元細胞生物研究者の日記

某病院に勤務する医師です。以前は細胞やマウスを相手に仕事をしていましたが、現在は医療に携わっています。

臨床研修制度

2006-07-30 | Weblog
病院や医院の診療科には内科、外科、産婦人科をはじめとして、様々な分野がありますが、医学部を卒業した医師は自由にどの科でも専攻することができます。A大学の医学部を卒業したから外科医になれないとか、B大学の医学部を出たから皮膚科医にしかなれないとか、そのようなことはありません。以前は医学部を卒業した直後に自分の専攻を決めていました。多くは大学病院の自分の選んだ診療科に就職することが多く、私も母校の皮膚科学講座に就職しました。
2年前よりこのような医師の就職状況に変化が起こりました。厚生労働省の定めた臨床研修制度により、卒後2年間は必ず内科、外科、救急医学などを学び、どの科の医師でも必要な技術や知識を身につけることになりました。医学の進歩に伴い、蓄積された知識、技術は膨大なものになっています。おのずと医学の分野も細分化されざるを得ず、医師は自分の専門分野以外の診療に自信を持って対応できなくなってきています。医師が自分の専門科以外が分からない”専門バカ”になってしまい、その弊害を解決する為の手段として始まったが、この研修制度です。
私も皮膚病以外は分からない専門バカですので、この制度の趣旨には大いに賛成をします。しかし、今のままで良いのかどうかには疑問を持っています。現在の臨床研修制度では循環器内科や消化器外科などを3ヶ月から半年くらいで少しずつ学ぶようになっています。すなわち、全ての臓器をそれぞれの専門分野の医師から学べば全身が診察できる医師になれるとの考えに基づいているのです。
しかし、長くても半年くらいの短期間で各臓器の診察が責任もってできるとは思えません。残念ながら不十分な知識しか身に付かないと思います。医師にとって最も必要なものは判断力と技術です。今まで学んだ経験、知識に基づいてどんな薬をどれだけ投与するのか決定したり、研鑽をつんで身につけた技術を用いて手術や検査を行ったりできることが重要です。そしてそのような医療行為を自分の責任で実行できるような医師を育てるのが研修であると思います。どのように研修カリキュラムを工夫してもすべての臓器でこのようなことできるような医師を作ることは2年間ではダメです。いや、何十年費やしても不可能だと思います。もし、そうだとしたら現在行われている臨床研修制度は意味があるのだろうか?と思ってしまいます。
次回はどのような研修制度が良いのか、私の考えを述べようと思います。

教授になること

2006-07-15 | Weblog
最近、多忙な日々が続き、なかなかブログをアップデートすることができません。
アクセスしていただいている方々にお詫びします。
これからは短くても、なるべく頻回にアップデートするようにしたいと思います。

さて、”皮膚外科”のタイトルの文章に以下のようなコメントがありました。

なぜ、偉くなるまたは教授になりたいのでしょうか?
もしよろしかったらどのような心理がそれを求めるのか、
見解を示していただけたら幸いです。

なぜ、偉くなりたいのか?それは、私には分かりません。人間とはそういうものである、としか答えられません。
どのような職業でも目標とする地位があると思います。料理人なら料理長、裁判官なら最高裁判事、学校の先生なら校長先生、会社員なら役員や社長、コンビニエンスストアーの店員だったら店長でしょうか。そして医師の場合は医学部の教授ということになると思います。それぞれの組織に属すればそのトップになりたいと思うのは自然な欲求だと思います。
もちろん、すべての人が”偉くなる”ためだけに仕事をするのではないでしょう。仕事はほどほどにして、家族と過ごす時間を大切にする人、趣味の時間を多く持つ人、出世より自分が納得できる仕事内容を優先する人、いろいろいると思います。

私は自分の出世の為に患者様の不利益もいとわないような医師はいない、と言い切りたいですが、現実にはそんなことはありません。自分の出世を第一に考えている医師も少なからずいると思います。
上記のコメントは全ての医師は自分の出世のことより患者様の治療に専念すべき、という患者様からの厳しい意見なのかもしれません。
私も肝に銘じたいと思います。(私が医学部の教授になることはありませんが。)


小説「ドクターズ」

2006-04-09 | Weblog
エリックシーガルはアメリカの大学教授であり、作家でもある才能にあふれた研究者です。彼がハーバード大学医学部の医学生の青春像を描いたのが「ドクターズ」です。
ハーバード大学院卒業の医者といえばエリートの中のエリートと言ってよいと思います。そのような大学を卒業できるのだから資質、家柄、経済力全てに恵まれた人々だろうと思います。しかし、小説に出てくる超エリートたちも、学生が誰でもストレスに思う試験にも気をもみ、試験結果に一喜一憂していました。若者が誰でも悩む性欲に、はやりこの超エリート達も悩むし、グラマーな女性に心を引かれていました。在学中に結婚した医学生は子供の病気に右往左往し夜泣きに苦しみ、臨床医学の講義が始まると自分自身に起こった体の不調を”癌”と診断していました。

さて、このような医学小説なのですが、皮膚科を揶揄する記述が数カ所みられます。引用してみます。

皮膚科はある点では気に入っていた。まず第一に、皮膚科の専門医ならとんでもない時間に呼び出されることなどない。患者を死なせることもない。それに膨大な量の薬種を記憶する必要もない。ランスがみるかぎり、患者にはコージゾンかペニシリンでも与えておけばいいだけの仕事のようだった。あるいは、もっと想像力がなければ(そして貪欲でもなければ)、皮膚疾患はたいてい自然に治るものです、とでも言っておけばいいだけのように見えた。

私は皮膚科医ですから、このような記述に対して不満や不快感を覚えます。しかし残念ながら、決してでたらめではなく、当たっている事もあります。さらにこのよう見方は、他の専門科の医師からもあると思います。
たとえ、このように思われていても、そんなことをものともしない実力のある皮膚科医になれるよう、私は日々研鑽しています。(でもまだまだ未熟者ですが。)

月田教授の自伝記

2006-02-25 | Weblog
昨年12月に膵臓癌で他界された月田承一郎教授が亡くなる直前に執筆された本が出版されました。
「小さな小さなクローディン発見物語」という本です。さっそく購入して読みました。
タイトジャンクションの研究にブレークスルーをもたらした月田承一郎という研究者の歩みが記されています。
私は月田教授という研究者は順調に成果を上げていった方だと思っていましたが、改めて彼の研究人生を振り返らせてもらうと、やはりいくつかの壁にぶち当たることがあったようです。しかし、月田教授と仲間たちは努力とエレガントな工夫で見事にその壁を打ち破り研究を進展させています。

私は仕事上で壁にぶち当たるとすぐに壁のない方向へ逃げることが多かったように思います。もう30歳をとっくに越えて、何を今更という感じですが、やはり、時には仕事上の障害を打ち破ることの大切さを改めて、月田教授から教えていただいたような気がします。

クローディンの発見という「大きな」足あとをサイエンスの世界に残した月田教授、著書やホームページを通して私に仕事に対する心構えを教えてくれた月田教授に
「ありがとうございました。」
と、改めてお礼を申し上げたいと思います。

梅毒の歴史

2006-02-11 | Weblog
梅毒というのはSTD(sexually transmitted diseases; 性行為感染症)のひとつです。抗生物質ができてから患者数は激減しましたが、皮膚をはじめとして、様々な臓器に病変を作る重要な疾患です。

梅毒は紀元前15000から3000年前くらいから存在したそうです。しかし、全世界に爆発的に流行したきっかけはコロンブスの新大陸発見(1492年)です。この航海時にスペイン人の航海士がハイチの人々から感染し、ヨーロッパに持ち帰りました。コロンブス自身も梅毒性大動脈炎で死亡したと報告されているそうです。
その後、すぐにヨーロッパ全土に拡大しました。梅毒は空前の関心事になっていて、フランスではナポリ病、ロシアではポーランド病、イタリアではフランス病と呼んでいました。これはこの病気をライバルの国の名前で呼んだ為です。同時期にパスコダガマのもとで働いていた航海士達が梅毒をアジアに持ち込んだようです。いつ梅毒が日本に入ってきたかを調べると、初めて京都で大流行したのが1512年で、その一年後に江戸に入ってきてたようです。
コロンブスの新大陸発見からたった20年で京都で梅毒が流行しているのです。
今のように飛行機が世界中を飛び回っている時代ではありません。室町時代の末期です。
私は人間の生殖行動の偉大さに感心してしまいます。

以前は皮膚科は皮膚泌尿器科といって泌尿器科と一緒でした。皮膚泌尿器科の時代は性病(STD)は重要な診療、研究の対象でした。
しかし、現在、STDは皮膚科、泌尿器科のどちらかも興味を失われ、しっかりSTDを診察できる医師が減っています。私も体系的にSTDについて研修を受けたことはありません。

人間が存在する限り、STDはなくなりません。STDがなくなるときは人間が生殖行為をやめる時だと思います。そのような重要なSTDを治療できる医師も必ず必要であると、私は時々思っています。