【みんなおなじでみんなつらい】

2020年11月20日

【みんなおなじでみんなつらい】

年の近い友人たちに会ったので近況を探ってみる。
「フラミンゴみたいに片足立ちして靴下が履ける?」
と聞いたら
「無理無理」
と言う。
「足の爪を切るのが大変じゃない?」
と聞くと
「からだが硬くてつらい」
と言う。
「布団から起きるとき節々が痛くない?」
と聞くと
「痛い痛い」
と言う。

みんなおなじでみんなつらい。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ひとまわり大きい】

2020年11月20日

【ひとまわり大きい】

等身大の写真パネルをつくるとき、パネルの高さを写っている人間の身長に厳密にあわせるとひとまわり小さく見える。だから等身大パネルはひとまわり大きくつくるのだと会社員時代に教わった。

「等身大の自分」と言うときの心理的な等身大もひとまわり大きくできている。自分が意識する自分は、正直であろうと心がけてことばにすると必ずひとまわり小さく感じられる。だから自己紹介は意識しなくても微妙にひとまわり大きくなる。

つきあいの深い他人が自己紹介するのを横で聞いていると、たいがいの人は上手にひとまわり大きくなっていて、ひとまわり大きい微妙な膨らみが心理的等身大の被膜になっている。虚飾が身にまとわれるからではなく、適度に包み隠された自分の秘密が膨らみとなって自己紹介は「好い加減」になっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ことば圧】

2020年11月19日

【ことば圧】

仲の良い四組の夫婦で溝の口駅前に集合し、食べて、飲んで、話して、笑った。友人の奥さんが週二日デイサービスに通うことになったからで、「頑張れ」とふたりを励ます会をした。共通の友人で、若くして脳卒中で倒れたネパール人の近況に話題が及び、リハビリを終え、ようやく退院が決まったという。後遺症として、日本語もネパール語も聞いて理解はできるけれど、発語の方がネパール語だけできて日本語はできなくなったという。完全な失語ではない不思議な症例でびっくりした。

大勢の仲間とよく話をした翌日は、ことばを発するのが億劫になる。それでも必要な家庭内の会話はして一日が始まり、仕事で必要な最低限のメールも書いたけれど、日記を書く気になったのはようやく午後三時を過ぎ規定圧に戻ってからだ。言葉を発するには、こころとからだ、その内部の圧力が必要なようで、どちらかといえば口の重かったネパール人も、そうとう圧をかけ頑張って日本語を話していたのかもしれない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

【それはそんなにたいした問題じゃない】

2020年11月18日

【それはそんなにたいした問題じゃない】

ことばはそもそも人間に安心をもたらすために生まれた。だからいちばん安心できることばが誰のこころの底にもある。自分にとってそういういちばんのことばは
「それはそんなにたいした問題じゃない」
であり、おそらく子どもの頃からおとなたちになんども言われて安心してきたのだろう。今でもおぼえているのは保育園児だったころのことで
「ぼく病気だ!飲んでも飲んでもツバが出て止まらない」
と訴え、母は笑いながらそういう意味のことを言ったのだ。

「それはそんなにたいした問題じゃない」
は、問題があることにじゅうぶん共感したうえで
「でも君にとっていちばんの問題は、もっと別にあることを自分で知っているだろう?」
と言っている。そう言われて自分にとっていちばんの問題に思い当たる人は、さまざまな問題にぶつかりながら生きられた年を重ねるうち自分の中に神を見つけ、思い当たらない人は外に神を求める。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【夜空の連星】

2020年11月17日

【夜空の連星】

ふたつの星が共有するひとつの重心の周りを円軌道で回転している状態を連星といい、遠くにあるとひとつの星に見えても実はふたつで、夜空に見えつづける星の半数以上が連星であることがわかってきたという。

人間の男女も似たような関係で、結婚して夫婦になるのは、共通の重心を持って連星になることだ。飲み屋をやっていた母は夜の女たちから涙の相談をうけることが多く
「間に入って苦労して別れさせたのに、また付き合って昔の暮らしにもどっている。あの二人はどうしようもない」
と苦笑いしていた。

男女が互いに力を及ぼし合うとき、手を引き背を押し助け合う良き力もあれば、足を引っ張り傷つけ合う悪しき力もあり、結果的にふたりは重心に囚われながら共依存になる。夫婦は連星であるがゆえに、良くも悪くも、そこに星として存在している。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【両眼視と単眼視】

2020年11月16日

【両眼視と単眼視】

肉食動物と草食動物はそれぞれに、ものの見かた見えかたが違って面白い。ふたつある眼球を使った両眼視で見ると世界が三次元の立体的に見え、大きさや位置や動きが正確に捉えられる。草食動物は頭の側面近くに眼球があるので単眼で広い世界が見える代わりに、両眼で立体的に見える世界が狭く保身に適している。肉食動物は頭の前方に目がついているので前方の両眼立体視が正確にできるので猟に適しているけれど側面は見えにくい。雑食の人間は両眼立体視のできる範囲はそこそこだが、片目で見える範囲も左右にそこそこ広い。

若者の傾向が肉食系と草食系に分けて面白おかしく論じられるけれど、それは科学的な視覚の話ではなく性向の話らしい。話が性向であるならば老若男女を問わず、視覚的な世界の捉え方は肉食系と草食系に当てはめて妥当するところがあるだろう。

人は心の働きとして、ときに世界を両眼視的に見たり、ときに単眼視的に見たりしている。怒りに燃えているときは他人との関係に遠近感を与えて敵対的戦略的に捉え、平穏な気持ちに満たされているときは広い草原で仲間たちと草をはむように、のっぺりと平板で平和な世界を見ている。前者は人間が生まれながらにもつ特性のように思うけれど、後者は後天的に努力して獲得する境地ではないか。

世界は嫌なことが多いけれど、自分の本能的性向と折り合いをつけ、のっぺりと平板で平和な世界を単眼視的に見て、草原で草をはむように暮らそうと心がけている。いい歳だし、来年は丑年なので。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【昭和 9 年創業】

2020年11月15日

【昭和 9 年創業】

ご近所さんが佐久の実家から送ってきた林檎をくれると言うのでもらいに行った。彼女が朗読ボランティアをしに通っているという喫茶店の向かいにある蕎麦屋に行ってみようと思っていると話したら
「昔からある有名な店じゃない何の変哲もない町の蕎麦屋よ」
と言う。あんな裏通りで昭和 9 年から続いているというのはたいしたものだと思っていたので拍子抜けした。

わがつれあいも同様な人で、明治時代からある店だと言っても
「あら、意外に新しいわね」
などと言う。ふたりともご先祖は江戸時代以前からの庄屋や武家なので時間感覚の根が深いのだろう。三河あたりの土工を先祖とするらしいわが母は、36 歳で静岡県清水にちいさな飲み屋をひらき、その後 34 年間営業を続けた。いろいろな苦労を知っているせいか、身内ながらたいしたものだと思うので、昭和 9 年はもちろんのこと、明治時代の創業など気が遠くなるほど歳月の重みを感じる。歳月の重みの感じ方は、人それぞれ、ぜんぜん違うのだろう。

昭和 9 年創業を何の変哲もないという彼女が、
「あの蕎麦屋さんは同級生なの」
と言うので
「えっ!?」
と言ったら
「息子が」
とのことで、三代目の話になっている。三代つづくのだってすごいことだと、母親の女一代記を思い出して思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ベキ】

2020年11月15日

【ベキ】

「冪集合」の「冪」が読めないので調べたら「ベキ」で、数学で習った「降べき・昇べき」も難しい字で書けばこの冪なのだ。ああそうか。そもそも食べ物の上にかけておく布巾(ふきん)のようなものをあらわした文字が冪で、その幕にかぶさった部首である「冖」も「べき」と読む。

漫画では棒状のもので人を叩くと「バキッ!」と効果音が入り、強く叩きすぎて折れると「ベキッ!」という。冪冪と書くと「ベキベキ」と読み、人をくりかえし叩いている効果音ではなく、雲や霧などが重層しておおいかぶさるさまをいう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【かわいいオーガスチン】

2020年11月14日

【かわいいオーガスチン】

オーストリア民謡『かわいいオーガスチン(アウグスティン)』の手回しオルゴール用編曲が終わったとつれあいが言うので YouTube アップロードを手伝う。『かわいいオーガスチン』は子どもの頃よく歌ったし、『カメラのキムラ』の替え歌 CM ソングでメロディには馴染み深いが、17 世紀後半にあったペスト大流行を嘆く内容だったとは知らなかった。かわいいオーガスチンは死んでしまったのだ。

オルゴールに熱中しているそのつれあいが大事にしているテーブルヤシの葉色が最近うすいのが気になるという。ネット検索した園芸情報を総合すると、日の当て過ぎと水やりのしすぎが複合した結果かもしれない。今日からカーテン越しの窓辺に置き、室内で乾かし気味に世話してみる。

以前から屋内、とくに地下鉄駅構内に置かれた観葉植物の葉色が異様に濃いのが気になっていて、葉の緑の濃度は日照量に反比例するんじゃないかと思っていたけれどやはりそういう因果関係もあるらしい。かわいいタクチャン(テーブルヤシの愛称)の世話係としては死なせるわけにいかないのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【うらなげ】

2020年11月13日

【うらなげ】

「ねぇ、昨日の相撲でひっくり返って勝ったお相撲さんって誰だっけ」
とつれあいが聞くので
「ひっくり返って勝ったんじゃなくて、あれは『居反(いぞ)り』っていう珍しい相撲の決まり手」
と訂正した。

「お相撲さんの名前は『宇良(うら)』で、『ひっくり返った』んじゃなくて『後方に反り倒した』の。柔道では『裏投げ』っていうんだ」
とわかりやすく説明し、
「やってやろうか?」
と聞くと
「やだ」
と言う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【おかけになった電話番号は】

2020年11月13日

【おかけになった電話番号は】

パスワードロックの PIN(Personal Identification Number = 個人識別番号)に、ふた昔も前に解約された電話番号を設定している。子どもの頃から何度もダイヤルしたので忘れられなくて、忘れる心配がないので便利に使っている。

まずいのは外の固定電話から電話するとき、指が勝手にその番号をダイヤルしてしまい、受話器の向こうから
「お客様がおかけになった電話番号は現在使われていない…」
という声がして、ああ、そうかと思いながら泣きたい気持ちになることだ。かつて使われていた番号を毎日指でなぞっているのだから仕方がないと言えば仕方がない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

【伸び感】

2020年11月12日

【伸び感】

イヌやネコはよく伸びをしている。イヌは「さて遊んでもらおうかな」、ネコは「さて遊んでやるかな」と言いたげな顔で、ヒトを横目で見ながらう〜〜んと伸びている。

伸びをしていないヒトと伸びをしているヒトの目が合うと、伸びをしている方のヒトは笑顔で「あ〜〜伸びた伸びた」とか「あ〜〜気持ちいい」とか言う。伸びることは確かに気持ちがいいのだ。

伸びをしていないヒトと、伸びをしているイヌやネコの目が合うと、ヒトは「あ〜〜気持ちいい気持ちいい」などと声かけをしてしまう。他人が伸びている姿を見ると見ている方も気持ちいいのだ。

伸びをすることの気持ちよさに何か名前がついているのかなと検索したら「伸び感」という言葉を見つけた。よい言葉だ。「達成感」とか「充実感」とか「幸福感」といった心理主義的な臭みがなく、こころとからだが一体になった、ちいさなよろこびが素直に言い表されている。「伸び感」を大切にしたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【本物の鮟鱇です】

2020年11月11日

【本物の鮟鱇です】

創業天保元年『いせ源』店頭にて。冬だなあと思う。

ここの住所はどうなっているのかなと調べたら「千代田区神田須田町 1 丁目 11 番地 1 」ということで覚えやすい。

コメント ( 4 ) | Trackback ( )

【単純化と滑らかさ】

2020年11月11日

【単純化と滑らかさ】

・単純で滑らかであることが大切だ。
・単純な滑らかさの中にも細部を持つことが大切だ。
・細部もまた滑らかであることが大切だ。
・滑らかな全体と滑らかな細部が滑らかにつながっていることが大切だ。
・そういう構造が滑らかに思い浮かぶことが大切だ。
・大きな滑らかさと小さな滑らかさの間を自在に行き来できることが大切だ。
・こういう言葉であげた大切な要点が滑らかにつながっていることが大切だ。

言葉でやさしく書いても、こういう話は「むずかしい話」に思えてしまうだろう。けれどパソコンの自在な拡大縮小による画面で絵を描いたり図形を描いたりしている人、木を彫ったり削ったり磨いたりの根気強い作業をしている人、プロやプロ並みに精妙な味付けで料理をしている人、調べ、考え、想像して濃密な文章を書いている人が、自分の心を集中させている対象を思い浮かべれば容易に腑に落ちるのではないか。

Adobe Illustrator による作図

世間は効率を求めて単純化したがり、自分は自分の細部にこだわりたがるものであって、その間を滑らかにつなぎ続けるということが大切なのだという自戒を箇条書きしてみた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【新しいニコライ堂】

2020年11月10日

【新しいニコライ堂】

JR 御茶ノ水駅の大規模改良工事が進み、神田駿河台あたりの景観がぐんぐん変わっている。

新刊書の印刷用紙選びをするため日本製紙株式会社のペーパーギャラリーに行き、用事を終えて表に出たら、思いがけない角度からニコライ堂が見えた。新しい角度のニコライ堂を見て、新しい高層ビル街を抜け、新しい店舗になった神田藪蕎麦目指して歩いたら道に迷った。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
« 前ページ 次ページ »