◉日本地名大辞典と谷崎潤一郎

2018年6月19日
僕の寄り道――◉日本地名大辞典と谷崎潤一郎

 

『角川日本地名大辞典 22 静岡県』が欲しくなったのでネット検索したら、汚れたり破れたり書き込みがある古書があり、本は実用にたえれば汚れていても気にならないので、送料込み 1,000 円という最低価格のやつを注文した。

届いたので受け取ったらずっしり重く、段ボール箱をあけてみたら立派な谷崎潤一郎全集が二冊梱包されており、値段も 9 倍近くしてびっくりした。ずいぶん高い古書である。

古書店に電話したらラベルの貼り間違いだそうで、返送用の空箱を送るので送り返してほしい、こちらが注文した本は間違えた送り先から返送されしだい再発送してくれるというので「わかりました、返送します。こちらのは急がないのでいいですよ」と答えた。

しばらくしたら電話があり、同じ本の在庫があったのですぐに送る、その箱に谷崎潤一郎全集を入れて送り返してくれという。最低価格のものより汚い『角川日本地名大辞典 22 静岡県』はなさそうなので、ちょっと儲けた気分になっている。(2018/06/19)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉Mr. Lonely

2018年6月17日
僕の寄り道――◉Mr. Lonely

妻が老人ホーム訪問の合間を縫い、息抜きとして遊んでいる 20 音のシート式手回しオルゴール。既存の曲をオルゴールにするときは、半音のない限られた 20 音で、どうごまかしてそれらしく聴こえるようにするかのゲームになる。

1964 年にボビー・ヴィントンがヒットさせた『Mr. Lonely』が 20 音でオルゴールにできないかリクエストしてみた。1970 年レターメンによるカバーの方をよく聴いたけれど、FM 放送人気番組テーマ曲としても懐かしい。

高校生の英語力でも

I'm a soldier, a lonely soldier,

の意味は聴きとれて、ベトナムの戦場に送られる兵士のさみしさに心を寄せることはできた。だが、つたない語学力では

Letters, never a letter,
I get no letters in the mail.

の部分が理解できなかった。

さみしさ、かなしさ、くるしさにひとりで耐えることはできても、「さみしさ、かなしさ、くるしさ」を感じずに済む他人たちと自分を比べてしまうと、人はひとりで耐えることが難しくなるかもしれない。「なぜわたしだけ…」などという言葉が口をついて出てしまい、幸せな他人と不幸な自分を比べることは、人を心理的な地獄へいざなうのだとおもう。

「手紙」はある、でも自分宛ての手紙はない。
郵便物の中に自分に宛てられた手紙はない。

そういう世界の見え方に孤独を感じてしまうと、歌の中の兵士のように、自分は「世界から忘れ去られてしまった人間である」というかなしみから抜け出せない。

齋藤慎一『中世を道から読む』講談社現代新書を読み始めた。おもしろい。「第1章 路次不自由」に「北条氏康の空間認識」という小見出しがあって、ふと『Mr. Lonely』を思い出した。兵士のさみしさは 20 音のオルゴールシートになるだろうか。(2018/06/17)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉惜しい

2018年6月16日
僕の寄り道――◉惜しい

空になった缶や瓶に愛着して捨てられない度合いは、ひと缶もしくはひと瓶を使い切るまでにかかる時間の長さに比例している。空になるまでに経過した日々が思い出されて捨てるに惜しい。

「ブラックペッパーまでは合ってるけど『荒挽』じゃない方を買わないとだめよ」
と間違えた買い物をして妻に言われ、肩身の狭い思いをして使い切ったので、ついに使い切った時に去来する感慨はひとしおである。関係ないけれど『荒挽』という文字を眺めて、どうして『粗挽』と書かないんだろう、などと思う。

裏面の表示を見たら加工所は静岡県なので「なんだ郷土じゃないか」と奇遇に思う。掛川市大渕を地図で調べたら掛川市街地からずいぶん離れた海辺だった。地図を眺めているだけで海鳴りの聴こえる遠州灘を思い出し、香辛料の製造場所として悪くないと思う。

そういえば晩年の次郎長は、山岡鉄舟に頼まれて石岡周造の遠州相良油田開発に協力したのだけれど、あの話にも大渕は出てこなかったっけと思い出し、「どうだこの記憶力」と自信を持って調べたら、大渕は次郎長開墾の富士山麓だった。惜しい。(2018/06/16)

→次郎長開墾まで行ってきた話


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉縄文食

2018年6月15日
僕の寄り道――◉縄文食

仕事をしながら素炒りしたアーモンドをぽりぽり食べている。美味しい。いわば縄文食のようなものだ。アーモンドは瀬戸内や九州でも栽培されているらしいけれど、おそらく縄文人は食べたことがないのではないか。

若くして亡くなった清水の友人は、街場から庵原の農家に嫁いだけれど野生的で、縄文食が好きだと言って山芋の「むかご」を食べていた。耕地が少ないのに古くから人が住み着いた庵原は、そもそも縄文的な食べ物に恵まれていたように思われる。

わが母は縄文的などという現代人的にしゃれた嗜好もなく、ただ単に拾い食いが好きで、たくさん椎の実を拾って来て食べていた。非常に大雑把な人なので殻つきのままフライパンで素炒りしたり、茶封筒に入れて電子レンジで破裂させて食べていたが、あれもなかなか美味しくて酒のつまみにもよい。

仕事中に木の実の類を食べていると眠くならない。木の実を食べている間は頭が冴えているような気がする。焚き火に突っ込んで焦げた木の実を、ポケットに入れておいてぽりぽり食べていたガキ大将がいた。 「うまいぞ」と言われて貰った胡桃は本当にうまかった、勉強はできなかったけれど、縄文的に頭の良い奴だったのだろう。(2018/06/15)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉七夕のころ

2018年6月15日
僕の寄り道――◉七夕のころ

小さな福祉系出版社があり、もう本は作らないと言いながら毎年一冊だけ年度版の本を出されている。出せば必ず売れるので、この一冊だけを続けておられるのだそうで、出版点数年一冊の小さな出版社である。年度版のフォーマットも定まっているので手間賃程度の請求をさせていただいているけれど、うっかり忘れているとちゃんと定額の振り込みがある。去年は、たまには昼食くらい奢らせろと駒込まで出てこられた。

今年も電話がかかって来たので
「そうか、もう一年経ちましたか」
と話していたら、傍で聞いていた妻が
「あ、誰からかわかった」
と笑っていた。

 

この季節になると毎年、郷里清水の興津川上流、西里にある茶業農家『水声園』にファックスを一枚送る。
妻の従姉に新茶を送るからで、毎年同じ申し込み用紙を消しゴムで訂正しながら使っている。年老いたお義母さんを在宅介護している従姉から妻に、「いま新茶が届きました」と携帯メールが届き、請求書を忘れているのではないかと心配になる頃、一杯分の新茶を添えた振り込み用紙が届く。

いつでも縁側を空けて待っていますとお便りをいただき、天国に近い山里に妻を連れて行きたいが、老人介護中なので泊まりがけの旅ができない。毎年毎年水声園の周りに咲く花の写真が添えられており、今年はイタヤカエデだった。(2018/06/15)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉藤岡屋日記と鍵屋

2018年6月14日
僕の寄り道――◉藤岡屋日記と鍵屋

夕方になって女性編集が仕事の打ち合わせに寄り、「夕方」ということは、さっさと仕事を切り上げて飲もうという合図になっている。いちど根岸にある日本百名居酒屋のひとつ『鍵屋』で飲んでみたいと思っていたので電話して予約した。

バスで団子坂下まで出て三崎坂を登り、谷中墓地で編集者の亡きご主人の墓参りをした。墓参りを終えてのんびり言問通りを歩いていたら台東区の掲示板があり、台東区立中央図書館で企画展「日記が語る台東区5『藤岡屋日記』の世界─安政江戸大地震と幕末の台東区─」が始まるというポスターが貼られていた。

『藤岡屋日記』というのは、江戸時代末期、須藤(藤岡屋)由蔵という人が路上にムシロを敷いて露天古本屋をを営みながら、江戸市中の事件・噂・落書などを情報収集し、文化元(1804)年から明治元(1868)年までの65年間、全152巻150冊の日記にまとめたものをいう。展示は 6 月 22 日から、9 月 16 日まで。よい散歩になる距離なので出かけてみようと思う。

『鍵屋』に着き、座敷に上がり込んで飲んでいたらご主人がわきに座られ、小金井市にある『江戸東京たてもの園』に行ったことがあるかと聞く。かつて言問通りにあった居酒屋『鍵屋』の建物がそこに移築保存されているという。行ったことがないと言ったら 24 ページの小冊子をいただいた。妻も編集者も行ったことがないと言うので、こちらも是非出かけてみようと思う。(2018/06/13)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉高台の家

2018年6月13日
僕の寄り道――◉高台の家

田端駅近くの切り通し上あたりにあった家に、1914 年から 27 年まで芥川龍之介が住んでいた。近藤富枝『田端文士村』中公文庫を読むとその頃の様子がよくわかる。

「住んでいた」という事実には終焉の地であることも含まれており、何度かその場所を訪ねてみたけれど、個人の業績を顕彰するような場所ではなく、そっと垣間見るふつうの生活がある住まいとなっていた。

北区がその土地約330平方メートルを約2億2000万円かけて取得し、2023年に芥川龍之介記念館開館をめざすと新聞記事にあった。費用はふるさと納税、寄付金そして文芸愛好家などから調達するという

高台のほとんどが縄文の昔からの遺跡になっているような日当たりの良い場所なので、記念館が開館すれば田端文士村界隈は散策コースとして明るさを増すと思われる。(2018/06/12)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉遺跡発掘現場、謎の「X(エックス)」

2018年6月12日
僕の寄り道――◉遺跡発掘現場、謎の「X(エックス)」

昼休みに地域文化情報収拾を兼ねて田端文士村記念館まで散歩したら、無料オーボエコンサート情報という収穫があった。ついでに田端西台通遺跡、道路拡張工事現場の遺跡発掘調査の様子を見に行ったらまだ進行中だった。

住まいのある六義園脇は染井遺跡、駒込一丁目遺跡、上富士前町遺跡、籠町遺跡に囲まれており、囲まれているというか六義園自体も含んだ大きな遺跡だったようにも見える。

今回の発掘現場である田端西台通遺跡の周りも遺跡だらけであり、六義園側遺跡群との間に帯状の空白域があるのは谷田川が流れる低地だったからだ。

調査の様子を覗いたら露出した地表に大きな「X(エックス)」が縄張りされている。これはなんだろう。こういう「X」型をした構造物がかつてここにあったということだろうか。発掘調査が終わると説明会があるはずなのでぜひ聞いてみたい。(2018/06/12)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉日本の大意

2018年6月12日
僕の寄り道――◉日本の大意

「大意は人おのおのにある」ものなので、述べられた大意に唯一これが正しいと言えるものなどないだろう。網野善彦を読んでいたら〈日本の歴史〉についてその大意を一気呵成に言い立てたものがあってちょっと感心した。田辺一鶴さんに会いに行った上野の夜を思い出した。

ちょっと感心したその文章は〈従来こう要約されていたが〉という〈日本の歴史〉のステロタイプを簡潔に示したものなので、内容が正しい正しくないは脇に置くとして、必要なとき「話の釈台(しゃくだい)」としてそこに置くことができると便利なので、書かれたものを自分の言葉に約(つづ)めて書き直してみる。

「日本は、弥生稲作文化到来で水田中心の農耕社会となり、班田収授制で班田農民を基礎とした律令国家ができ、水田開発が進んで荘園が形成されると有力農民が名主となって年貢米を貢納し農村の自治が進展するが、江戸時代になって士農工商の身分制度が定められて人口の八割が農民となり、本百姓と水呑百姓に貧富の差が拡大し、収穫の四割から五割の米を年貢として収めさせられ、農民は自給自足の生活をしたが江戸後期になって農民の商品生産が見られるようになり、農村への商品貨幣経済浸透に伴い窮乏した農民が一揆を起こすようになり、幕府の支配は根底から揺らぎ開国と倒幕という内外からの圧力によって崩壊し、封建主義的支配の一新を目指した明治政府が誕生し急速な工業化により産業革命を達成する」

児童・生徒だった時代に教えられた日本史の大意は確かにこういうものだった。張り扇(はりおうぎ)で釈台を叩きながら、ポケットに入る320字ちょっとに収めたことになる。きょうは暑い。(2018/06/12)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉雨の日と鷹の爪

2018年6月11日
僕の寄り道――◉雨の日と鷹の爪

母親は鉢植えに水をやる時
「あー、気持ちいい、気持ちいい!」
と植物たちに声かけをしていた。

妻はシャワーの湯をかけて洗ってやる時、
「あー、気持ちいい、気持ちいい!」
と愛犬に声かけをしていた。

鷹の爪を買って来てくれと頼まれており、去年の今日の日記を読んだら
「買い物に行って鷹の瓜を買ってきた」
と書いてあった。

面白いので雨が降る中を傘さして、去年に引き続き坂下のスーパーまで鷹の爪を買いに行き、
「あー、気持ちいい、気持ちいい!」
と道端の濡れた花に、心の中で声かけしながら帰って来た。(2018/06/11)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉半島と刺股

2018年6月11日
僕の寄り道――◉半島と刺股

できあがった保育の月刊誌『保育通信』が届いたら警備保障会社のチラシが挟まれていて、保育園向け「さすまた教室」の案内だった。保育者が園児を刺股(さすまた)で守らなくてはならない事態を想定している。一昨日、東海道新幹線車両内で起きた惨劇といい、なんとも物騒な世の中になった。

下北半島の形を、津軽半島に向かって振り上げられた斧にたとえたのは寺山修司だが、斧による凶行を阻止しようと突き出された刺股のように見える半島がある。

網野善彦、日本の歴史 00『「日本」とはなにか』講談社を読んでいて、その北海道南端部の半島を渡島(おしま)半島と呼ぶことを、恥ずかしながら初めて知った。下北半島、津軽半島と組み合わさって、陸奥湾や津軽海峡を囲う内湾を形づくる三半島のひとつなのだけれど「渡島半島」と名指ししたことがなかった。「北海道南端の出っ張り」その「江差側」「森側」などと言って話の用事が事足りていたからだ。

義母は函館出身なので、母親の生まれ故郷として馴染み深い妻に聞いたら、やはりその半島名を知らないという。函館は渡島半島から切り離された独立国のように孤立して頭の中に地図ができているらしい。体を張って頑張っている半島に対して畏れ多い話である。(2018/06/11)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉麦を食べる人々

2018年6月9日
僕の寄り道――◉麦を食べる人々

「昭和二五年に対馬へ調査にいったことがあるが、農家へとまっていると、きまったように朝四時ごろから唐臼をふむ音が方々でおこる。どこの農家でも朝おきるとムギをしらげる。それはその日のうちにたべるムギなのである。村じゅうの者がムギをたべている。」(宮本常一『民俗のふるさと』河出文庫)

しらげるは精げるまたは白げると書き、玄米や玄麦(げんばく)をついて白く精白することをいう。精白した麦を精麦(せいばく)という。昭和二十五年の対馬は決して豊かではなかったように思うので、貴重な麦を精製して栄養価の高い皮を取り除いてしまうことを不思議に思う。

母子家庭であることで息子に引け目を感じさせまいという意地もあってか、「うちでは麦ご飯は炊かない、あんたには白いご飯を食べさせている」というのが母の自慢だった。両親揃って安定した家庭に泊まると、健康食だと言って少量の押し麦や黄色い「ビタ米」などを混ぜてご飯を炊いており、かえって豊かに感じてちょっと羨ましかったものだ。

小学生時代、春夏冬の休みに預けられた清水の従兄宅では押し麦を混ぜた麦ご飯を炊いていたが、「お前のご飯には麦がいっぱい入ってる」と囃した従兄が「飯がまずくなるようなことを言うな」と伯父に平手打ちされて泣いていたので、豊かな親戚と思っていたけれど事情は複雑だったかもしれない。

宮本常一が対馬で見た足踏み式の唐臼はこんな道具だったらしい。どうしてわざわざ唐臼でついたのだろうと調べてみた。「えまし麦」といって、食べにくい玄麦を先に煮ておいてから炊くという手間のかかる工夫を昔の人はしていたらしい。朝四時ごろから唐臼をふまなければならないほど貧しくて忙しい人々は、唐臼で挽き割って粒を小さくしたものを炊いたそうで、挽割麦(ひきわりむぎ)というらしい。わが家でも麦ご飯を炊いてみようかなとふと思う。(2018/06/09)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉亀の湯廃業

2018年6月9日
僕の寄り道――◉亀の湯廃業

東京都北区西ケ原1丁目、本郷通り妙義坂に面した銭湯『亀の湯』店頭に廃業の挨拶が掲示されていた。

このところ廃業される銭湯を見かけることが続き、客の減少もさることながら、設備老朽化への対応に限界が訪れているのだろう。

銭湯の煙突が見られなくなることにより、この坂もまた景観が大きく変わっていくことだろう。

かつて妙義坂にあった、郷里清水市から出た前沢家具店、手打ちそばの店、小粋な飲み屋、美味しいパン屋などなど、古くからの住民仲間と話しても、懐かしい記憶がどんどん失われている。

ふと閉店挨拶があったのを思い出したので、昼食後散歩にでて写真を撮って来た。(2018/06/09)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉まきつく、のびる

2018年6月8日
僕の寄り道――◉まきつく、のびる

螺旋(らせん)構造はおもしろい。眺めていてなかなか見飽きない。子どもの頃、床屋の赤・白・青トリコロールの回転看板を眺めながら、そのまま空に昇って行くような気がした。

螺旋状をしたものには流れという視覚効果がある。まるでバッハが取り付けた音の階段を上って行くような気がするのだけれど、気づくと自分は全然動かずに静止していて、静止している自分がその場で足踏みしていると、音の階段が果てしなく足下へと流れて行くようにも見える。

夏が近づくと螺旋状に蔓を巻きつけながら天をめざして伸びてゆく植物たちを見かける。彼らの姿も見ている者を無限の高みへと誘う。蔓が巻きつく姿を眺めていたら、郷里清水に帰省する際に通る小田急線鶴巻温泉駅を思い出した。

温泉というからには温泉が湧いているのだけれど、鶴巻の語源はなんだろうと調べたら、あの辺りは字鶴巻田(あざ・つるまきた)と言ったらしい。鶴巻田という地名は日本各地にある。おそらく「つる」は別の字を書いたものが、めでたい「鶴」に置き換わったのだと思われ、実は水流と書いて「つる」と読むらしい。

それでは巻は何かというと、水の流れが渦を巻く場所という捉え方もできるけれど、巻とつく場所が、かつて動物を飼育していた「牧(まき)」であることも多いという。

水流田(つるた)で、亡き母が大好きだったプロレスラーのジャンボ鶴田を思い出した。惜しくも若くして亡くなったジャンボ鶴田こと鶴田友美さん、その鶴田さんは水流田(つるた)のような土地で名乗られてきた姓なのではないかと調べたら、出身は山梨県東山梨郡牧丘町とあった。牧丘の鶴田さんである。

蔓が巻き付くような連想に過ぎないけれど、個人的な楽しみで空を目指すようにおもしろいので、忘れないようメモしておく。(2018/06/08)


コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉話を、話す 2

2018年6月6日
僕の寄り道――◉話を、話す 2

妻に話してやろうと思いつつ適当なタイミングが見つからず、「いい話を読んだんだけどさ」と話せていないお話。

「民俗学者の宮本常一が八十歳を過ぎたお婆さんから聞きとった話なんだけどさ。そのお婆さんは嫁ぎ先の夫と気も肌も合わないので離縁してもらって実家へ帰っていたんだって。
 やってきた行商の小商いが、あんたは嫁の苦労というものを知っているだろうから再嫁してみないかと言う。『嫁の苦労というものを知ってるだろうから』というのが面白いよね。
 その相手というのは働き者の良い男だけれど、寝たきりで口うるさい爺さんの世話をしている。それじゃあ嫁は苦労するよね。でもその小商いが言うには、『あんたはその爺さんに嫁ぐんじゃない、年寄りはいずれ死ぬ』って言うんだって。面白いことを言う人だと興味を持ったので、赤い帯しめて、小さな行李に荷物を詰めてついて行ったんだって。
 先方に着いたら夫となる男は畑仕事に出て留守なので、台所に腰を下ろしてぼーっとしていたら、奥で寝たきりの爺さんが
『嫁に来たんなら嫁らしく働け、俺は小便がしたいんだ』
って怒鳴るんだって。早速たすき掛けして尿瓶持って下の世話をし、台所を片付けていたら男が帰って来て
『嫁に来たんなら飯を作ってくれ、俺は腹が減ってる』
って言う。夜になったのでどう布団を敷こうかと聞いたら
『気の向くようにすればいい、女房じゃないか』
と言うので、なんだか十年以上連れ添った人のような気がして、ああ、私は本当にこの家で必要とされてるんだなって思ったんだって。いい話だね。
 苦労も苦労と思わず働いて、口うるさい寝たきりの爺さんは、その後なんと十数年も生きた。そして死ぬ間際に
『お前には本当に世話になった』
と礼を言われたんだって。苦労はしたけれど、子どもにもたくさん恵まれて、本当にいい人生だった。昔の嫁入りなんてそんなものでしたよ。そうおばあさんは言ったんだってさ」

こうやって話の下書きを頭の中につくり、予行演習してから原著を読んでみると、細部のニュアンスがずいぶん違う。それでいい、語り聞かせはそれがいいのではないかと思うのだ。(2018/06/07)



コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ 次ページ »