▼カレー南蛮百連発:025



バブルの頃は赤坂あたりで仕事関係の飲み会が多く、
黒塗りの車が割烹のそばにとまっているのをよく見た。
そういう町にある蕎麦屋で一度カレー南蛮を食べてみたいと思っていた。



出てきたカレーは細葱ではなくタマネギを使ったものだった。
もの凄く熱くてカレー粉が粗挽きなのかざらざらした食感で
食べていると自分が猫の舌になったような気がする。



こちらは四谷駅ホームの「駅そば」自販機。

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▼9月17日の日記より

久しぶりに早朝のごみ捨てで外に出たら、同じようにごみ捨てをしている亭主族がいて、ごみ捨てを終えると首にタオルをかけて歩道に飛び出して行くのでジョギングでもするらしい。
 
ごみ捨てを終えてのジョギングよりもっと運動になるのが、寝ぼけまなこで朝の満員電車に揉まれることで、あれはいい運動になる。
 
かつて文京区千駄木に住んでいたころすし詰め状態の地下鉄千代田線に乗ったら蒸し暑い車内が耐えられないほど臭くてどうも自分の周りがもっとも臭いので我にかえって考えたら、出がけに捨てろといわれた生ごみの袋を捨て忘れて手に持ったまま満員電車に乗っていたのだった。



歩道を走っている早起きたちは六義園の周りをまわっているのであり、六義園の煉瓦塀沿いに一周すると1.2km走ったことになる。
 
オヤジたちのあとをついて早足で一周してみたけれど1.2キロはあっけなくて何周でもまわれそうな気がする。
 
みんながみんな生ごみ男ではないと思うけれど汗だくになって走っているオヤジの中に生ごみを捨て忘れて持ったまま走っているオヤジがいないかと探してみたがさすがにそういう奴はいない。



昼食をかねて秋葉原に出てデジカメ用の電池を購入。純正品に対して同等品は3分の1くらいの価格なのでやはりやすい方を買ってしまう。中国製の同等品は寿命が短い場合があるという話も聞くけれど、そうであったとしても3分の1ということはないと思うので。

秋葉原の昼食は居酒屋の老舗『赤津加』に行くことが多い。適度に空いているし、常連客の行儀がいいし、日替わり定食に魚が多いし、店を切り盛りする女性たちが気持ちいいし、ご飯を大切にしていておいしいのも嬉しい。


   ▲石丸電気のアサガオ
 
雑誌ブリコラージュが20周年になるので『私のブリコ ─しあわせになるということ─』と題して拙文を書いた。創刊号からもう20年も表紙のデザインをやっていることになる。夕方までかかって仕上げて校正を送信したところで家人の介護タイムになり一日の終わり。

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▼カレー南蛮百連発:024



静岡市葵区。
大通り沿いにすずやかな店構えの蕎麦屋があり
入ってみたらやはり創業90年を経ていた。
近代的に建て替えられていても
玄関の造作、看板や暖簾の意匠、
店頭の植木の手入れ、
掃除の仕方や打ち水の有無などで
何となく店の経歴がわかることもある。

葵区・駿河区の蕎麦屋を特集した雑誌を眺めながら待っていたら
望んでいたとおりのカレー南蛮が出てきた。



かけそばというつゆものがあり、
そのつゆにカレースパイス(ルーじゃない)でさっと香味付けし
片栗粉や葛粉でとろみを付け
肉と難波葱を放って火を通した…というそれだけのもの。
それだけのものだからそばつゆの味加減とカレーの香りの
干渉の具合に店による味の違いがでておもしろい。

この店はちゃんとそば湯がついてきた。
神田の老舗『まつや』についで二軒目の体験。
半分ほどのんだおつゆの残りに
そば湯を入れてのばしてみたけれど
味が破綻せずきれいにのびておいしい。



こういうどんぶりを残して席を立つのは久しぶり。
あらためてカレー南蛮には必ずそば湯をつけてほしいと
洗われてきれいになったどんぶりを見てふと思う。

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▼9月16日の日記より

未明まで雨音がしていたが夜明け前にあがる。
静岡の印刷会社に電話して入稿の打ち合わせをする。
小さな印刷会社らしいので心配で確認の電話をしたのだけれど
inDesignもIllustratorも最新版だし
モリサワフォントもフォントパスポート対応とのことで
都内の中堅印刷会社より静岡のほうがよほどちゃんとしている。

もう一冊原稿を連載させていただいている
雑誌『しぞーか』次号の校正PDFがメールで届いていた。
拙稿に毎回丁寧なレイアウトをして下さっていて嬉しい。

福祉系レストランパンフレットのデータが整ったので
CD-Rに焼きプリントアウトをつけて池袋の編集事務所まで届けるため外出。

青梅・赤塚不二夫会館に行ってきたという女性編集者から
『ニャロメ』のピンバッヂを貰いうれしいニャロメ。



有楽町線に乗って青山一丁目で降りて次の出版社に打ち合わせに行くと言ったら
池袋駅に引き返すより要町駅のほうが近いという。

要町駅方向に歩いたら道が下り坂になっていて意外だった。
池袋駅は地名の通りかつて池だったような低地にある気がしていたのだけれど
要町側から見るとわずかに高台なのだった。
それにしてもWikipediaの
「池袋駅の西口の奥といった感じの風情の街」
という要町の解説は可笑しい。



要町駅手前に着いたら昼時だったので
『いせや』という昔懐かしい感じの食堂に入り
日替わりメニューのトンカツ定食をみんなが食べているので
ちょっとへそを曲げてポークソテーにしてみたけれどたいへん美味しかった。



永田町駅で半蔵門線に乗るなら
要町駅ホーム最後端部に乗車するといいと別の編集者が言うので
もっとも後ろに近い入り口から地下駅に降りたら
この場所に噂の地下鉄副都心線が接続しているのだった。

うーんと唸りながら路線図を見たけれど
さしあたって利用したら便利そうな区間が思いつかない。

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▼9月15日の日記より

敬老の日。
敬老の日だけれどデイ・サービスがあり
義父は昼食が煮込みハンバーグとパンで
手づかみでこぼさず食べられるのがうれしいらしく
「パンだ、パンだ」と喜んで出掛けていったという。
ありがたい。

午前中『季刊清水』担当ページの修正作業。
昼食は近所にある『なか卯』のテイクアウトメニューにしてみる。
かつ丼を注文し家人と義母は親子丼にして貰ったが
1969年大阪府茨木市に創業とのことで若干薄味気味で嬉しい。



午後は武蔵野市にできる福祉系レストランパンフレットのデザイン作業。

13日、静岡駅近くのそば屋に入ったら古い雑誌が置いてあり
パラパラとめくったら旧静岡市にあたる葵区と駿河区の
蕎麦屋を取材した2007年年末特集だった。
注文したカレー南蛮を待つ間パラパラとめくっていたら
旧静岡市の蕎麦屋の数の多さと古さに驚き
「えっ!?」と驚く発見がいくつかあったので
日記に書いておこうと思いつつ仕事をしていたら夕方になった。

お店にあった雑誌は全ページ写真に撮らせていただいたのだけれど
このカメラのブレ防止機能はアユのPanasonicのように高性能でなく
すべてぶれていて判読不能だった。残念。

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【9月14日の日記より】

【9月14日の日記より】

午前5時起床。
着替えをして戸締まりをし、久能街道を歩いて、美濃輪稲荷神社大鳥居前の魚屋を訪ねあれこれお礼とお願い事をする。
魚屋も早起きだがおにぎり屋も早起きで、次郎長通り『梅の家』で五目ちらし寿司を買ってドリプラ脇の海辺で朝食。

■みかんが道にぼたぼた落ちていて清水らしい。久能道にて。

10時まで時間をつぶし、ユニクロの開店を待って靴下と下着を買い、浜田町『アラジン』の夏物処分を狙って出掛けていき、変わったデザインの半袖シャツを二枚買い、清水銀座戸田書店で司馬遼太郎を二冊買い、友人の写真館に借りた本を返し、昼近くなったので駅前銀座脇の『夜来香』でとびきりあっさりしたラーメンの美味しさを確認する。

■次郎長通り。『梅の家』の五目ちらし寿司。甘さが懐かしい。

帰京後に書いた『季刊清水』の編集後記。

編集後記
無人となった実家片付け帰省も足かけ四年目に入った。日の出と共 に目覚めて久能街道を歩き、矢通りをぬけ、次郎長通りで早朝から営業中のおにぎり屋で弁当を買い込み、ドリームプラザ脇海辺での朝食を楽しみにしている。実家を始末したら清水帰省時はどうするのかと心配してくれる人もいるが「湊があれば家も同然」と思える のが清水に生まれ育った者の幸福のひとつかもしれない。

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【9月13日の日記より】

【9月13日の日記より】

午前中、戸田書店発行『季刊清水』の資料整理。
義母と家人と 3 人でヒジキの梅干し煮をのせたご飯で昼食。
昼食後、東京駅 13 時 26 分発のこだま 559 号で静岡へ。
「 559 号」という数字はどこから出てきたのだろう。

静岡駅に着き『季刊清水』編集会議にはちょっと時間が早いので昭和通りを散歩していたらポツリポツリと雨が降り始めた。
ちょっと気になる小さな蕎麦屋があり
入ってカレー南蛮を食べてみたが素晴らしいカレー南蛮だった。建て直されて新しいけれど創業九十年だという。

■『あざれあ』前にて

静岡市駿河区馬渕。
静岡県男女共同参画センター『あざれあ』で編集会議を終え、編集委員の友人に車で清水まで送って貰い、南幹線狐ヶ崎からライトアップされた観覧車を初めて見た。

桜橋の珈琲店を訪ねたら山梨から娘さん夫婦が帰省されていて、歓談しながら飲むうちに時計は午前0時を回っていた。
手術を終えた愛犬が退院してきており、苦しげな声を聞いていたら三年ちょっと前の、まんじりともしない看取りの夜を思い出した。
老いた人も犬もその通底する苦しみを感じられれば哀しみの質はあまり変わらない。

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▼雨のプラネタリウム

雨上がりに傘を振り回して歩いていたら
傘の先が軒先に裂いた花にちょっと触れて
花びらを散らせてしまったりすると
儚さという禁断のものにふれてしまった気がして
悪いことをしたなぁと奇妙な罪悪感を感じた子ども時代がある。



激しい風混じりの雨が降ったあとで
意外にも花びらが散らずに残っているのを見ると
いかに激しく感じられても人為に比べて
自然の風雨というのは存外やさしいのだなと感心する。

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▼歩く

電車というのは繁華な場所になるほど駅と駅の間隔が狭くなる。
切符を買って、構内を歩き、階段を上ってホームに出て、
電車が来るのを待つことを考えると、
ひと駅くらいなら歩いた方がよいと思えるほど
隣あう駅が近いことも多い。



ホームで電車待ちしていると隣駅のホームが見え
ホームからホームへ歩くことができるなら
ひと駅くらい歩く人が意外に多いんじゃだろうかと
電車の車両内を歩く人を見ていて思うけれど、
そういうことを無駄と思わない人は健康のために歩くのだろうか。

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▼アンテナの構造

本郷通りで都営バスを待ちながら
道端のタチアオイを見ていたら
アオイの仲間が集まって生えている。



受粉ための器官も花の色やカタチが違うと
微妙な構造の違いがあって面白い。



ハイビスカスもタチアオイの親戚なので似ている。
こうしてみると花というのは植物が受粉のために
風や虫と交信するためのアンテナなんだと実感する。

バスが来るので慌てて撮影した初秋のパラボラ。

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▼風媒虫媒

本郷通りで都営バスを待ちながら
道端のタチアオイを見たらアリが群がっている。
タチアオイの花の写真を撮るたびにアリが邪魔なのだけれど
タチアオイにはアリがつきものなのでひょっとして虫媒花なのだろうか。



おそらく花粉が甘いのだろうけれど
はたしてこんな小さなアリが花粉目当てでうろちょろすることが
受粉に役立つのだろうかとちょっと疑問。



花粉を盛大に振りまいているので
アリが葉っぱの上にこぼれた花粉にも群がっており、
こういう光景を見ると風媒花かなぁとも思う。

風媒花なんだろうか虫媒花なんだろうかと首をかしげていたらバスが来た。

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▼マイリバイバル

雑貨屋店頭にて。
こういうものが乱雑に放り込まれた実家を三年かけて片付けた。
母が投げ込んだ一つひとつのガラクタを取り上げて語れば
彼女が生きた時代の大雑把なあらすじが語れてしまうほど
人生というのは短い。



多少古びた程度ではまだまだ生乾きなので
暮らしのガラクタは人と人とが共有する歴史資料とはなり得ず
「わ~なつかしい~、こんなの使ってる時代があったね」
などといっても、まだ使って生活している方が大勢いるのを知り
恥をわきまえるようになってマイリバイバルを静かに愉しむ人が増える。

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【清水合唱団第31回演奏会】

【清水合唱団第31回演奏会】

清水合唱団第31回演奏会の案内が友人から届いた。

団員減少により存続も危ぶまれた合唱団だけれど、現在約30名の団員で楽しく活動しているという。
指揮者は入団40年目という女性指揮者山根悦子さん。

10月4日(土)18:30開演 清水文化センター中ホール。

当日はもちろんのこと団員としての参加も大歓迎らしい。


同合唱団の演奏会の特徴は第3ステージのポピュラーステージで、今年は「color 色 いろ」と題して色にちなんだ歌を振り付けをして歌うという。
白い色は恋人色、亜麻色の髪の乙女、黒ねこのタンゴ、銀の龍の背に乗って、茶色の小瓶 などなど。

プログラム
1 世界の民謡 トロイカ 線路はつづくよどこまでも ちょうちょ など
2 ウェーバー作曲 ミサ曲
3 COLOR 色 いろ:
  白、赤、青、茶、松田聖子カラー、山口百恵カラー など
4 三枝成彰作曲 混声合唱組曲 千曲川賛歌

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▼勘違いの果実

シトロエンという車を知り、
その形状が踏みつぶしたレモンのように感じて
シトロエンはシトロン(レモンの親戚)の転訛みたいなもんかと思っていた。
マドレーヌもなぜかその形が踏みつぶしたレモンに見えてしまい
ホタテ貝のカタチを模したものだと知ったのは長じてからだった。
子ども心に踏みつぶしたレモンに執着があったのかもしれない。


   ▲「私はパイン」と素早く延びた新潟の友人の手。

上野アメ横を歩いていると目に付くフルーツバー。
どうしても買って歩きながら食べたいという衝動を
実行に移すことができずにいたけれど
新潟の友人夫婦が上京したのでガード下で宴会をし
帰り道でとうとう夢が実現した。
人は数と酒の力を借りると容易に跳べる。

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【もつカレー】

【もつカレー】

静岡県清水の友人が美味しそうなもつカレーをブログに載せており、食べたくなったので近所にあるもつカレーを食べに行ってみた。
東京でももつカレーが食べられる時代になっている。

牛もつを使っているそうで見た目は「おっ!」と期待させるが、こりゃだめだ、硬い!
母が静岡県清水で営んでいた飲み屋でも、つまみにもつカレーを作っていたが牛もつを使っていた。
もつはそもそも硬くて食べられない「ほうるもん」を、やわらく煮つつ味付けし工夫して食べる安価な大衆食であり、柔らかく煮込んでももつの形状が崩れないように、母は豚もつではなく牛もつを使っていたのだった。


硬いもつなんてゴム製の水道ホースを食べているようなもので、柔らかく煮込んでないという時点でそもそも失格だと思う。
牛もつを使って牛もつカレーとうたっている意味がない。
店員にからんでみても店員はマニュアル通りに動くロボットなので心の中で文句をいってみる。
「なにこれホースじゃん!ウマじゃないけど…」

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