何がわからないかの続きを書くよ。でもたぶん、ひっく、酔っぱらってるから短く終わるだろうなあ。
iPadでコンテンツを出そう、コンテンツ売場を作って商売をしよう、めざせ世界!そんなロマンと野望で賑やかになってきた。
さてここでわからなくなってきたことのひとつ。
そうやって商売だビジネスだという時の目標は、たくさん売れることにはまちがいないだろう。でもそれめざしていくと、あれ?結局これまでのマスメディアでやろうとしていたこととおんなじじゃない?って戸惑いに襲われる。
iPadってそういう場所なんだっけ?
そこに、今日読んだこのブログがぼくらを優しく諭してくれた。例の野村総研の山崎氏が言っているのは、「コンテンツが王様」という捉え方から離れた方がいいんでね?ってことだ。
おーい、ちょっと待ってくれよー。ぼくがiPadに心躍らせているのは、いよいよメディアよりコンテンツが主役になる舞台が登場したぞ、ってことなのに。
でも、そうなんだね。メディアとコンテンツどっちがえらいんでしょう競争をしてもしょうがないよね。メディアがあって、そこに大量の人がやって来るからパッケージされたコンテンツがうごめくことができた。その仕組みが崩壊する時、メディアとコンテンツの立場が入れ替わるってわけじゃないんだ。
山崎氏が続けて書いている。
マスメディア時代の「コンテンツは王様」から「①コンテンツと②アップスによる心地よいサービスと③知り合いとの社交や自己表現」の時代へと映像消費は変化しています。
うーん、まったくその通りだぜ。メディアの替わりにコンテンツが王様になるんじゃないんだ。これからの王様は、ユーザー、視聴者、消費者、なんだ。コンテンツの作り手は、特別なぼくの座から降りてぼくはきみになりきみはぼくになるかも、ってスタンスで作らないといけない。プロとか職人とかじゃなくていいんでね?おれって普通の人じゃね?ってスタンス。普通の人と一緒に作る感、が大事になってくるんじゃないか。
それは必ずしも、「じゃあアプリの中に投稿コーナーを設置しよう」ってことでもない。うまく視聴者に「共有」してもらう仕組みをつくればいいのかも。
我が相方@higekuma3はブログの最新記事でこんなことを書いている。電子コンテンツを読んだら「ちぎって投げられる仕組み」というアイデア。これも、共有の新しい形態なのかもしれないし、それによって視聴者のお友だちが巻き込まれていくプロモーションの仕組みにもなっているわけ。
でえー?!ちぎるの?投げるの?せっかく丹精込めて、ぼくのクリエイティビティとノウハウをこってり使ってできあがったこの魂のコンテンツを、ちぎったり投げたりされるのイヤだもん!そんな風にいじけたくなる?うん、気持ちわからなくもない。でもね、それは20世紀なんだよ。
21世紀のぼくたちは、ジョン・レノンにも、スピルバーグにも、スティーブン・キングにもなれないんだ。それにならなくてもいいんだ。彼らは丁寧に複製されたコンテンツがメディアを通して国中(世界中)に到達する、マスメディアの時代のヒーローなのだから。
そんな超越的な存在をめざすのではなく、自分と心が重なり合う人たちと”おともだちになる”ことをめざそう。
言ってること、わかるかしら?
ていうか結局長かったね。
iPadでコンテンツを出そう、コンテンツ売場を作って商売をしよう、めざせ世界!そんなロマンと野望で賑やかになってきた。
さてここでわからなくなってきたことのひとつ。
そうやって商売だビジネスだという時の目標は、たくさん売れることにはまちがいないだろう。でもそれめざしていくと、あれ?結局これまでのマスメディアでやろうとしていたこととおんなじじゃない?って戸惑いに襲われる。
iPadってそういう場所なんだっけ?
そこに、今日読んだこのブログがぼくらを優しく諭してくれた。例の野村総研の山崎氏が言っているのは、「コンテンツが王様」という捉え方から離れた方がいいんでね?ってことだ。
おーい、ちょっと待ってくれよー。ぼくがiPadに心躍らせているのは、いよいよメディアよりコンテンツが主役になる舞台が登場したぞ、ってことなのに。
でも、そうなんだね。メディアとコンテンツどっちがえらいんでしょう競争をしてもしょうがないよね。メディアがあって、そこに大量の人がやって来るからパッケージされたコンテンツがうごめくことができた。その仕組みが崩壊する時、メディアとコンテンツの立場が入れ替わるってわけじゃないんだ。
山崎氏が続けて書いている。
マスメディア時代の「コンテンツは王様」から「①コンテンツと②アップスによる心地よいサービスと③知り合いとの社交や自己表現」の時代へと映像消費は変化しています。
うーん、まったくその通りだぜ。メディアの替わりにコンテンツが王様になるんじゃないんだ。これからの王様は、ユーザー、視聴者、消費者、なんだ。コンテンツの作り手は、特別なぼくの座から降りてぼくはきみになりきみはぼくになるかも、ってスタンスで作らないといけない。プロとか職人とかじゃなくていいんでね?おれって普通の人じゃね?ってスタンス。普通の人と一緒に作る感、が大事になってくるんじゃないか。
それは必ずしも、「じゃあアプリの中に投稿コーナーを設置しよう」ってことでもない。うまく視聴者に「共有」してもらう仕組みをつくればいいのかも。
我が相方@higekuma3はブログの最新記事でこんなことを書いている。電子コンテンツを読んだら「ちぎって投げられる仕組み」というアイデア。これも、共有の新しい形態なのかもしれないし、それによって視聴者のお友だちが巻き込まれていくプロモーションの仕組みにもなっているわけ。
でえー?!ちぎるの?投げるの?せっかく丹精込めて、ぼくのクリエイティビティとノウハウをこってり使ってできあがったこの魂のコンテンツを、ちぎったり投げたりされるのイヤだもん!そんな風にいじけたくなる?うん、気持ちわからなくもない。でもね、それは20世紀なんだよ。
21世紀のぼくたちは、ジョン・レノンにも、スピルバーグにも、スティーブン・キングにもなれないんだ。それにならなくてもいいんだ。彼らは丁寧に複製されたコンテンツがメディアを通して国中(世界中)に到達する、マスメディアの時代のヒーローなのだから。
そんな超越的な存在をめざすのではなく、自分と心が重なり合う人たちと”おともだちになる”ことをめざそう。
言ってること、わかるかしら?
ていうか結局長かったね。
丁寧な言葉で、申し上げると、
ラインマーカーを引く。
わたくしは、ここの文章が好きですと、人に伝える。
という意味です。
その文章の部分に共感した人は、
その全体を見たくなる。
つまり、自分の知り合いが編集した
プレビューや、乞うご期待によって、
そのコンテンツを、
欲しくなって、教えてもらった人も
最終的には、コンテンツ全体を見る。
というしくみのことを
言っています。
なので、自分の知り合いが、
コンテンツ配信のメディアになると
言っているのです。
Rudeすぎて、伝わってなかった模様ですね。
すごく参考になりました。
やってくれてたんですよね。
でも、途中から、万引きしないやつか、みたいな感じで、ジトーと見たり、
本屋の息子が、店番が、暇だから、
ゲームやり続けて、本のこと聞いても、わかんないです。みたいなのが、
結局、本屋を潰してて。
でも、谷川俊太郎さんの本のどの部分を、
糸井重里が、ラインマーカーつけてるか、知りたいじゃないですか?
したら、谷川俊太郎の
糸井重里ラインマーカー、インデックス。アドオン。って
オプションで売れるでしょ?
ほら、アプリ内、課金コンテンツ、一個、できた。
それが人々の感性と共鳴した時、爆発的に広まり時には別の波紋と共鳴して増幅したりする。その様がまた美しかったり。
ただ、人による評価って主観的なので同じ感性を持った人たちがコミュニティを形成して、良いと思えるものをより効率的に共有・取捨選択するようになるのでしょうね。
その「場」が何になるかというとやっぱりFacebookが本命かなと思います。Facebookでコンテンツを買えるようになったら最強ですもん。
佐々木俊尚氏が著書の中で取り上げていた往来堂書店の話しがありますが、あれに近いことがアプリの仕組みの中で実現できる訳ですね。
日本では、大失敗ですね。
Second lifeとかやってる人とかが、やったとかそういうのなんですかね。
Mixiが日本だけ、ガラパゴスなので、ここから、facebookのしくみとかが、がつんと来そうには、ない。
iTVとFacebookみたいなセットで、入ってくるのかもしれませんが、
私が想定しているのは、基本、twitter連動です。
とっても 素敵なことがいっぱい!
素敵を たくさんありがとうございます!
発見 すっきり なるほど これって 日常のハッピーエッセンス!
お身体大切になさってくださいね!
多くを ありがとうございました