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埼玉村の不発弾 (PART 1)

2019-05-11 11:00:15 | 歴史四方山話
 

埼玉村の不発弾 (PART 1)

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで埼玉村の不発弾を取り上げるのですか? 太平洋戦争の時の不発弾が埼玉(さきたま)村で見つかったのですか?


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いや。。。 埼玉(さきたま)村は、現在は行田市に編入されて無くなりました。 最近になって不発弾が見つかったわけではないのですよ。。。

 


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『拡大する』

 



旧・埼玉(さきたま)村というのは、あのさきたま古墳公園のある辺(あた)りですか?



そうです。。。

じゃあ、埼玉村の不発弾というのは、いつの話なのですか?

あのねぇ~、たまたまバンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。



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それは8月14日の深夜だった。

10機、20機、40機、70機……。

ものすごい数の爆撃機が空を飛び、恐ろしい爆音が空気を揺るがした。

東の空が紅蓮の炎で真赤だった。

 


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82機の爆撃機が、熊谷市に、593トンの爆弾を、高性能爆弾12トン、焼夷弾581トンを投げこんでいるのだった。

 

前夜から、ひっきりなしの空襲警報に脅かされ右往左往させられ通しであった保母たちは、恐怖と疲労と睡眠不足と怒りとで、異常な心理状態に陥っていた。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




256ページ 『あの日のオルガン 疎開保育園物語』
著者: 久保つぎこ
2018年7月30日 第1刷発行
発行所: 朝日新聞出版




そう言えば、熊谷空襲のことをデンマンさんは記事で書いてましたよね。。。



そうです。。。 よく覚えてますねぇ~

去年の9月頃でしたわァ~。。。 まだ半年しか経ってませんもの。。。 覚えてますわァ~。。。



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件名:

9月20日に多佳子さんの手紙が届きました。


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From: barclay1720@aol.com

To:kujo-takako48@outlook.jp

Time: date: Sep 21, 2018, 2:55 PM



1週間ほど前からマンションの郵便箱を見ていましたが、なんと昨日(9月20日)に受け取りました。
9月6日の消印が封筒に押してありましたから、2週間かかってバンクーバーの小生の手元に届いたことになります。

なんとも時代遅れな郵便サービスになりました。
これではemail に太刀打ちできないはずです。

カナダの郵便屋が9月26日からストライキを始めるそうです。
たぶん、これだけサービスが悪くなると市民からの応援はないでしょう!?
小生だって、カナダの郵便局など無くなっても不便は感じませんよ。

ところで、多佳子さんが同封してくれた8月12日の読売新聞の切抜き『足袋から「軍服の町」へ』を懐かしく読ませてもらいました。

 


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『足袋から「軍服の町」へ』






1945年8月14日の熊谷空襲!

 

終戦を1日後に控えての空襲だったから、死んだ266人は、あの世に逝ってから、涙を流して悔やんだことでしょう!?
“どうして、どうして、終戦1日前に死なねばならないの!?”と。。。

当日、まだ僕は生まれてませんが、結婚前の小生の母親(多佳子さんにとっての一番上の姉)は、その日の事をはっきりと覚えていて、小生が、子供の頃、熊谷空襲のことをよく話してくれましたよ。
熊谷の方を見ると夜だというのに、空が真っ赤に焼けて、これまで見たこともないような恐怖と戦慄を感じさせる地獄のような光景だったと。。。

2017年にテレビドラマ「陸王」が放送され、それを観てわざわざ行田市にやって来る好奇心旺盛な人もいるのですね。
そういえば、去年の10月に行田市に帰省したときに、そのテレビドラマの撮影を交通規制をして本町辺りでやってましたよ。

 



 

1944年、旧県立忍高等女学校(現・進修館高校)が「学校工場」になり、在校生が動員されて軍服や軍用雨合羽を“ミシンがけ”させられたと書いてありましたが、
小生の母親も、足袋工場で働かされたようでした。
旧南河原村から自転車で通っていたのです。




『ピーナツバター』より
(2018年9月24日)




熊谷空襲というのは、それほどひどかったのですか?



広島・長崎の原爆や、東京大空襲があって、そっちの方が有名だから、熊谷空襲はあまり知られてないけれど、すごかったのですよ。。。


熊谷空襲

 


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熊谷空襲は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月15日0時23分から1時39分にかけてアメリカ軍により行われた埼玉県熊谷市に対する空襲である。
太平洋戦争最後の空襲かつ埼玉県内における最大規模の空襲であり、熊谷市は県内では唯一の戦災都市に指定された。
「熊谷爆撃」とする資料もある。

照明弾に続いて無数の焼夷弾が投下されると市内東部の佐谷田、久下方面を皮切りに、本町、元町、宮町、荒川、筑波、銀座、下石、石原、東熊谷などといった市街地が爆撃により次々と火の海となった。
この爆撃による火災は5時頃までに鎮火したが、市街地の74%に相当する35万8000坪、全戸数の40%に相当する3630戸が焼失。
全人口の28%に相当する1万5390人が被災し266人が死亡、約3000人が負傷した。
市街地の中心部を東西に流れる星川周辺では、人家が密集していたこともあり100人近い死者を出し、空襲後は死傷者であふれかえったと伝えられている。

『第20航空軍爆撃報告書』によると熊谷市の市街地を攻撃目標とした爆撃は、8月15日0時23分から1時39分までの76分間にわたって行われ、高度14,200から19,000フィートの地点から4,000ポンド爆弾6発、M17焼夷弾356発、M19焼夷弾1,372発、M47焼夷弾6,321発を投下した。
熊谷市に投下された爆弾の投下量は1平方マイルにつき96,833トンに上ったが、日本の都市攻撃に有効であるとする1平方マイルにつき25,000トンの爆撃必要密度の約3.87倍にあたる。
この数字は同年8月2日に行われた八王子空襲における1平方マイルあたりの投下量113,857トンに次いで国内で2番目に高い数字となっている。

 

周辺地域の被害

熊谷市が空襲を受けた8月14日深夜には近郊の都市や村落でも空襲による被害を受けた。

北埼玉郡忍町(現・行田市)では40戸が焼失し3人が死亡、同下忍村では5戸が焼失、同埼玉村では翌朝に不発弾に接触し5人が死亡、大里郡中瀬村では13戸が被災し2人が死亡、同御正村では28戸が焼失し御正国民学校が被害を受けた。

比企郡松山町ではヂーゼル機器松山工場に焼夷弾が投下されたが、『ヂーゼル機器40年史』は消火活動により被害には至らなかったとしている。

 


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『拡大する』




出典: 「熊谷空襲」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。北埼玉郡忍町(現・行田市)では40戸が焼失し3人が死亡、同下忍村では5戸が焼失、同埼玉村では翌朝に不発弾に接触し5人が死亡したのですわねぇ~。。。 つまり、忍町も、下忍村も埼玉村も、今では行田市になっているのですわねぇ~。。。



そうです。。。 旧さきたま村では終戦(8月15日)の朝、不発弾に接触し5人が死亡したのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、さきたま古墳公園のある辺(あた)りは何もないところでしょう? 

古墳がありますよ。。。

でも、工場はないし、民家もないし、原っぱがあって 今では デンマンさんとピクニックをするような だだっぴろい平和な公園ですわ。。。


愛のポテトチップサンド

 


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デンマンさん。。。 ロマンチックで食欲が湧くタイトルですわねぇ~。。。



いけませんかァ~?

いけないことはありませんけれど、デンマンさんの常連さんたちは白けると思いますわァ~。。。

どうして僕のブログの常連さんたちが白けてしまうのですかァ~?

だってぇ~、デンマンさんは、また得意げに「さきたま古墳公園」でのピクニックの事を書くのでしょう?

あのねぇ~、白ける人は居ないと思いますよ。

どうしてですか?

どうしてってぇ~、上の写真を見ただけでも「さきたま古墳公園」ってぇ言うのは、日本離れした。。。ちょっと狭い日本では考えられないくらいの広々とした公園なのですよ。 初めてこの記事を読む人は、上の写真を見て「いったい ここはどこの公園だろうか?」。。。 とても日本の公園ではないだろうと思うのですよ。

そうでしょうか?

もう一度じっくりと写真を見てください。


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『拡大する』


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アメリカやカナダにある公園だと言われても納得できるくらいの広々とした公園なのですよ。



確かに、言われてみると 狭い日本には広すぎるほどの印象を与えますわねぇ~。。。

。。。でしょう!? だから、白けるどころか、上の写真を見ただけでも 何も知らない人は興味が湧きますよ。

そうでしうか?

しかも小百合さんの魅力的な写真が出てくる。


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この上の写真を見た人は、「どうして こんな格好をしているのだろうか?」。。。と、ますます興味が湧いてくるのですよ。



そうでしょか?

しかも、広い公園に小百合さんだけしか見当たらない。 「いったい、ここはどこなの?」。。。「マジで、こんな公園があるのォ~?」。。。と不思議な気持ちで読み続けるのですよ。

そうでしょうか?

そうですよ。。。 ところで、小百合さん。。。こんな広々とした公園なのに ピクニックをしている人が どういうわけで僕と小百合さんだけなのですか?

デンマンさんは知らないでしょけれど、最近、日本の公園では、火を使ってはいけないのです。 だから、バーベキューなど、公園内で してはダメなのですわ。 それで、ピクニックをする人も少ないのだと思いますわ。

でもねぇ~、昨日(10月16日)は、関東地方は素晴らしい秋晴れだったのですよ。 それなのに、バーベキューをしながらピクニックを楽しんでいるのは僕と小百合さんだけでしたからねぇ。。。 うへへへへへ・・・・ 僕は不思議な気分でしたよう。 でもねぇ、小百合さんと公園を自分の裏庭のように独り占めしている気分になって 実に楽しかったですよう。

私は公園の管理人さんが見回りに来て、「火を使うのなら出て行け!」と言われるのじゃないかと。。。気が気ではありませんでしたわ。




『愛のポテトチップサンド』より
(2014年10月17日)




どうして、こういう場所が爆撃の対象になるのですか?



あのねぇ~。。。 昔の忍町は足袋で有名だった。。。 一時は日本全国の足袋生産の8割を占めていたそうですよ。。。 でも、当時の忍町は軍服を作っていたのです。。。

 


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軍服工場が爆撃の対象になったとしても、古墳がある 現在の さきたま古墳公園 の辺りにどうして爆弾を落としたのですか?



あのねぇ~、ドイツでは空襲を避けるために、捕虜や強制収容所のユダヤ人を使役して軍需工場をたくさん地下に作った。。。 

 


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だから、あの古墳がたくさんある辺りが、アメリカ空軍の爆撃部隊の隊長には、地下工場の出入り口だと思われたのですよ。。。



つまり、古墳の下には軍事工場があると。。。?

そうですよ。。。 そう思ったに違いない! そうとしか考えられないでしょう!?



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 (すぐ下のページへ続く)










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