駄菓子屋放浪記 11

駄菓子屋放浪記11

駄菓子屋科学教材店1

駄菓子屋は教育的でない科学教材店だった。たくさんの不思議の種を売ってはいたけれど、種明かしが付いていないし、説明してくれる先生もいなかったからだ。幼い頃の記憶を遡ると、駄菓子屋で買ったものの、答えと応用が発芽しないまま埋もれている不思議の種がたくさんある。

多くのおとなたちが懐かしく思い出すらしい不思議なオモチャに、指から白煙が出るカードがある。カードに付着したベトっとしたものを親指と人差し指に塗って、指先同士をこすり合わせると白い煙のようなものが出るのだ。多くの人が覚えているので謎を解明した人もいて、ネット検索すると質問への親切な答えがちゃん掲載されているのが見つかる。読んでしまうと、答えが見つかって嬉しい反面、元も子もない感覚に襲われるのが不思議だ。

ネットでも見つからないマイナーな駄菓子屋科学教材に、こすると発光する不思議なカップがあった。カップといってもごく小さな透明プラスチックなのだけれど、暗い場所、たとえばコタツや押入れの中で、付属のシート上にカップを伏せて置き、ゴシゴシ擦るとカップの中が電球のように発光するのだ。それは一人でも「わ~っ」と声が出るほど美しいものだった。

透明カップを伏せて付属シートをゴシゴシ擦ると、シートと透明カップによって作られた空間内が発光する、というのが観察した現象の概略だが、シートに塗られたものが何なのか、透明カップにも何か仕掛けがあったのか、擦る事による摩擦も関係があったのかなど、たくさんの不思議があるが、その答えがわからないままになっている。

答えのわからない不思議は世界中にたくさんあり、答えがわからないからこそ美しく思える不思議も多い。子どもには美しいものを愛でる心と、思い通りにして壊してみたいという願望が表裏一体になってあり、それが答えを知りたいという欲望の原動力になっている。だが答えを知ってしまったら、もう一度美しいと思えるように思い出を修復することはなかなか難しい。失恋と巡り逢いを体験してみないと愛の喜びがわからないように、科学のさらに先を勉強しないと、幼い日の不思議よりも大きな美しさにはたどり着けないのだろう。

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駄菓子屋放浪記 10

駄菓子屋放浪記 10

憧れが向かう方向はいつも空だった。自由を束縛しているものといえば、生まれて最初に体験するのが重力だからかもしれなくて、駄菓子屋にはそんな子どもの夢をのせて空へ舞い上がるおもちゃがたくさん売られていた。

駄菓子屋に売られていた簡便な組み立て式飛行機で、自分が覚えているものは最初期型に近いらしく、先端に鉛のおもりがついた木と紙の飛行機は、インターネットで見つかる画像の中でもとても古びていて数が少ない。そして自分が駄菓子屋通いを卒業したのちも、たゆまぬ努力によって飛行機たちは進化を続けたらしい。昭和の時代は長く、新しいものはとても良くできている。

駄菓子屋の飛行機で遊んでいると日向ぼっこのじいちゃんに声をかけられ、ちょっとその飛行機を貸してみろという。糸が通った縫い針を持って来て、紙と薄板を貼り合わせた機体に針を刺し、糸を持って宙吊りにし
「見ろ、この大きな羽が主翼、主翼のあたりで機体が水平になるべき場所が重心」
などと説明してくれたものだった。どうしたら安定飛行できるか、どうしたら浮き上がる力が得られるか、どうしたら回転せずまっすぐに飛べるかなど、翼の微妙な曲げ方なども教えてくれたものだった。

東京の下町工場地帯は軍需産業の町だったので、戦後のバラックに似た小さな工場がたくさんあり、白い液体をかけながら鋼材を切断したり、面白い削り滓を出しながら金属に穴を穿ったり、鼻を刺す匂いの中で金属にメッキを施したりしていた。そういう工場のじいちゃんは、潜望鏡の部品とか、戦闘機の樹脂製風防とか、ギラリと光る軍刀を持ち出しては見せてくれ、飛行機にもたいそう詳しかった。

そういう話に目を輝かせて聞いていた友人たちは、やがて駄菓子屋ではなく模型屋通いをするようになり、その後理工系の学校にに進んで行った者も多い。駄菓子屋通いの子どもたちが膨らませた夢が、やがておとなの夢につながって行くような町と人の仕組みが、東京オリンピックあたりまでの昭和にはあったんだなと、ネット上の画像遺産を眺めて思う。

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駄菓子屋放浪記 9

駄菓子屋放浪記 9

紐を巻いて放り出すことで回すコマを投げゴマという。昭和の時代、投げゴマをする子どもたちはみな科学者だった。東京で回したコマは、平べったい円筒形をした胴の下部が逆円錐形に下へ出っ張り、上部がすり鉢状に窪んでいた。すり鉢内部には同心円の彩色が施され、胴の中心を鉄芯が貫いて下部に長く上部に短く飛び出していた。鉄芯の先端はコンクリートを砥石にして磨いて尖らせ、なるべく摩擦を少なくする工夫をした。

不思議なことに駄菓子屋によって売られているコマの形が微妙に違い、胴の径が若干大きく、その分下部の逆円錐が浅く上部のすり鉢が深いコマがあって、そういうやつは長いこと安定してよく回り、フライホイール効果が高かったのだろう。茶碗に対して皿のような特徴があるので仲間内では皿ゴマと呼び、そういうのを売っている駄菓子屋があるというので隣りの学区まで遠征したりした。微妙に違うコマの数だけ職人がいて、駄菓子屋も仕入れ先が違うのかそれぞれ少しずつ個性があり、子どもたちは諜報組織網でも持っているかのようにちゃんとそういう些細な情報を知っていた。

静岡県清水に住んでいた一つ年上の従兄とその友人たちが回すコマは変わっていて、木でできた胴の円筒下部は逆円錐で飛び出しているが、上部は平坦になっていた。中心を貫く鉄芯は太く下部にだけ突き出し上部には突き出ていない。そして最大の特徴は胴の外周にベアリングの金属枠がはめてある。工業廃棄物を利用した喧嘩用のコマで、分類的には鉄胴ゴマということになるが、いかにも工業地帯らしい不思議なコマだった。さらに金属枠のない木製の胴に鉄芯を通しただけのものも安く売られており、従兄は父親に頼んでベアリング枠を調達してもらって自分で嵌めていた。どこかにベアリングが落ちていないかと聞けば、あるよと教えてくれる人がいる町だった。

まさに投げゴマという呼び名はこのベアリング鉄胴ゴマのためにあるようなもので、太めの紐を巻いて上から下へ叩きつけるように回し、回っているコマ同士がぶつかると火花が飛んで勇壮だった。回すのに使った紐は、コマを押しやって喧嘩させるのにも使うし、束ねてコマを叩いて回転力を補うのにも使い、そういう回し方をするコマを分類的にはぶちゴマという。鉄胴ゴマとぶちゴマが合体した闘牛のような不思議なコマ遊びだった。

コマ遊びは地方ごとにずいぶん違うけれど、東京下町のコマ遊び、静岡県清水のコマ遊びなどとひとくくりに言ってしまうと、そんなコマ遊びは知らないと地元の人に言われることが多い。とくに清水のベアリング鉄胴ゴマを知っている人はとても少なく、地域というより近所にあった駄菓子屋の個性による、ごく仲間うちの思い出に過ぎないのかもしれない。大規模チェーン化がすすんでつまらなくなった現在から振り返ると、昭和の時代の居酒屋には個性的な名店が多く、遊びの記憶には駄菓子屋の数だけ遊びの秘境がある。

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駄菓子屋放浪記 8

駄菓子屋放浪記 8

くじをひかせたり、火薬を使った派手なオモチャを売るような駄菓子屋は、子どもたちが「意地の悪いクソばばあ」と呼ぶこめかみ膏薬のばあさんが店番をしていた。そういうすれっからしの駄菓子屋に混じって、当て物ではない地道な商品を売る昔ながらの駄菓子屋があり、そういう雪国のかまくらのような駄菓子屋にも、やはり年寄りが中にいて店番をしていたが、たいがいは優しく穏やかなおばあさんだった。

母親たちが誰かの家に集まって世間話の会を始めると、お小遣いをやるから買い物に行って来いと使いを頼まれ、昔ながらの駄菓子屋に行かされて、真っ赤なスモモ漬けや、酸っぱいイカの足や、黒糖まぶした麩菓子などを代理で大人買いさせられたものだった。子どもを使った大人の買い食いである。

子どもだけでもときどきは昔ながらの駄菓子屋に行って、地道におなかをふくらませたいことがあって、サツマイモやアンズの味の飴を買うことがあった。イモ飴は赤胴鈴之助の絵が描かれた紙にくるまれた棒付きで、インターネット検索すると今でも見ることができる。一方アンズ飴の方がうろ覚えなのだけれど、四角い板状の飴でフクちゃんの絵が描かれた包装紙でくるまれていたように思う。

当時の駄菓子は著作権などお構いなしだったのか、オモチャもお菓子の包装紙も人気マンガの絵柄を使ったものが多く、素人が描いたせいか、あるいは著作権者への遠慮からか、本物よりちょっと崩れた下手くそな模写が多かった。ただし飴の包装紙のフクちゃんだけが妙に上手かった記憶があり、きっと本物だろうと思い込んでいた。

フクちゃんの作者である横山隆一は、横浜名物崎陽軒のシウマイについていた瓢箪型の醤油入れ「ひょうちゃん」の絵も描いたくらいにおかしみのある人なので、子ども相手の駄菓子にもすすんで絵を描いてやった、などという粋な話が残っていないかと調べてみたが見つからない。

本物のような偽物の話で思い出すのが、郷里静岡県清水に縁が深い山岡鉄舟の書で、全国各地に残っている鉄舟の書には偽物が多いという。鉄舟の弟子に鉄舟の書を真似るのが上手い者がいて、行く先々で鉄舟をかたって偽の書を置いてくるので、仕方なしに鉄舟が印を与えて押すようにさせ、偽物を本物にさせたという話を読んだことがある。いかにも鉄舟らしい剛胆な話で爽快だが、鉄舟に関する逸話は創作ばかりだというので、その話もまた偽物かもしれない。

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