Twitterをはじめてからというもの、とにかく人と会うことが増えた。もちろん、Twitterや、このブログをきっかけに。
こちらから会いたい!と声をかけることもあれば、誘われることもある。中には、なんだかよく知らない人たちのやり取りの中にぼくのアカウントも紛れ込んでいて、その人たちと飲む相談にも巻き込まれてたりとか。
あと、前にも書いたようにセミナーに行ったらブログ読んでますとかフォローしてますとか、声かけられたりとかね。この時のメンバーが、最近のおつきあいの”核”になってたりする。不思議な流れだ。
さて先週の金曜日、またもやTwitterつながりの飲み会があった。(以下敬称略)もう何度も会ってる@hfuruta 、それからこの日でもう3回目だよの@tamarinco 、そして、この日二人から紹介してもらって初めて会ったなんと中学高校大学でのぼくの後輩にあたるという@never1968 との集い。
それぞれ、メディアコンテンツ界で仕事をしているので、話題は自然と、「これからメディアはどうなるよ、コンテンツはどうするよ」という方向にどんどんなる。いや確かに、これからいよいよ混迷だ、見えないねと。マスメディアの規模縮小は逃れられない。でもなくなるわけでは決してない。新しいメディアはさっぱりわかんないしお金に当面なりそうにない。うーんうーん・・・でも不思議と、暗くなったりはしない。その時のメンツは皆、そうした読めない状況を楽しんでいるのかもしれない。
そんな話をする中で(敬称略)@hfurutaが、「境さんはそんな時代の吉田松陰ですよね」と言う。ぼくがこのブログでメディアコンテンツの将来について書いていることが、幕末の志士を教えた吉田松陰のようだと言うわけ。
そんな風に言ってもらえるのは光栄なんだろう。「でも吉田松陰死んじゃうじゃないの!」などと言いつつ、まんざらでもないような、でもどうせなら坂本龍馬とか言ってもらえないのかとか、心の中ではいろんな気持ちが渦巻いていた。そこへ今度は@tamarincoが「境塾やりましょうよ。メディアの将来を見通す勉強会ですよ。30人ぐらいでインタラクティブにできたら面白い!」と勝手なことを言って盛り上がり出した。@hfurutaも、@never1968も、それはいい!と本人は置いてどんどん盛り上がっている。
をいをい。そんな勉強会なんて大変じゃないかよ・・・
さらに茶目っ気たっぷりの@tamarinco。なんか猛烈にiPhoneに向かってやりはじめたと思ったら・・・
メディアの将来を考える勉強会「境( @sakaiosamu )塾」設立なう。これから不定期に20~30人が集まってインタラクティブに議論し合う会を開くと宣言しました。
というTweetで勝手に境塾を設立なうしちゃってる。
をいをいをいをい。何を勝手なことつぶやいているんだ。しっかりぼくのアカウント入りじゃないか・・・
しかもそうすると、けっこう反応があったりした。よくわからないのが、@tamarincoのフォロワーだけどぼくのフォロワーじゃない人が「面白そう!」とか言ってくる。君たちは「境塾」の意味がわかっているのか、クリエイティブビジネス論は読んでおるのかね?
をいをい、と言ってるうちに、でもやってみてもいいのかなーと思うようにもなった。ソーシャルな出会いの延長として、勉強会と称して月一でそこそこの人数で集まる、と。飲み会に誘われたり自分から誘って日程調整とかするうち、いっそ定期的な集まりをやった方がいいのではないかとちょっと考えていたのもある。また、勉強会という趣旨でいろんな著名な方にお会いできたら面白そうだ。
少し話がそれるんだけど、ちょっと前にTechWaveに掲載された大学生の記事が話題になった。ソーシャルメディアの定義について、リアルの交際がベースでそれをネット上に拡張するのがソーシャルメディアなのだとその大学生が断言したのがきっかけだったと思う。
その学生さんに反論するつもりもないのだけど、でもぼくにとってのソーシャルメディアは明らかに逆だ。ブログを読んだ人がフォローしてくれてTwitterでやりとりするようになり、そのうち会ったりもする。そりゃ会った方がリアルな人柄もわかって面白いけど、リアルで会わないと意味がないってことも全然ない。
ただ、ブログやTweetを通じて共感できてる人は、リアルでもネットでも、話すのが楽しい。教わることも多い。そこが大事だと思う。このブログを通じて言葉を交わす人たちとの間に柔らかなコミュニティができているのだとしたら、それはみんなが「メディアはどうなるよ、コンテンツはどうするよ」との問いをいま持っており、しかもその渦中にいながらそれを楽しんでいる。そういう人種の(なんて自虐的で前向きなやつらだよ!)コミュニティができているのだろう。そんな人たちと話すのは面白いに決まってる!
話を戻すと、だから勉強会も楽しそうだと思うんだ。「どうなるよ、どうするよ」をみんなで語り合う。一定の共感ベース(そして自虐的で前向きな人種!)があるはずだから、前提となる知識もきっとある程度揃っていて、けっこう実のある議論ができる気がする。
うん、なんだか楽しそうで、面白そうだぞ!
というわけで、具体的にどうするかも含めて、わりーとマジで検討していこうと思う。
まずは、名称大募集。名前、大事でしょ?でも「境塾」ってのはねえ、ちょっと。いいネーミング、あったら、コメント欄かTwitter上でよろしく!
・・・ところで、上のTweetをよく読むと「宣言しました」のは@tamarincoだから、発言としての責任はぼくじゃなくて彼にあるんだね。ふっふっふ。設立なうしたのは、ぼくじゃないんだ君なんだ。たのんだよ、まかせたよ、@tamarinco!
こちらから会いたい!と声をかけることもあれば、誘われることもある。中には、なんだかよく知らない人たちのやり取りの中にぼくのアカウントも紛れ込んでいて、その人たちと飲む相談にも巻き込まれてたりとか。
あと、前にも書いたようにセミナーに行ったらブログ読んでますとかフォローしてますとか、声かけられたりとかね。この時のメンバーが、最近のおつきあいの”核”になってたりする。不思議な流れだ。
さて先週の金曜日、またもやTwitterつながりの飲み会があった。(以下敬称略)もう何度も会ってる@hfuruta 、それからこの日でもう3回目だよの@tamarinco 、そして、この日二人から紹介してもらって初めて会ったなんと中学高校大学でのぼくの後輩にあたるという@never1968 との集い。
それぞれ、メディアコンテンツ界で仕事をしているので、話題は自然と、「これからメディアはどうなるよ、コンテンツはどうするよ」という方向にどんどんなる。いや確かに、これからいよいよ混迷だ、見えないねと。マスメディアの規模縮小は逃れられない。でもなくなるわけでは決してない。新しいメディアはさっぱりわかんないしお金に当面なりそうにない。うーんうーん・・・でも不思議と、暗くなったりはしない。その時のメンツは皆、そうした読めない状況を楽しんでいるのかもしれない。
そんな話をする中で(敬称略)@hfurutaが、「境さんはそんな時代の吉田松陰ですよね」と言う。ぼくがこのブログでメディアコンテンツの将来について書いていることが、幕末の志士を教えた吉田松陰のようだと言うわけ。
そんな風に言ってもらえるのは光栄なんだろう。「でも吉田松陰死んじゃうじゃないの!」などと言いつつ、まんざらでもないような、でもどうせなら坂本龍馬とか言ってもらえないのかとか、心の中ではいろんな気持ちが渦巻いていた。そこへ今度は@tamarincoが「境塾やりましょうよ。メディアの将来を見通す勉強会ですよ。30人ぐらいでインタラクティブにできたら面白い!」と勝手なことを言って盛り上がり出した。@hfurutaも、@never1968も、それはいい!と本人は置いてどんどん盛り上がっている。
をいをい。そんな勉強会なんて大変じゃないかよ・・・
さらに茶目っ気たっぷりの@tamarinco。なんか猛烈にiPhoneに向かってやりはじめたと思ったら・・・
メディアの将来を考える勉強会「境( @sakaiosamu )塾」設立なう。これから不定期に20~30人が集まってインタラクティブに議論し合う会を開くと宣言しました。
というTweetで勝手に境塾を設立なうしちゃってる。
をいをいをいをい。何を勝手なことつぶやいているんだ。しっかりぼくのアカウント入りじゃないか・・・
しかもそうすると、けっこう反応があったりした。よくわからないのが、@tamarincoのフォロワーだけどぼくのフォロワーじゃない人が「面白そう!」とか言ってくる。君たちは「境塾」の意味がわかっているのか、クリエイティブビジネス論は読んでおるのかね?
をいをい、と言ってるうちに、でもやってみてもいいのかなーと思うようにもなった。ソーシャルな出会いの延長として、勉強会と称して月一でそこそこの人数で集まる、と。飲み会に誘われたり自分から誘って日程調整とかするうち、いっそ定期的な集まりをやった方がいいのではないかとちょっと考えていたのもある。また、勉強会という趣旨でいろんな著名な方にお会いできたら面白そうだ。
少し話がそれるんだけど、ちょっと前にTechWaveに掲載された大学生の記事が話題になった。ソーシャルメディアの定義について、リアルの交際がベースでそれをネット上に拡張するのがソーシャルメディアなのだとその大学生が断言したのがきっかけだったと思う。
その学生さんに反論するつもりもないのだけど、でもぼくにとってのソーシャルメディアは明らかに逆だ。ブログを読んだ人がフォローしてくれてTwitterでやりとりするようになり、そのうち会ったりもする。そりゃ会った方がリアルな人柄もわかって面白いけど、リアルで会わないと意味がないってことも全然ない。
ただ、ブログやTweetを通じて共感できてる人は、リアルでもネットでも、話すのが楽しい。教わることも多い。そこが大事だと思う。このブログを通じて言葉を交わす人たちとの間に柔らかなコミュニティができているのだとしたら、それはみんなが「メディアはどうなるよ、コンテンツはどうするよ」との問いをいま持っており、しかもその渦中にいながらそれを楽しんでいる。そういう人種の(なんて自虐的で前向きなやつらだよ!)コミュニティができているのだろう。そんな人たちと話すのは面白いに決まってる!
話を戻すと、だから勉強会も楽しそうだと思うんだ。「どうなるよ、どうするよ」をみんなで語り合う。一定の共感ベース(そして自虐的で前向きな人種!)があるはずだから、前提となる知識もきっとある程度揃っていて、けっこう実のある議論ができる気がする。
うん、なんだか楽しそうで、面白そうだぞ!
というわけで、具体的にどうするかも含めて、わりーとマジで検討していこうと思う。
まずは、名称大募集。名前、大事でしょ?でも「境塾」ってのはねえ、ちょっと。いいネーミング、あったら、コメント欄かTwitter上でよろしく!
・・・ところで、上のTweetをよく読むと「宣言しました」のは@tamarincoだから、発言としての責任はぼくじゃなくて彼にあるんだね。ふっふっふ。設立なうしたのは、ぼくじゃないんだ君なんだ。たのんだよ、まかせたよ、@tamarinco!
マジですか、大人コワイ…。笑
でもあくまで「検討する」だから、まだ逃げは利く(笑
入塾とかおこがましいけど、もし機会あったらコミットしたいですぅ。
いや、失業中だからこそ参加したいような。
で、名称ですが「Socialmedia Ability の会」、
略して「SA会(サカイ)」なんていかがですか?
メンバーは会の名前にかこつけて、
塾長を呼びつけにできるというメリットありです。
書いた通り、飲み話での半分以上冗談なのであまり期待しないでね。それに同世代のお二人には講師になってもらいたいわ。
necoikeさんも、コメントどうも。でも、呼び捨てにされたくないからその名前、却下!(笑
「ソーシャルの時代やさかい」
~やさかい。って
京都弁?高松弁?高知弁?
山口県では、使わない?