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パン職人修行 (PART 2 OF 3)

2016-07-15 11:27:03 | 人間関係・コミュニケーショ



 

パン職人修行 (PART 2 OF 3)





私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。


私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。


(kierke02.jpg)

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

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しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月


【デンマン注】

これは本ではありません!
強烈なエゴの持ち主の太田将宏は、これが“本”のつもりで、このように書いていますが、この“原稿”は、どの出版社からも拒絶されて本になってません!

この男が愚かなのは、その事で出版社にイチャモンをつけて問題を起こしています。
すぐ下に出てくるボイジャー社長の鎌田純子さんとも、問題を起こしているのです!

悪いのは、もちろん、強烈なエゴの持ち主の太田将宏ですよ!
批判を素直に受けることができずに、行く先々で問題を起こしているのです!


『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)




この太田将弘老人は性格が悪いのとコミュニケーションがうまく取れないので、家族の間だけでなく、職場でも友達の間でも、どこでも問題を起こすのですよ。



やっぱり、性格の良し悪しは仕事でも、友達とのつい合いでも大切なのですわねぇ~。。。

そうです。。。そうです。。。 たまたま夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。


一生食べることに不自由しない


(shirota02.jpg)

城田幸信さんが、アンデルセングループの前身、広島県のタカキベーカリーに入社したのは、昭和33(1958)年。
16歳のとき。 (略)

戦争で、とりわけ大きな打撃を受けた広島。
戦後、10年以上が経っていましたが、まだまだ物資も食料も乏しい時代です。

食べ物の会社なら、一生食べることに不自由しないだろう……そんな気持ちで、中が卒業後に最初に勤めたのも、尾道の小さなパン屋でした。
けれど想像以上の重労働で、一緒に入った同僚たちは、3か月持たずに次々逃げるように辞めていきます。
なんとか半年は持ちこたえたものの、城田さんも身体を壊して退職。
 (略)

学校へ入り直したら、とすすめる人もいましたが、中学を卒業するときに手に職をつけたほうがいい、と諭されて就職した手前、「学校には行くもんか」という意地がありました。
こうして再びパンの道を選んだ城田さん。

 (中略)

配属されたのは、タカキベーカリー創業の地、広島市内の比治山にあった工場。 (略)
当時のパン職人は、とにかく体力勝負。

最初の担当は食パンで、仕込みは夜中の2時、3時から始まり、仕事が終わるのはお昼頃。
その後は菓子パン担当に変わり、午後3時頃から翌朝7時過ぎまで働きました。


 (中略)

昭和39(1964)年、城田さんは東京の「パン技術研究所」で勉強する機会に恵まれます。
折りしもオリンピックに沸く東京で、3か月の受講を終えて広島に戻ると、商品の研究開発担当に抜擢されました。
その3年後に広島アンデルセンがオープン。


(ander01.jpg)

生産担当としてた多忙な日々を過ごしていた昭和43(1968)年のある日のこと。
城田さんに、高木俊介社長から、「すぐロスアンジェルスに来い」という1本の電話がかかってきました。

 (中略)

高木社長に連れられて、カントリーホーム社の工場であいさつし、一回り見学したあとは、今夜から暮らすことになるモーテルへ。(略)
言葉よりも不安だったのは、1ドル360円の時代に、国外に持ち出せるお金は500ドルだったこと。 (略)
翌朝からは毎日始発のバスで工場へ。 (略)
幸い、これまで学んできた製パン技術はアメリカ式で、専門用語も英語を使っていたため、工場での製造過程はすぐに吞み込めたといいます。(略)

「日本人はただでさえ若く見える上に、当時27歳でしたが17歳と間違われるほど幼い顔をしていましたから、大目に見てくれたのでしょう。 聞けばなんでも親切に教えてくれました」 (略)

2か月の予定を、無事1か月半でクリアして帰国の途に。


(shirota01.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




17-22ページ 『まいにち、パン』
著者: 城田幸信
2014年4月21日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社




パン屋さんで働くのってぇ、意外に大変なんだよねぇ~。。。 「仕込みは夜中の2時、3時から始まり、仕事が終わるのはお昼頃。 その後は菓子パン担当に変わり、午後3時頃から翌朝7時過ぎまで働きました」と書いてあるもんねぇ~。。。



そうなのですわ。。。 私も日本で働き始めた頃、意外に重労働なので ちょっとアゴを出してしまいましたわァ~。

城田さんの本を読んでいると、やはり性格が良いことが分かるのですよ。。。

どういうところで判るのですか?

例えば、「聞けばなんでも親切に教えてくれました」と書いてあるでしょう! 性格が悪ければ、日本だってカナダだって、イジメられこそすれ、親切に教えてもらえないですよ。。。

そうでしょうか? でも。。。、でも。。。、デンマンさんのように、あまりずけずけとモノを言うと嫌われるのではありませんか?

あのねぇ~、その点は日本とカナダではちょっと違うのですよ。。。 僕は太田将宏老人のコメントに対して、日本では考えられないほどに、遠慮なくズケズケと書いているでしょう!? 僕がもし、バンクーバーで太田老人と面と向かったら、やっぱり、同じように僕はズケズケとモノを言うのですよ。。。 これは、カナダではそうすべきです。

どうしてですか?

この事については、すでに書いたことがあるのですよ。。。 真由美ちゃんの記憶を呼び戻すためにここに書き出すから、もう一度読んでみてね。


2014年04月11日 04:03 AM

(Vancouver Time: Thursday, April 10, 2014 12:03 PM)



今朝は7時にすっきりと目覚めて、クロワッサンとカフェオレで朝食を済ませ、夕べの読みかけの本を読みました。
『夢を叶える夢を見た』という本で内館(うちだて)牧子さんという脚本家の書いた本ですよ。
NHKの朝ドラなどの脚本を書いている人です。

真由美ちゃんが読んだら感激して読める本ですよ。
図書館で借りてぜひ読んでみてください。
買っても損はしない本ですよ。
僕はバンクーバー市立図書館で借りているのです。

自分の夢を叶えるにはどうしたらよいか?
現在の真由美ちゃんの悩みや希望に答えてくれる本です。
読むと、真由美ちゃんの気持ちもはっきりしますよ!
素晴らしい本です。

9時半にマンションを出て30分歩いて図書館にやって来ました。
すがすがしい新鮮な気分でパソコンに向かって、こうして返信を書いているのですよ。 (微笑)




最近ふと、思う事があります。
海外で住んでいる方は皆、自分の考えにとてもオープンだなと。

私も日本で産まれて日本で育って社会人になりました。
デンマンさんのように自分の気持ちをオープンに出来るのは羨ましくも思います。
私もどこか、他人に自分の気持ちをうまく伝えられないことがあります。

一番最初にデンマンさんとお話をしたときにデンマンさんが言っていました。
「日本人はうまく言葉を伝えよう。。。正確に正確に・・・という思いが強すぎる」と、言っていました。

確かに、日本人はそんな所があるようですね。
私もそんな所があります。(笑)


そうです!そうです!
欧米で生活するには、はっきりと自分の意見を言わないと 馬鹿だと思われます。

はっきりと物を言わないと、馬鹿にされたり、いじめを受けたり、日陰者扱いですよ。
とにかく、言うべき時には、バンバン物を言わないとダメです。




『死に向かう心の旅路』より
(2014年4月14日)




日本で、あまりズケズケとモノを言ったら、当然けむったがられますよ。。。 でもねぇ~、カナダで暮らしてゆくには、自分の考えていることや思ったことは、まずはっきりと言うべきです。。。 日本と違って黙っていると悪い方に受け止められてしまうことが圧倒的に多い。。。 まず、馬鹿だと思われますよ。。。



分かりました。。。 デンマンさんの言葉を肝に銘じて、なるべく馬鹿にされないように気をつけますわァ~。。。 (微笑)



(blackcat5.jpg)

 (すぐ下のページへ続く)

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