このところ『電子書籍の衝撃』のことばかり書いていた。でもそこにはいろんなヒントがつまっていたからね。で、今日は前回書いたことをもとにVODについて考えてみたい。
『電子書籍の衝撃』に書いてあることから発想して映像コンテンツのアンビエント化についてこないだ書いた。そのつづきの話でもあるよ。
映像コンテンツがアンビエント化しはじめている。最初はレンタルビデオだった。ビデオがDVDになって、どんどん多様な作品が視聴できるようになった。旧作名作もどっさり置いてある。そうした状況にうれしい悲鳴をあげたものだったなあ。
その昔、30年近く前、大学生になって上京した頃は、東京に名画座がものすごくたくさんあって驚いた。学生時代は学校にいる時間より映画館にいる時間の方が長かったんじゃないかな。毎週、ぴあを抱えて東京中の名画座で見たかった映画を見まくったものだ。
名画座がいっぱい、とは言え、映画館で見ることができる作品には限りがある。文芸座なんかで監督別の特集上映なんかがあると、これは見なきゃと通ったものだ。鈴木清順や岡本喜八などのプログラムピクチャー時代の作品を探しあてて見たのが素晴らしい体験になっている。
そうした、一所懸命映画館で見ていた頃に比べると、いまは新作準新作から名作旧作まで、なんともお手軽に見ることができるようになった。映像コンテンツのアンビエント化が起こりつつあるのだ。・・・そしてそんな状況になると・・・どれを見ればいいのかわからなくなってしまうのだ!
あるいは、こんな経験をみんなも持ったことないだろうか。ビデオ屋に行くと、劇場で見逃したちょい話題作のDVDが並んでいる。おお!これ、出てたんだ、借りよう!と思うと全部レンタル中。うーん残念!
翌週行くと、前の週に借りたかったものが次の棚に移動してレンタルできる状態になっている。ところが今度はまた別の話題作が新作コーナーに並んでいる。うわ!これ見たい!と思ったらまたしても全部レンタル中。さあそこで、まあいいやと前の週に借りたかったものを借りるか、というと・・・うーん、これ見たかったけど、あまりそういう気分じゃなくなっちゃったなあ。それより、今週出たこっち、見たかったなあ・・・と、前の週あれほど見たかったものがそうでもなくなってしまう・・・
さらに、学生時代に見逃していた名画が、何の気なしにポンと、ビデオ屋に置いてあったりする。一瞬、あーこれ、あの頃見れなかったあれだ!とコーフンする。でもその次に、また別の日に借りるか、とやや冷めた気分になり、結局借りなかったりする。おかしいなあ、あの映画はすんごい見たかったんじゃなかったっけ?どうやら、いつでも見れるんだと思うと、いつになっても見ないのだ。
つまり、レンタルビデオ店は「新しいかどうか」という軸しか提示できていない。『電子書籍の衝撃』の表現を借りれば、「新しいですよ」というコンテキストしか示してくれていないのだ。
最近わが家も導入したVODサービス。これがまた何も提示してくれない。「新作」として出てくるのはあまりにも数が少ない。そしてひとつひとつの作品の解説も情報量が少なく味気ない。出演者とあらすじだけ読んで、知らない映画を観たくなるか?
だから映像コンテンツのアンビエント化は、個々の映像コンテンツの魅力を失わせてしまうのか?いやいや、まだまだこれからってことなんだよ。やりようはあるんだよ。どうすればいいか、少しずつぼくはわかってきた、つもりだぜ・・・それはまた次回ね・・・
『電子書籍の衝撃』に書いてあることから発想して映像コンテンツのアンビエント化についてこないだ書いた。そのつづきの話でもあるよ。
映像コンテンツがアンビエント化しはじめている。最初はレンタルビデオだった。ビデオがDVDになって、どんどん多様な作品が視聴できるようになった。旧作名作もどっさり置いてある。そうした状況にうれしい悲鳴をあげたものだったなあ。
その昔、30年近く前、大学生になって上京した頃は、東京に名画座がものすごくたくさんあって驚いた。学生時代は学校にいる時間より映画館にいる時間の方が長かったんじゃないかな。毎週、ぴあを抱えて東京中の名画座で見たかった映画を見まくったものだ。
名画座がいっぱい、とは言え、映画館で見ることができる作品には限りがある。文芸座なんかで監督別の特集上映なんかがあると、これは見なきゃと通ったものだ。鈴木清順や岡本喜八などのプログラムピクチャー時代の作品を探しあてて見たのが素晴らしい体験になっている。
そうした、一所懸命映画館で見ていた頃に比べると、いまは新作準新作から名作旧作まで、なんともお手軽に見ることができるようになった。映像コンテンツのアンビエント化が起こりつつあるのだ。・・・そしてそんな状況になると・・・どれを見ればいいのかわからなくなってしまうのだ!
あるいは、こんな経験をみんなも持ったことないだろうか。ビデオ屋に行くと、劇場で見逃したちょい話題作のDVDが並んでいる。おお!これ、出てたんだ、借りよう!と思うと全部レンタル中。うーん残念!
翌週行くと、前の週に借りたかったものが次の棚に移動してレンタルできる状態になっている。ところが今度はまた別の話題作が新作コーナーに並んでいる。うわ!これ見たい!と思ったらまたしても全部レンタル中。さあそこで、まあいいやと前の週に借りたかったものを借りるか、というと・・・うーん、これ見たかったけど、あまりそういう気分じゃなくなっちゃったなあ。それより、今週出たこっち、見たかったなあ・・・と、前の週あれほど見たかったものがそうでもなくなってしまう・・・
さらに、学生時代に見逃していた名画が、何の気なしにポンと、ビデオ屋に置いてあったりする。一瞬、あーこれ、あの頃見れなかったあれだ!とコーフンする。でもその次に、また別の日に借りるか、とやや冷めた気分になり、結局借りなかったりする。おかしいなあ、あの映画はすんごい見たかったんじゃなかったっけ?どうやら、いつでも見れるんだと思うと、いつになっても見ないのだ。
つまり、レンタルビデオ店は「新しいかどうか」という軸しか提示できていない。『電子書籍の衝撃』の表現を借りれば、「新しいですよ」というコンテキストしか示してくれていないのだ。
最近わが家も導入したVODサービス。これがまた何も提示してくれない。「新作」として出てくるのはあまりにも数が少ない。そしてひとつひとつの作品の解説も情報量が少なく味気ない。出演者とあらすじだけ読んで、知らない映画を観たくなるか?
だから映像コンテンツのアンビエント化は、個々の映像コンテンツの魅力を失わせてしまうのか?いやいや、まだまだこれからってことなんだよ。やりようはあるんだよ。どうすればいいか、少しずつぼくはわかってきた、つもりだぜ・・・それはまた次回ね・・・