから告発され収容所に送り込まれ、ドイツとの戦争でギリギリのなかで生き抜いてきた人たちにとって、ペレストロイカとはいったいなんだったのか、スターリン時代も第二次世界大戦も知らなかった人たちにとって、ペレストロイカの熱狂はなんだったのか、そしてゴルバチョフやエリツィンによって資本主義と自由の幻を見せられた民衆が、そのあとに見たものはなんだったか、そしてソ連という枠組みを失ったとき、民族や宗教や国境が立ち現れ、こうまでも人々は残酷に殺し合うことができるのか、そんな時代の渦のなかで、一度は夢を見た人たちの絶望がこれまで生々しく語られることのその重さに、読んでいる方が果てしなく落ち込んでしまうのだ。なぜこれほどまでに人間は過酷な運命に立ち向かわなければならないのか、そんな重い思いに打ちひしがれた2週間であった。ただ一度も読むのをやめようとはおもわなかった。むしろこの書は、我々ソ連やロシアを相手に仕事をしてきた、そこに多くの友人をもつ自分は絶対に読まなくてはならないものであった。
なぜアレクシェーヴィチは、このユートピアシリーズ5部作の最後に「セカンドハンド」というタイトルをつけなくてはならなかったのか。それほどまでに過酷な時代を、そのときは正義のために生きてきた人たちが目指した未来が、マヤコフスキイやメイエルホリドが「ミステリアブッフ」で見た輝かしい未来が、もろくもそして無残にもなくなり、かつての打倒しようとし知識人や民衆が目指した無情な権力が繰り返し現れてくるその虚しさがそこには投影されている。去年みたゲルマンの「ファウスト」のあのグロテスクな映像がかぶってくる。
この痛ましい現実を赤裸々に描きながら、この本がルポルタージュやノンフィクションではなく、文学にまで昇華しているのは、事実を明らかにすることだけで終わろうとしていないからである。ここに収められているたくさんの証言のひとつひとつは事実を語っているのだが、アレクシェーヴィチはそれをただ事実として書きとどめるのではなく、そこにしっかりとひとりひとりが生きた証をくみ取っている。ここには人間の生きざまが刻印されている。
未来が不在となったいま、どうやって「赤い国を生きた人たちは生きていくのか、それはわれわれの問題でもある。ここに集められている99%絶望に瀕した人たちの話しのなかに、まったく未来はないのだろうか。いまとんでもなく重苦しい読後のなか、それでもなにかかすかでも未来が見えたような気になっているのはなぜなのだろう。もしかしたらこの中で理不尽な恋のために捨てられたユーラという男がこんなことを語っているのがどこかで自分のなかでひっかかっているのかもしれない。
「これはだれにでも起きることなんです。うつうつとした気分、それはペストのように、みんなを襲う。汽車に乗って窓のそとをながめている、するとなんだかうつうつとした気分になる。まわりはうつくしい、目をそらすことができない、それなのに涙がこぼれて、自分をどうすればいいのか、わからない。そう、ロシア的なもの悲しさ・・・・。人はすべてを持っているでも、やっぱりなにかが不足していんです。それでも生きている。みんなはなんとか耐えているんです。」こんなロシア的な生への渇望がこの書の中に登場する人たちのなかにあったのではなかったのか。<iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=deracinetuush-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4000611518&linkId=3a8eb8dc26f2dc35bb4d58b5d3169831"></iframe>


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1 コメント

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大島さま (Yozakura)
2017-03-18 18:25:39
 今回、陳述されています図書ですが、かなり昔に読んだ米原万里の著作や、彼女が好んで紹介していた図書を想い出しました。
 旧ソ連からロシアに続く政治動向や社会体制が激変しても、姿勢の庶民の暮らしは特に目立った改善向上も無い儘に、鬱々たる情況が続く----と云った通奏的な基調が背景にあり、それが亦、救われない閉塞感を齎すのですが、
 不思議なことには、それが読者を魅き付ける磁力となって、一旦読み始めると止まらなくなるのです。

 また感想なぞありましたら、お報せ下さい。お元気で。

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