電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉話す
2019年7月19日
◉話す
◉霧島茶
2019年7月18日
◉霧島茶
昔なじみの居酒屋ご主人が亡くなられていたので花代と線香を持って再訪したら、お返しに出身地鹿児島県産の霧島茶をいただいた。「龍馬とお龍日本最初の新婚旅行の地」とパッケージに書かれている。
茶所静岡出身なので静岡茶がいちばんと贔屓する気持ちが強い。このところ水出し珈琲と水出し緑茶をつくってよく飲んでいる。静岡茶の新茶がひとつ空になったので霧島茶を開封したら、これはよいお茶だと一目見て思う。深蒸しの新茶ということで、水出しでも円やかな味わいに深みがあってとてもおいしい。認識を新たにした。(4:17)
Paris 1994
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今日、いま、突然、iPhone を手に持っただけで電源がオンになるのに気づいた。今まで気づかなかったのはフリップタイプのケースに入れていたからだ。古い 5 S で試してみたらなんともないので 5 SE が壊れたのかと思った。「iPhoneを持つと電源が入る」と入力して検索したら、なんと iOS 10 からそういう機能がついたのだという。修理に持ち込まなくてよかった。設定で「手前に傾けてスリープ解除」をオフにした。(16:36)
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◉網野さん
2019年7月17日
◉網野さん
テレビを見ていたら「アミノ酸」を「網野さん」と人の名を呼ぶようなイントネーションで喋るアナウンサーがいて、アミノ酸の一種であるグルタミン酸の発見者が池田さん(池田菊苗)であるように、ひょっとしたらアミノ酸の発見者は日本人で苗字が網野さんなのだろうかと思い、調べて見たらそうではないらしい。(6:07)
Paris 1994
夏の甲子園地方大会で各地の農業高校が朝ドラで歌われる FFJ 日本学校農業クラブ連盟の歌を応援歌として演奏しているという。調べてみて、ああそうだったのかと思う。(6:53)
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久しぶりに雲間から陽光がのぞき、六義園内外からかすかに蝉の声が聞こえている。長い雨が上がるのをジリジリ待ちわびていたのだろう。
三菱養和会巣鴨グラウンド 20190717_13:25
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◉森田正馬も、西田幾多郎も、ピンポンも
2019年7月16日
◉森田正馬も、西田幾多郎も、ピンポンも
今日の名言アプリにニーチェに代わって老子が登場していて、なるほどと感心したので、未明のスマホでもぞもぞメモ。
老子の名言としてよく取り上げられているけれど、この名言アプリが採った訳がいちばんいい。二度出てくるうち後者の「自分」を「本当の自分」などと言わないところがいい。
自分が何者であるかにこだわらなければ自分になれるであろう――老子
「無為にして為さざるなし」(→逆に言えば「有為は為さざるににたり」だろう)
――道家の根本教義
・謙退の実際的教訓(→謙退=量や程度を減じること)
・包和的自然観照(→観照=主観を交えず直感的であること)
――道家思想の綱領
・無為自然
・小国寡民的原始社会(→この辺から曲解が生じるのではないか→老子=「知識人の観念的逃避の理論 (慰めの哲学) 」)
雨の朝。濃霧注意報が出た昨日より、今朝の方が遠くの景色が煙っている。多少のビル群煙雨の中。(6:21)
白山のオリンピックで買って三十年以上つかった木製縁台を粗大ゴミに出した。収集作業の音が聞こえるのでベランダに出て通りを見下ろしたら、収集用トラックの荷台に載せられて遠ざかって行った。(8:16)
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・有為(うい)で打つときは下手になる。
・「有為こそ自分で無為は自分ではない」という考え方を捨てる練習。
・そういう意味で老子も、森田正馬も、西田幾多郎も、ピンポンもみな似ている。(9:37)
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◉じゅんさい
2019年7月15日
◉じゅんさい
連休明け火曜日の朝に著者が上京して新刊書の打ち合わせがあるというので、前日に渡しておこうかと電話したら女性編集者は出張で秋田だった。「K さん、いま秋田にいるんだってさ」と妻に言ったら「じゅんさい食べたい!」と言う。友人のことより食べ物が秋田と直結し、食欲は意識に優先する不随意反射なのだろう。
じゅんさいといえば郷里静岡県清水、興津から由比に抜ける山越えの道沿いに水が湧いてできた小さな池がある。行ったことはないけれど地図を見ると今もある。かつては婚姻のために踏み分けられた嫁っ子街道だったらしい。池にはじゅんさいが群生しており、子どもたちは甘い黒蜜を持ってたのしみに食べに出かけたたという。清水でもじゅんさいがとれた事と、甘い冷菓がわりという食べ方、そのふたつに驚いた。
プレゼンテーションを海の日である今日中に、事務所に届けておくと約束をした。目が覚めて、雨が降っていなければ自転車で行けるんだけど、と思いながら天気予報を見たら東京地方に濃霧注意報が出ている。(5:00)
Paris1994
朝刊をとりに起きたついでに外を見たら濃霧ではなくてがっかりした。発生場所は海岸から海上にかけての方面かもしれない。
同階住人の M 先生は合宿セミナーで先週から野尻湖に行っている。留守中の新聞保管を頼まれ「お土産買ってくるからね」と言う。ナウマンゾウが踏んだコシのあるうどんがあれば欲しい。かつて新聞は二紙とっていたが一紙にしたらしい。わが家が朝日新聞をとっているのを見て「なーに、朝日なんか読んでるの⁉︎」と彼女は言う。「留守の間、わたしの新聞読んどいてもいいわよ」と言い、その新聞は確かに朝日とは一面からすでに随分違う。新聞は世間を多面的に読むのにこそ役立つ。そういう道具として赤旗と聖教新聞をとっている心理学者も知っている。
毎朝、朝日の一面で最初に読むのは「しつもん!ドラえもん」。昨日の、原稿の間違いを減らすためにふたり一組になってるする校正を何と言うかという質問で、答えの「読み合わせ」という言葉をすっかり忘れていた。そうだったそうだったと妻も言う。今朝の質問はフィリピン語「ハロハロ」の意味だが、これは昔フィリピン家庭料理の本を手がけたので知っていた。(5:45)
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14:00 立教通り
雨になる前に北池袋までポスト投函に行き、完了のメッセージを入れた。東武デパート地下の『魚力』で三陸産の剥きホヤを買い、マンション内の飲み友達である八十過ぎの長老に届けた。念の為電話を入れて「ホヤは食べられますか?」と聞いたら「俺はなんでも食べる」と笑っていた。
帰宅したら秋田出張中の編集者からショートメッセージが届いていた。(15:47)
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◉録音ラジオサーバー
2019年7月14日
◉録音ラジオサーバー
◉とん平
2019年7月13日
◉とん平
◉2 オクターブ
2019年7月12日
◉2 オクターブ
歩きながら好きだった歌を口ずさんでみると 2 オクターブ出せなくなっている。いつ頃からかわからない。2 オクターブ出ないと流行り歌はきつい。小学生時代の終わりころ、男女一緒になって校歌斉唱などすると、女子と男子のどちらの音程に加わるか迷うようになった。変声期だった。
オクターブ上げて話す女性が苦手で、それはわが母親がそうだったからだろう。電話をかけたり、来客の応対などしていると、オクターブ上がった甲高い声を出して話し、ああいうのを頭のてっぺんから声の出る人というのだろう。
Paris1994
妻が学生時代からお世話になっている女性がいて、彼女もまた頭のてっぺんから声の出る人だった。高齢になったいまはサービス付き高齢者住宅のようなところで暮らしているが、ある頃を境に頭のてっぺんから声が出なくなり、容姿も別人のように地味に変わって驚いた。わが母も他界する頃には頭のてっぺんから声が出なくなっていた。高いところから低いところへの落差で、声が地の底から響くように感じる女性の変声期。(4:53)
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◉ラフちゃん
2019年7月11日
◉ラフちゃん
昨夜は録画しておいた NHK クラシック倶楽部で、「デニス・マツーエフ ピアノ・リサイタル」(2017年12月9日 武蔵野市民文化会館 小ホール)を視聴した。
演奏曲目
「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31第2」
ベートーベン:作曲
(ピアノ)デニス・マツーエフ
「ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110」
ベートーベン:作曲
(ピアノ)デニス・マツーエフ
とてもよいベートーベンだった。(8:28)
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Paris1994
若者たちはなんでも名前を約(つづ)めて言う。昔からそういうものだ。カタカナ言葉が増えて略語が氾濫し、ついていけないので気になるだけだろう。仕事で「いただくデータはインデですかイラレですか?」などと聞かれると、恥ずかしいので「アドビ・イラストレーターのバージョン・シーシーで」などと、わざと長々しく答える。若い子からはダッセーおやじ風に見えるのだろう。一流音大を出て、海外留学して、各種賞をとり、演奏会をひらけば小ホールは満席になり、テレビ番組として録画中継されるような若い女性音楽家も、化粧と衣装も相まって演奏中はキリッと引き締まった顔をしている。それが控え室に戻ってインタビューを受けると途端にその辺のお姉ちゃんと同じになり、プロコフィエフを「プロコ」、ショスタコーヴィチを「ショスタコ」などと呼ぶ。ラフマニノフのように「ラフマ」ではかわいげがない場合「ラフちゃん」などと言うのでびっくりする。「おじさんもラフちゃんが好きだ」などとはとても言えない。
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◉レイモンド・カーヴァー全集
2019年7月10日
◉レイモンド・カーヴァー全集
村上春樹訳によるレイモンド・カーヴァー全集 THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER をちびちび大事に読んでいたら、結局全 8 巻を古書で注文してしまった。安いのを探してかき集めたので 12 日までに各地の古書店から順次届くことになっている。短い生涯を辿るように 1 巻から順に通読したくなったから。
七月とは思えないように肌寒い日が続いている。今日は晴れて日中の気温が上がるというけれど未明の気温はまだ低い。(2:45)
紙の手帳を使い込んでいくうちにまた電子の手帳を併用したくなっている。電話機を兼ねたスマートホンはこの先も手のひらにおさまりのよい iPhone 5 シリーズと決めているので、ひと回り大きいこの GALAXY Note 3 も再整備して手帳として持ち歩くことにした。調べ物に義父が使っていた電子ブックの『漢字源』を使いたいので電子辞書アプリ EBPocket をインストールした。GALAXY Note 3 の Android はバージョン 5 になっているので夜が明けたら外部 SD カードのパス /storage/emulated/0/ に EB 辞書データをコピーする。メモ。(3:11)
2018 年の国連データで、日本の人口は一億ニ千七百二十万とんで二千人になっている。この国には「一億ニ千七百二十万とんで二千人」くらいの 〈私〉 がいて、一人ひとりが世界にたったひとりのかけがえない 〈私〉 になっている。「一億ニ千七百二十万とんで二千人」の 〈私〉 が、一億ニ千七百二十万とんで二千通りの 〈私〉 という視点から世界を見て生きている。「一億ニ千七百二十万とんで二千人」の 〈私〉 がいても 〈この〉 〈私〉 しか 〈私〉 はいない。これは哲学的に最難度のテーマになっている。〈私〉 以外の日本人は何人くらいいるのだろうと調べてみたので尾ひれをつけてメモしておく。(3:43)
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Paris 1994
ここ数日ハードディスクの調子が悪い。数珠繋ぎになっている外付けディスク 7 台のうちのどれかが突然スピンダウンする。スピンダウンしてアンマウントされるとき、他のディスクを巻き添えにするのでこれはまずいと思い、不調のディスクを特定した。1TB ハードディスクの寿命が近いらしい。別のハードディスクに差し替えバックアップデータを書き戻していたらやっぱりスピンダウンする。ということはハードディスクケースの基盤が壊れているのかもしれない。買い置きのあるUSB-C 接続のケースに差し替えたら、ちゃんと元のディスクも認識する。ハードディスクケースの故障は初めてだったのでちょっと驚いた。(15:26)
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◉クラシック全集
2019年7月9日
◉クラシック全集
ディアゴスティーニという会社が隔週発行していたクラシック全集を惰性で取り続けていた時期がある。創刊日が 1994 年 9 月 27 日なので今の住まいに引っ越してきた年であり、その頃は通りを挟んだ向かいの角に小さな書店があった。いつも老夫婦が背中丸めて店番しており、配達もするというので定期購読してみたのだった。配達のとき玄関ドアを開けると大きな声で「本屋でござ〜い!」と言っていたのを今でも覚えている。
百冊を超えたあたりで、いったいいつまで続くのだろう、果てしがないのではないかと不安になり、途中でやめてしまったけれど、調べてみると刊行終了日は 1996 年 3 月 10 日で、完結号は 180 号になっている。わが家にあるのは 115 号のラヴェルまでなので、折り返し地点を過ぎたあたりで棄権脱落したわけだ。
その後、角の書店は廃業してしまい、場所をとるオーディオ装置は処分し、何台かあった CD ラジカセは壊れ、妻が手づくりオルゴール CD の郵送前検品をする1台を残すだけになった。引っ越しを終えて整理する余裕ができたので、すべての CD をパソコンに取り込んでおくことにした。こうすればわが家の CD プレイヤーが滅んでしまっても聴くことができる。
思い出のためジャケット画像もスキャンして貼り付け、全収録曲をテキストファイルにし、検索できるよう Evernote に保存することにした。1日 12 枚のノルマを決めて毎朝少しずつ作業している。出版社がノルマに従って発行を続け、本屋がノルマに従って配達を続けた CD である。人生の方は新たなノルマを産みながら惰性で続いて行く。(5:35)
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映画『未知との遭遇』が日本で劇場公開されたのは 1978 年 2 月だった。のちに妻となる同級生とふたりで観た。その年に就職し、勤め先のデザイン会社で映画タイトルに使われていた近未来的デザインのフォントを書体集で探したら「Handel Gothic」に似ている。
Handel といえば音楽家ヘンデル(Georg Friedrich Handel)を思い出す。どうしてヘンデルなのだろうと長いこと思っていた。ヘンデルを聴きながらふと思い出したので検索したら、書体デザイナーが Donald Handel なのだった。(08:55)
◉岡田理博
2019年7月8日
◉岡田理博
佐藤垢石(こうせき)『垢石釣游記』に生物学会の長老として引かれている岡田要理の要理は洒落た名前だが何と読むのだろうと人名を引いたら、名前は要で後ろに理博(理学博士)がついたものだった。岡田要理博と書いてあるので岡田要理博士かと思った。
岡田要は 1891 年生まれの動物学者で、垢石に東大の長老と紹介されているけれど、1953 年に退官したのちは国立科学博物館館長をつとめている。要は「かなめ」ではなく「よう」だった。
岡田理博は鮟鱇の奇妙な生態についての解説のために引かれている。鮟鱇の雄は雌の十分の一に満たない大きさしかなく、雌の腹部に食らいついて栄養をもらいつつ、生殖の役目を果たすため一緒に過ごし、ついには雌の身体に溶け込むように一体化してしまう。雄が雌の背中に乗って生殖どきを待つオンブバッタにも似ている。鮟鱇の不思議な話は清水次郎長通りの魚屋に、雌の腹部に張り付いていた雄を見せてもらいながらレクチャーを受けた。20 年近く前の話だけれど、パソコン内にバックアップしたサイトデータ内に、手のひらに乗った雄鮟鱇の写真が残っているはずだ。(4:35)
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◉デッドヒート
2019年7月7日
◉デッドヒート
競技を終えた水泳選手は上手に水から出てプールサイドに上がる。水族館で調教されて曲芸をするアザラシも水中から飛び出すようにしてプールサイドに上がる。南極のペンギンたちは体操選手のフィニッシュみたいに直立姿勢で水上に飛び出して氷の上にピョンと着地する。かわいい。
義父母が暮らしていた 9 階の部屋に引っ越した。南向きの窓に緑は見えず、遠くに千代田区や港区方面のビル群が空との境をつくっている。殺伐とした無彩色の都会的風景が広がって生き物の気配がない。そういう窓辺を見ながら朝食をしているとベランダの手すりにスズメがとまるので「あ、スズメが来た」と食事の手を止めて言う。風景が有彩色に変わる。
9 階の窓辺ではスズメが舞い降りるのではなく、地表近くから勢いよく垂直に舞い上がって来てスタッ!と着地する。長くとどまることなく上空を見上げて飛び立っていくので、10 階建ての屋上を飛び越えて行くための中継地点、踏み切り板にしているのかもしれない。室内で食事をする住人から見ると、手品のようにスズメが出現し、かき消すように消失する。そういういつもの朝が来た。(5:14)
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雨の七夕まつりになった。六義園内では園児たちが書いた短冊が、風雨の中でからからと音を立てていた。(10:29)
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ネットオークションにちょっと気になる音響機器が出ていて、もう物は増やすまいと思っているのだけれど気になって仕方ない。知らずにいた古い商品だけれど、なかなかデザインのセンスがいい。発売年にはグッドデザイン賞をもらったらしい。それがとても安い値段で出ている。同じ値段で微妙な色違いの製品も出品されていて、色違いなので型番の末尾が一字違っている。よく見ると出品者が同じなので、同じ商品の色違いを所有していたわけだ。安くて良い商品だけれど入札がゼロで、もうこういう商品は誰も要らないのかなと思う。自分は欲しいけれど要らない、そう思ったものの気になるので翌日のぞいてみたら、オークション終了直前に入札があり、四、五回の小競り合いを経てちょっと値上がりして落札されていた。わずかでも安く買おうと目をつけていた者同士がゴール直前でデッドヒートを繰り広げたのだろう。
色違いの方が売れ残っている。どうせ最後にバタバタと競り落とされるのだろうと思ったら、なんだか面白いので入札してみた。こんな値段でいいのだろうかと思いながらオークションサイトを見ると「あなたが現在の最高額入札者です」と表示されて残り時間が一時間を切っている。先日競り合いを演じた敗者がそろそろ入札してもいいタイミングになってきた。「高値更新のお知らせ」というメールが届いたらそのまま撤退するつもりなのだけれど、このままでは落札できてしまう。微妙な色違いで、思いがけない落札結果になり得るのだろうか。もうすぐ終了時刻だ。(17:04)
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◉ラインハルト
2019年7月6日
◉ラインハルト
雨の降る七月の未明にしては涼しい。待てよ、それにしても涼しい、涼しすぎる、もしかしたら窓を開け放してエアコンをがんがん効かせるなどという愚行をしているのではないかと、トイレに起きたついでに確かめたら、エアコンはちゃんと停止していた。さらっと涼しい七月の夜は、笹の葉さらさら的に不快指数が低い。
不快指数、物価指数、知能指数。指数もいろいろある。指数とは百分比の割合のことで、物事を「割合」で考えるとわりあい親しみやすい。騙されることも多い。わりあい親しみやすいなどと言う時の「わりあい」は比較的という意味で、くだけた言葉遣いでは「わりかし」と言い、ほんとうは「わりかた」が正しいらしい。「わりかた」が「わりかし」にくだけるのは、「からきり」が「からきし」に、「めっきり」が「めっきし」に、「はっきり」が「はっきし」に、「おもいきり」が「おもいきし」にくだけるのと同じでどうも江戸言葉くさい。若者もよく使う。
「わりかし」的に百分比でざっくり考えるにしても、不快指数はエアコンでもつけないと如何(いかん)ともしがたい。だが愉快指数の方なら気持ちの持ち方という自助努力でなんともなる。愉快指数をいつも高めに保つことを心がけたいものである。(4:50)
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昨夜、テレビを見ていて「ラインハルト」は英語の「リチャード」ではないかとふと思った。「Reinhard」と「Richard」の綴りを見て思いついた。「rain」(まことの、純粋な)に、「harti」(心、強い)を合わせたのが「Reinhard」。「ric」 (力、支配)に「hard」(勇敢な、強い)を合わせたのが「Richard」で、語源的に似ているからだろう。ラインハルトといえばジャンゴ・ラインハルト、リチャードといえばクリフ・リチャード。外人にはミュージシャンが多い…のではなく外人にはまず音楽から親しんだ。(5:22)
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古書で注文した THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER という村上春樹訳のレイモンド・カーヴァー全集、その一冊目が届いたら表 3 側の見返しに村上春樹のサインがある。おや、直筆サイン入り本なのか!と表 2 側を見たらレイモンド・カーヴァーのサインも入っている。初版発行が 1997 年で村上春樹は健在だが、著者は 1988 年に亡くなっているので出版記念サイン会には出られない、ということは印刷なのか、とわかるところがご愛嬌。
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1886 年創業の老舗出版社で、偉大なミニマリズム作家の作品で、大変な翻訳名人による単行本化でも、やはり誤植というのは生まれてしまう。『ささやかだけど、役にたつこと』「引っ越し」178ページ、グレンハウンド・バス→グレイハウンド・バス。(14:59)
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レイモンド・カーヴァー「誰かは知らないが、このベッドに寝ていた人が」村上春樹訳を読んでいたらアメリカの嫌煙権運動を背景にした記述がある。この作品は短編集『象』に収録されており、発表は 1988 年なのでそのちょっと前あたりで書かれたものだろう。
「タバコ喫みは今や袋だたきだもんなあ」
などという会話がある。1988 年といえば自分もまだヘビースモーカーで、アメリカの嫌煙権運動は早かったのだなあと思って日本のそれを調べたら、「團伊玖磨、筒井康隆、山田風太郎などが嫌煙権運動をファシズムになぞらえて発言するようになった」(ウィキペディア)のが 1980 年代末なのだそうだ。日本もアメリカも同時期だったわけだ。(16:41)
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◉古斯塔夫馬勒
2019年7月5日
◉古斯塔夫馬勒
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