ぼくは料理が趣味で、この日曜日は夕飯にオムライスをつくった。子供たちに(無理矢理)おいしいと言ってもらうのがこの上ない幸福。そんなキッチンでレシピを見るのにもiPadはうってつけだったよ。これについても語りたいことあるんだけど、それはまた別の日に。
ところでこのブログでiPadコンテンツについて毎日書いてきたけど、大事なことというか、基本の基本の話に触れてなかったことに気づいた。
「電子雑誌はPDFじゃダメなんだよ!」の記事を皮切りにぼくがずっと書いてきたのは、電子雑誌の話だ。でもiPadでにわかに盛り上がってるのは電子書籍の話題だよね。そこに触れてなかったよ。
電子雑誌と電子書籍は似たようなもんだろうって?うーん、似てるけど、問題は相当ちがう。90度ぐらいはちがうかな。(その分類も、前に書いたよね)
電子書籍とは、"本"の電子版だ。ほぼ中身がテキストでできている出版物のこと。加わるにしても"挿し絵”や"図表”程度で済むもの。これについてはデータ形式の問題がある。
iPadにはiBooksという書籍アプリがデフォルトでインストールされている。これがその、電子書籍を読むためのアプリだ。あらかじめ、『Winnie the Pooh』(つまりクマのプーさん)が"本棚”に入っている。開くと、英語の本が読める。"Store"ボタンを押すと、いろんな本が並んでいる。無料のものもいっぱいある。
でも、これらはすべて、日本語ではない。
iBooksで読めるのは基本的に"ePub形式"のデータだ。これは世界標準になりかけている電子書籍のフォーマット。日本語も通るのだけど、縦書きに対応しておらず、漢字の読みがななどルビも表示できない。日本語の"本"で当然の要素に対応していないんだ。
日本語の電子書籍のデータ形式はいーっぱいあって、最有力(らしい)のはボイジャー社が開発したドットブック形式。でも他にもXMDFとか、マンガ用のコミックサーフィンとか、とにかくたくさんある。これを統一するとか、ePub形式でも日本語を表示できるようにしてもらうとか、縦書きはあきらめるとか、決断しないと先へ進めないらしい。
さて一方で、電子雑誌(含む電子新聞)。これについては、データ形式の統一なんてあまり関係ない。「電子雑誌はPDFじゃダメなんだよ!」の記事について誰かが「データの統一は大事だからPDFにした方がいい」とコメントしてたらしいのだけど、それはちょっと話がかみ合わない意見。電子雑誌では、テキストは要素の一部で写真だの音声だの映像だのまで含んだコンテンツなのだ。独立したアプリと捉えた方がいい。
ぼくががっかりしたのはあくまで、紙の雑誌のPDFデータを"そのまま"iPadで読めるようにしても読みにくいしツマラナイよってことを言いたかったわけ。PDFにはインタラクティブな要素も載せられるので、PDFそのものがダメだって言ってたんじゃない。データ形式は何だっていいから、iPadらしいものにしようよ、と言っていたわけ。
さて次に、課題も出てくる。紙のものと並行してiPad用の雑誌もつくるなんて大変すぎるよ、という状況。そうなんだ。雑誌を毎週とか毎月とか、次から次に出版するだけでも大変なのに、その上「iPadらしく作る」なんて手間が余計にかかるだけだ。しかもいま、新聞や雑誌は広告出稿が減って大変の度を越してる。作業を余計に増やすなんてできっこないだろ、と言われてしまう。
これに対する100%の解決策ではないけど、でもここで出版業界が絶対に検討した方がいいことが、ひとつある。
上の図を見てほしい。これは「美しくなきゃ便利じゃない」というタイトルで書いた時の図の進化系だ。進化といってもひとつ要素が加わっただけだけどね。でもあの図は、今日の図の伏線だったんだ、実は。
雑誌の編集では、写真やテキストをデザインして、たぶんデータにして印刷に渡すのだと思う。そのプロセスに何らかのシステムを導入しよう、ということが言いたい。いわゆるCMS(Contents Management System)ってやつね。
あー、もちろんぼくはシステムのことがよくわかってる人間ではないので、ここで胸を張ってCMSについて語れるわけではない。でも大枠の考え方はこの図のようなことだ。ひとつの作業から、紙用、iPad用、ついでにWEB用と、いくつかのアウトプットを作成するためのシステムをあらかじめ構築しておくのだ。その段階で、その雑誌のアイデンティティを、つまりはアートディレクションを固めておく。フォーマット化しておく。こういう時はこう、でもああいう時はこう組む、というデザインルールを決めておき、そこに作業の結果が流れていく、そんなシステムを作るわけ。
このシステム構築には時間も労力も費用もかかるだろう。でも絶対にここでやっておいた方がいい。iPadに限らずタブレット型コンピュータは成長市場になるし、そこには新聞や雑誌の"生きる道"を見出せる可能性がある。生き残りをかけて、取組んだ方がいいんだ。
システム投資なんてうちは細々やってる出版社だから無理なのよ、うちは10人でやってきた編集プロダクションだからできっこないよ、そんな声も聞こえてきそうだ。だったらだったで、"システム"というほどでもないやり方もある。既存のアプリケーションにプラグインを加えるだけでiPad対応ができたりもするんだ。
このあたりはいま、いろいろ調べているのでそのうちまとまった記事にして書こうと思う。
ただどうやらいろいろ調べて感じたのは、出版の世界もIT化が日本と海外とで差がついちゃってたらしいってこと。日本はIT化が遅れている、とよく言われる。池田信夫先生もよくそういったことを書いているしね。そのひとつの現れが、出版の電子化の遅れにもつながっているんじゃないかな。出版だけじゃなくて、メディアコンテンツ業界全体でIT化が遅れていたんだ。日本の行政は電子化が遅れている、なんてニュースで言う前に、自分たちの足もとを見てなかったね、ぼくたちは・・・
ところでこのブログでiPadコンテンツについて毎日書いてきたけど、大事なことというか、基本の基本の話に触れてなかったことに気づいた。
「電子雑誌はPDFじゃダメなんだよ!」の記事を皮切りにぼくがずっと書いてきたのは、電子雑誌の話だ。でもiPadでにわかに盛り上がってるのは電子書籍の話題だよね。そこに触れてなかったよ。
電子雑誌と電子書籍は似たようなもんだろうって?うーん、似てるけど、問題は相当ちがう。90度ぐらいはちがうかな。(その分類も、前に書いたよね)
電子書籍とは、"本"の電子版だ。ほぼ中身がテキストでできている出版物のこと。加わるにしても"挿し絵”や"図表”程度で済むもの。これについてはデータ形式の問題がある。
iPadにはiBooksという書籍アプリがデフォルトでインストールされている。これがその、電子書籍を読むためのアプリだ。あらかじめ、『Winnie the Pooh』(つまりクマのプーさん)が"本棚”に入っている。開くと、英語の本が読める。"Store"ボタンを押すと、いろんな本が並んでいる。無料のものもいっぱいある。
でも、これらはすべて、日本語ではない。
iBooksで読めるのは基本的に"ePub形式"のデータだ。これは世界標準になりかけている電子書籍のフォーマット。日本語も通るのだけど、縦書きに対応しておらず、漢字の読みがななどルビも表示できない。日本語の"本"で当然の要素に対応していないんだ。
日本語の電子書籍のデータ形式はいーっぱいあって、最有力(らしい)のはボイジャー社が開発したドットブック形式。でも他にもXMDFとか、マンガ用のコミックサーフィンとか、とにかくたくさんある。これを統一するとか、ePub形式でも日本語を表示できるようにしてもらうとか、縦書きはあきらめるとか、決断しないと先へ進めないらしい。
さて一方で、電子雑誌(含む電子新聞)。これについては、データ形式の統一なんてあまり関係ない。「電子雑誌はPDFじゃダメなんだよ!」の記事について誰かが「データの統一は大事だからPDFにした方がいい」とコメントしてたらしいのだけど、それはちょっと話がかみ合わない意見。電子雑誌では、テキストは要素の一部で写真だの音声だの映像だのまで含んだコンテンツなのだ。独立したアプリと捉えた方がいい。
ぼくががっかりしたのはあくまで、紙の雑誌のPDFデータを"そのまま"iPadで読めるようにしても読みにくいしツマラナイよってことを言いたかったわけ。PDFにはインタラクティブな要素も載せられるので、PDFそのものがダメだって言ってたんじゃない。データ形式は何だっていいから、iPadらしいものにしようよ、と言っていたわけ。
さて次に、課題も出てくる。紙のものと並行してiPad用の雑誌もつくるなんて大変すぎるよ、という状況。そうなんだ。雑誌を毎週とか毎月とか、次から次に出版するだけでも大変なのに、その上「iPadらしく作る」なんて手間が余計にかかるだけだ。しかもいま、新聞や雑誌は広告出稿が減って大変の度を越してる。作業を余計に増やすなんてできっこないだろ、と言われてしまう。
これに対する100%の解決策ではないけど、でもここで出版業界が絶対に検討した方がいいことが、ひとつある。
上の図を見てほしい。これは「美しくなきゃ便利じゃない」というタイトルで書いた時の図の進化系だ。進化といってもひとつ要素が加わっただけだけどね。でもあの図は、今日の図の伏線だったんだ、実は。
雑誌の編集では、写真やテキストをデザインして、たぶんデータにして印刷に渡すのだと思う。そのプロセスに何らかのシステムを導入しよう、ということが言いたい。いわゆるCMS(Contents Management System)ってやつね。
あー、もちろんぼくはシステムのことがよくわかってる人間ではないので、ここで胸を張ってCMSについて語れるわけではない。でも大枠の考え方はこの図のようなことだ。ひとつの作業から、紙用、iPad用、ついでにWEB用と、いくつかのアウトプットを作成するためのシステムをあらかじめ構築しておくのだ。その段階で、その雑誌のアイデンティティを、つまりはアートディレクションを固めておく。フォーマット化しておく。こういう時はこう、でもああいう時はこう組む、というデザインルールを決めておき、そこに作業の結果が流れていく、そんなシステムを作るわけ。
このシステム構築には時間も労力も費用もかかるだろう。でも絶対にここでやっておいた方がいい。iPadに限らずタブレット型コンピュータは成長市場になるし、そこには新聞や雑誌の"生きる道"を見出せる可能性がある。生き残りをかけて、取組んだ方がいいんだ。
システム投資なんてうちは細々やってる出版社だから無理なのよ、うちは10人でやってきた編集プロダクションだからできっこないよ、そんな声も聞こえてきそうだ。だったらだったで、"システム"というほどでもないやり方もある。既存のアプリケーションにプラグインを加えるだけでiPad対応ができたりもするんだ。
このあたりはいま、いろいろ調べているのでそのうちまとまった記事にして書こうと思う。
ただどうやらいろいろ調べて感じたのは、出版の世界もIT化が日本と海外とで差がついちゃってたらしいってこと。日本はIT化が遅れている、とよく言われる。池田信夫先生もよくそういったことを書いているしね。そのひとつの現れが、出版の電子化の遅れにもつながっているんじゃないかな。出版だけじゃなくて、メディアコンテンツ業界全体でIT化が遅れていたんだ。日本の行政は電子化が遅れている、なんてニュースで言う前に、自分たちの足もとを見てなかったね、ぼくたちは・・・
iPadアプリが進化して、
コンテンツのスクラップブックとうか
スクラップPadを実現して、
自分には、ちぎっては、はりつけ。
人には、ちぎっては、投げ。って
できるようになると、すごく
作業効率は、あがるような気がしてるんですね。
楽譜とか、MIDIデータとか、ジャケットのデータとか、
究極の形は、
iPad上のアプリが、作業によって、
横に連携して、ユーザが、思う方向に、アプリを横立ち上げしていって欲しいなあとか思う。