ジャンル ステージ
公演名 「みわぞう sings 三文オペラ」
会場 神戸・キャバレー「月世界」(配信で観覧)
2年前にみわぞうのライブで、進行役をしていた大岡淳の翻訳ができたばかりに、この訳をつかって演じ歌った三文オペラのダイジェスト版を聞いて、それまであまりピンとこなかったこの芝居が、身体にすっと入っていくのを感じ、国立劇場とか神奈川芸術劇場で真剣ぶって見る芝居ではなく、ラフな感じで楽しむ芝居だったのではないか、ならば全編通してこの調子で見たいものだと思った。ただひとりで全編歌い、演じるというのはやはり大変な労力を使うことで、それでなくてもみわぞうは、イディッシュ語やポーランド語の歌に挑戦するなど、活動の幅を広げているので、そんな時間はなかなかできないだろうなと思っていた。それがなんともう実現するというので、びっくりした。彼女がこの公演のあとのトークシーョで言っていたことだが、コロナで時間ができて、練習する時間ができた、コロナ禍でもなにかできるということを示したくて、必死に練習したという。このど根性あっぱれである。最初の「マック・ザ・ナイフ」を聞いて、めちゃめちゃ歌が上手になっているのに、びっくりした。彼女の歌はどんどんよくなっているのを、毎回聞くたびに感じているのだが、今回はじっくり練習する時間ができたということもあるんだろうが、ほんとうによくなっていた。歌が身体に入っているんだろうなと思う。
全編通した「三文オペラ」。文句なしに楽しめた。大岡の見事な進行と紙芝居にみわぞうの七変化の歌と芝居に引き込まれた。なによりステージの佇まいがとても素敵だった。「月世界」というキャバレー空間がつくりだした舞台の雰囲気に、トークショーで大熊ワタルでも言っていたが、1930年代のベルリンのキャバレーを舞台にした映画「キャバレー」の世界に連れて行かれた。キャバレーの客席空間が映像ではいまひとつ伝わらないところがあるが、こればかりはライブを見る人たちだけの特権であろう。
なによりヴァイルの歌をたっぷり聞けたのも良かった。歌を中心に組み立てられるのが、今回の企みの一番の肝となっている。そのためこの歌をどう歌うかが、味噌となる。なによりも大変なのは、歌を歌う人物が違うことで、これを自分のものにするためには、かなり大変だったことは想像に難くない。ひとつの工夫として、みわぞうが七変化し、違う登場人物になりきることにしたわけだが、これはとても効果的だった。ひとりで歌い分けるというのは簡単なことではない、単調にもなりかねない、それを登場人物になりきることで、作品のアクセントをつけることにもなった。この手法で奥行きを与え、さらにはみわぞうの魅力も増幅させていった。特に死刑に臨むメッキーの歌にこめた思い、階級社会の矛盾、不合理さを見事に歌いきった。
日本語も歌にのりやすくなっているのだろうが、身体に入ってくることで、改めてこの芝居が「三文オペラ」であることを実感できた。大道芸や大道歌の手法を生かしつつ、マヤコフスキイが「ミステリアブッフ」をつくった時に、ミステリアスなものと滑稽なものを強引にくっつけることによって革命のエネルギーを表現したように、三文(乞食)とオペラを大衆歌謡なども取り入れ、さらには乞食による叛乱などを背景にめぐらせたこの芝居の持ついかがしさが浮かんでくる。それが歌によって引き出されることになった。
みわぞう、大岡淳、そして大熊ワタルと仲間たちによって見事に演じきられた「三文オペラ」、これをやりきったことによって、またいろいろな可能性も見えてきたのではないか。私が見た神戸公演のように、キャバレーという舞台空間でやることによって、ブレヒトやヴァイルの時代のキャバレー的いかがわしさを浮き出させることもひとつだった。今回は演奏に徹したバンドがコロスのようなこともできるような気もする。進行で紙芝居が使われていたが、人形とか使っても面白いかもしれない。小さな舞台で見る「三文オペラ」の魅力を見事に引き出した野心的な試み、十分に堪能させてもらった。何度でもいろいろな工夫を加え上演してもらい、みわぞうのライフワークにしてもらいたい。
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