今日、ある方と会食した際、言ってたこと。「これから面白くなるんじゃないですかね。だって日本が戦後の焼け跡以来、60年ぶりに迎えようとしている時代がはじまるってことですから。敗戦ですべて焼けてもうイチから作るしかない状況と同じですよ。ソニーだってホンダだってそんな中に生まれたわけですしね」ちょっとちがうかもしれないけど、だいたいそんな内容のことを言ってらした。
ぼくと、同席した新しもの好きのおじさんは、うんうん、と深く何度もうなずいた。
そう、それでもってぼくらにはインターネットがあり、iPhoneがある!
昨日ぼくは、この国は”会社に生かされてる”社会だと感じて、そこから逃げて生きてきた、と書いた。(こっからすげえ個人的な"想い"です、すんません!)ぼくは九州の超進学校を出ていわゆるひとつの最高学府に入学した。その頃の気分は、やべえ、このままだと”会社に生かされる人生”になっちまう!ってことだった。
そこでなんとかそこから逃げ出そうと思った。なんとなく"ギョーカイ"に逃げ込み、そこでコピーライターの肩書きを手に入れた。するとどうやらコピーライターはフリーランスな生き方が"有り"だった。よし!と20代はがむしゃらに頑張って30の時、TCC新人賞というものを獲得。ここだ!とフリーランスになった。
フリーランス生活は確かに"逃げ出せた”実感があった。いま思えば幸いなことに、30代を過ごした90年代は広告業界はまだまだ成長していた。超一流じゃなくても仕事はどんどん来た。きちんと仕事すれば認められ、少しずつステップアップ感もあった。うん、おれは逃げおおせているぞ。そんな気分だった。
40代になって"経営"にめざめ、いまの会社でマネジメントをはじめた。これも"逃げた末の”到達感は持てた。ぼくは大企業で"生かされてる”人生とぜんぜんちがう道を走りつづけてるぞ、どんなもんだい!
リーマンショックが起こった。
08年の9月、その時点ではその意味がよくわからなかったけど、徐々にボディブローのように効いてきた。あれ?リーマンショックって何もかもを変えようとしているの?気がつくと、09年のギョーカイは90年の水準に戻っていた。
なんてこった!この20年は何だったんだ?
ぼくは逃げ続けられてきたつもりだったけど、すべてが明らかに崩壊しているいま、逃げた意味も何にもない、すべてが"無"になろうとしていることに気づいた。大企業にいてもフリーランスでも中小企業のマネジメントでも、おんなじだ。いまは、みんなおんなじなんだよ。どこに所属していようが、これまでどう実績があろうが、もはや大した意味なんかない。ギョーカイで言えば、民放キー局にいようが、大手代理店にいようが、自分の制作会社を持っていようが、フリーランスで頑張っていようが、一流クリエイターと言われていようが、こつこつ実績積んでこようが、ほとんど関係ない。ぜんぶ終わった。壊れた。何もなくなった。
1945年、日本はアメリカとの戦争で負けて焼け跡になった。2010年、日本は20年間の独り相撲の末、高度成長で築いたすべてがもう一度、焼け跡になっていた。いつの間に、誰に負けてたのかも、よくわからないまま。
目の前に広がる、バーチャルな焼け跡をぼう然と見るともなしに見ながら、この焼け跡は高度成長が焼け落ちたあとなんだと気づく。
そして次にこう考えよう。それでいいじゃん!だから面白いんじゃん!
それにぼくらにはいま、iPhoneがあるじゃないか。もう逃げつづける必要さえない。もう"生かしてくれる"会社なんてない。会社員かフリーランスかどうかももうどうでもいい。ただひたすら、"2010年のぼく”がいる。それだけが真実だ。いま現在のぼく、そのたったひとつの真実があれば、iPhoneで世の中を受信し、ぼくからも発信しつづければいい。新しく動き出せばいい。そういうことなんだ。
ほんとうに面白いのは、これからだぜ。60年ぶりに焼け野原になったこの国は、60年ぶりに面白くなる。だったら面白くする側に参加しようじゃないか。
ってことで、みんな、いいかな?
ぼくと、同席した新しもの好きのおじさんは、うんうん、と深く何度もうなずいた。
そう、それでもってぼくらにはインターネットがあり、iPhoneがある!
昨日ぼくは、この国は”会社に生かされてる”社会だと感じて、そこから逃げて生きてきた、と書いた。(こっからすげえ個人的な"想い"です、すんません!)ぼくは九州の超進学校を出ていわゆるひとつの最高学府に入学した。その頃の気分は、やべえ、このままだと”会社に生かされる人生”になっちまう!ってことだった。
そこでなんとかそこから逃げ出そうと思った。なんとなく"ギョーカイ"に逃げ込み、そこでコピーライターの肩書きを手に入れた。するとどうやらコピーライターはフリーランスな生き方が"有り"だった。よし!と20代はがむしゃらに頑張って30の時、TCC新人賞というものを獲得。ここだ!とフリーランスになった。
フリーランス生活は確かに"逃げ出せた”実感があった。いま思えば幸いなことに、30代を過ごした90年代は広告業界はまだまだ成長していた。超一流じゃなくても仕事はどんどん来た。きちんと仕事すれば認められ、少しずつステップアップ感もあった。うん、おれは逃げおおせているぞ。そんな気分だった。
40代になって"経営"にめざめ、いまの会社でマネジメントをはじめた。これも"逃げた末の”到達感は持てた。ぼくは大企業で"生かされてる”人生とぜんぜんちがう道を走りつづけてるぞ、どんなもんだい!
リーマンショックが起こった。
08年の9月、その時点ではその意味がよくわからなかったけど、徐々にボディブローのように効いてきた。あれ?リーマンショックって何もかもを変えようとしているの?気がつくと、09年のギョーカイは90年の水準に戻っていた。
なんてこった!この20年は何だったんだ?
ぼくは逃げ続けられてきたつもりだったけど、すべてが明らかに崩壊しているいま、逃げた意味も何にもない、すべてが"無"になろうとしていることに気づいた。大企業にいてもフリーランスでも中小企業のマネジメントでも、おんなじだ。いまは、みんなおんなじなんだよ。どこに所属していようが、これまでどう実績があろうが、もはや大した意味なんかない。ギョーカイで言えば、民放キー局にいようが、大手代理店にいようが、自分の制作会社を持っていようが、フリーランスで頑張っていようが、一流クリエイターと言われていようが、こつこつ実績積んでこようが、ほとんど関係ない。ぜんぶ終わった。壊れた。何もなくなった。
1945年、日本はアメリカとの戦争で負けて焼け跡になった。2010年、日本は20年間の独り相撲の末、高度成長で築いたすべてがもう一度、焼け跡になっていた。いつの間に、誰に負けてたのかも、よくわからないまま。
目の前に広がる、バーチャルな焼け跡をぼう然と見るともなしに見ながら、この焼け跡は高度成長が焼け落ちたあとなんだと気づく。
そして次にこう考えよう。それでいいじゃん!だから面白いんじゃん!
それにぼくらにはいま、iPhoneがあるじゃないか。もう逃げつづける必要さえない。もう"生かしてくれる"会社なんてない。会社員かフリーランスかどうかももうどうでもいい。ただひたすら、"2010年のぼく”がいる。それだけが真実だ。いま現在のぼく、そのたったひとつの真実があれば、iPhoneで世の中を受信し、ぼくからも発信しつづければいい。新しく動き出せばいい。そういうことなんだ。
ほんとうに面白いのは、これからだぜ。60年ぶりに焼け野原になったこの国は、60年ぶりに面白くなる。だったら面白くする側に参加しようじゃないか。
ってことで、みんな、いいかな?
いい言葉です。
このフレーズは"会食した方”の受け売りです(^^;
りゅうのすけさん、はじめまして。
そうですね、面白がってもらわないといけないよね。
・・・しかし昨日は高揚しすぎた文章でした。いま読んだらちょっと恥ずかしい。まあ、盛り上がってこんなこと書いちゃうのも、"2010年のぼく”という真実!
フラット化とか頭いい感じではなく、ただもう焼け野原なんですね。
そして全然それでいいです。面白い側に立ちましょう!
バブル期、大学の友人が皆、金融系に就職していく中、ひとりリクルート社でコピーライターに。その後も、「ブランドは自分だ!」と肩で風切り、編集者へ、マネジメントへ、コンサルへと自ら流転。
そして、昨今、激しい虚無感を感じていました。
何もかも焼けてしまった…。
なるほど、そうか。そうだったのか。腑に落ちました。
ならば、オーライ!
新しい一歩を踏み出せばいいんだ。
熱文、ありがとう!
うーん、不思議な一致。mayonakaさん、勘が鋭い?
実はぼくに"焼け跡”という言葉をくれたのは、『フラット革命』を書いた方でもあります。
フラット化とは焼け跡のことなのかもしれませんね。
きっとご本人もこの一致は無意識的なことではないかしら?
コピーライターほど焼け跡になっちゃった職種もないかもしれませんね。
でも敢えて言うと、コピーライターの職能はポテンシャルが高いとも思います。応用が多様。@fuyutomoさんやぼくが、コピーライター以外のことができたのも、コピーライターだったからではないでしょうか。
だとすれば、ぼくたちはまた変わっていけばいいのです。そしていまぼくたちが少しだけつながったように、どんどんつながっていきましょう!そうすれば、パワー増強!
自分も20代で独立後、舗装路じゃないところを自分なりに上手く歩きながら人から見たら良さげな生活を手に入れて得意になって生きてきましたが、これって本当に大切なことをやっているのかしら?と感じていました。
うちのおじーさん、戦後焼け野原からリヤカー一つで立ち上がって一族を幸福にしてくれた人で、尊敬しているんですが、2010年の今、自分たちの上にもじーちゃんが見た廃墟と青空が広がっているんだと思うとワクワクします。
舗装路じゃないところを上手に歩いてると、大企業にいる人間に対してちょっと優越感だったりしますよね。ホントにぼくもそうでした。
それよりも、じーちゃんと同じ廃虚と青空を見上げられることの方が幸福なのかもしれませんね。それと比べると、ぼくたちの歩いてきた道は舗装路の横の、やっぱりそれなりの道だったのかもしれない。
いまようやく、ホントに自分たちで道をつくろうとする面白さを、みんなで共有しましょう!