【booth】

【booth】

郷里静岡県清水で母が営んでいた居酒屋は、必ず午前1時まで店を開けていたし、客がいれば明け方まで店を開けていることも多かった。
帰京して友人たちと会って話し込み午前0時を過ぎてしまうと、旧中心市街地に居場所がないことに唖然とする。


いつだったか午前0時を過ぎて友人たちと別れ、ひとり歩いていたらこのビルの二階にだけ人気(ひとけ)があり、人気(ひとけ)があるどころか楽しげに大騒ぎしているのだった。
インターネットの時代なので試しに入ってみなくても概略はわかるので検索してみたら午前2時まで飲めるらしい。

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【整理券の意味】

【整理券の意味】

清水まちなか巡回バスの料金は100円の均一料金である。

次郎長通りの友人宅を訪ねるため、洋菓子喫茶『富士』前の清水銀座東バス停から乗車したら、ピョロッと整理券が出てきたので、何の意味があるのだろうと戸惑いつつも、整理するための券をとらなければきっと整理の妨げになるので、よい子はちゃんと整理券をとってバスに乗る。


「後乗り前降り後払い」のしずてつジャストラインバスは、降車の際に運賃表で確認した整理券の番号に応じて、運賃を運転席横の運賃箱に入れなければならない。
4番の整理券なので電動運賃表を見ると当然ながら、1番から9番までみんな100円と出ていて限りなく無意味に近い。


清水まちなか巡回バスの利用者がどこから乗ってどこで降りたか、情報整理の助けになって市街地活性化の役に立てますように…と祈りつつ整理券を添え100円を料金箱に入れて本町で下車する。

それにしても運転手ひとり客ひとりのバスというのは何となく居心地が悪くて整理券の謎でも考えていないと間がもたない。

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【夕空の提灯】

【夕空の提灯】

清水ライナー折戸車庫行きが清水駅前に到着し、地下道を渡くぐって西友前に立ったら、清水みなと祭りの提灯に灯りが点っていた、


「ああ、もうみなと祭りの季節だなぁ」
と思うときの「ああ」にもさまざまな「ああ」があり、帰省した直後の「ああ」は旅人の感傷を添加した「ああ」になっている。

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▼食パン

食パンだけを次から次へと焼き続けているパン屋がある。
感心して眺めながらそういうご商売を不思議に思うと
「食パン」という言葉自体が不思議に思えてくる。



「食パン」の語源をインターネットで検索すると
こっちのサイトからこっちのサイトに転載したとしか思えない
同じ文章のうんちくがたくさん出てきて
最近の大学生のコピペレポートみたいで
語源なんてどうでもいいやという気分になる。

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▼カレー南蛮百連発:022



郷里静岡県清水の友だちが散歩途中に泳いでいる鴨を見つけ
そのせいか昼食は大好きな「鴨せいろ」ではなく
あまり好きそうでない「カレー南蛮」を食べたという日記を読んだ。
そう言う成り行きも面白いと思い
家人が義父の病院付き添いで留守なので、
近所の蕎麦屋に「カレー南蛮」を食べるつもりで「鴨せいろ」を食べに出た。



幼い頃から東京下町の蕎麦屋には「鴨南蛮」があったが
「鴨南蛮」とうたいながら実は使っている肉が鶏肉なのが問題になり
「かしわ南蛮」「とり南蛮」ときちんとうたうようになった時期がある。
最近は鴨肉が安価で安定供給されるようになったせいか
たいがいの店にはちゃんと鴨肉の「鴨南蛮」があるし、
こんな下町の蕎麦屋に「鴨せいろ」なんて洒落たものがあるのかしらと
心配したがちゃんと「鴨せいろが」メニューにあった。

ところが「鴨せいろ」があるのに「カレー南蛮」がメニューになく、
思わず「カレー南蛮はないの?」と聞いたら「あります」と言うので
成り行き上、「鴨せいろ」でなく「カレー南蛮」を頼んでしまった。



「カレー南蛮」がメニューにないこの店には
「鴨南ばん」以外に「肉南ばん」「とり南ばん」があり
なんと「親子南ばん」まであって意外に南蛮系に力が入っている。

メニューにない「カレー南ばん」は豚肉だったが
こんなレアな豚肉入りカレー南蛮に初めて遭遇した。
出前だとちょうど良い火の通り具合になるかも知れないが、
子どもの頃から「オアズケ」ができないのでレアのまま食べた。

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▼色つき日傘

商店街の花屋店頭に繊細な花が咲き、
一鉢3,800円なのでなかなか良い値段をしているが
白ではなく色つきのものは珍しいのだという。



「サンパラソル」という名前がついているので日傘であり
ここにもまた近づく夏の地鳴りを微かに聞く。

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▼琉球アサガオ

暑い暑いと汗をかきながら歩いていると
涼しげな青が眼の端に映じただけで涼感を誘われることがあり、
振り向くとそこに
ヒルガオ科のオーシャンブルーこと琉球アサガオが咲いていた。



和名をノアサガオといい
沖縄や南西諸島でアサガオといえばこれをさすらしい。
「南西諸島のアサガオか…」
と本土で眺めてている自分を思うとちょっとだけ涼しい気もする。

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▼バスを待つ間にオンリーユー

本郷郵便局での用事が済んで帰宅する復路、
秋葉原発駒込行きの都営バス茶51系統を待つ間も
平浩二1972年のヒット曲「バスストップ」とプラターズとサム・クックの
良く似た曲が鼻歌となって口をついて出てしまう。 



東大正門前バス停から本郷通り越しに見える東大構内。
海の日で祭日なのだけれど大教室に明かりがついて何かが行われている。
この窓は正門をくぐってすぐ右手にある法学政治学系総合教育棟になる。

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【されどご飯】

【されどご飯】

天神屋のキャッチコピー「静岡は、おむすび県。」を見て、郷里静岡県清水で食べたおむすびで一番好きだったのは、しらすのおむすびだったことを思い出した。

深夜、清水のコンビニに行ったらおむすびの棚に「しらすわさびご飯」というおむすびがあった。
好きだったしらすのおむすびとは趣向が違うもののおむすびに「しらす」の文字があるのが嬉しい。


かつて母が営んでいた飲み屋の斜め向かいに朝鮮焼肉店があり、親同士が親しく付き合い、その店には同年代の姉妹がいた。
毎朝一緒に学校に通うはずなのだけれど姉妹はチョゴリを着て別の学校に通い「おはよう」と挨拶するたびに「(ここまでの友達よ)」と言われているようで妙な寂しさを感じたものだった。

時々客になって料理を食べに行くとモツスープがとても美味しくて、いまだに韓国料理店で同じものに出会ったことがない。
そんなに好きなら作り方を教えてやると言っていたが、娘を母国の学校に通わせていたご両親も既に亡い。

その店では「ビビンパ」(bibinpa)と発音していたため僕も母も「ビビンパ」(bibinpa)と覚えたのでどうしても、「ビビンバ」(bibinba)と呼んだり書いたりすることに違和感がある。
こと“ご飯”に関することなのでなおさらなだけかも知れないけれど。

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【集中力の逆噴射】

【集中力の逆噴射】

異様に集中力の高い人がいるが、年がら年中集中力が高まっていたら身が持たないので、異様に集中力が高いけれど普通に暮らしていられる人というのは、必ずどこかが抜けていてバランスがとれているのだと思う。

家人もまた集中力が異様に高い人なのだけれど、とんでもないところがとんでもなく抜けている。


大内観音前バス停に静岡行きバスが到着したので整理券をとって乗り込み、家人が乗ってこないので振り向いたら、後ろに他の客を待たせたまま乗車口で難渋している。
「どうした!」
と声をかけたら
「ピタッとあてているのに券が出てこない!」
と言うのでよく見たらICカードをあてる場所に自分の手のひらをあてているのだった。

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【夏の日のガリガリ君】

【夏の日のガリガリ君】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2008 年 7 月 21 日の日記再掲

静岡県清水大内にある曹洞宗富谷山保蟹寺に墓参りをした。
 
祖父重太郎は 1894(明治 27 )年生まれで 1972(昭和 47 )年 10 月 3 日に没している。祖父が清水大内で暮らしていた頃、里山はまだ竹だらけになって荒れ果てておらずミカン栽培が盛んであり、平地には水田に混じってナシ畑がたくさんあって、このあたりは稲作と平行して果樹栽培も盛んだった。
 
当時大内で作られていたナシの品種は長十郎で、かじるとガリガリと硬く、二十世紀ナシに比べたら水分は少ないけれど糖度が高くて甘く、しかも病気に強かったらしい。

長十郎の名を幼い頃すぐに覚えてしまったのは祖父の名の重太郎と何となく似ていたからだけれど、1900(明治 33 )年生まれで 1996(平成 8 )年 5 月 21 日に没した祖母サトは少しぼけ気味になってから夫だった祖父の名が思い出せず、尋ねるとしばらく考えて紋次郎だと言うのがおかしかった。幼児や老人にとって長十郎や重太郎や紋次郎はよく似た名前の範疇にあるのだろう。
 
ナシの長十郎を発見した人は当麻辰次郎といい 1826(文政 9 )年から 1906(明治 38 年)にかけて生きた人で、自分の名前辰次郎の名をつけずに長十郎と命名したのが 1893(明治 26 )年のことなので、祖父重太郎とナシの長十郎は 1 歳違いということになる。
 
どうして長十郎などという古めかしい名前を新種のナシに付けたのかと考えてまず思いつくのが、ナシの長十郎が生まれた場所も歌舞伎界の人々を表す言葉も「梨園(りえん)」なので、江戸市村座(いちむらざ)の座元だった歌舞伎役者河原崎長十郎にちなんだのではないかということなのだけれど、何のことはない、長十郎は当麻家の屋号なのだった。ちなみに河原崎長十郎の屋号は山崎屋である。

お盆近くなると大内のナシ畑も長十郎の出荷で忙しくなり、幼い頃は暇なのでよく遊びに行き、農家のご夫婦にもぎたてをむいて食べさせてもらった上に麻袋いっぱいの長十郎をもらって引きずって帰ったものだった。
 
二年前の夏、友人が静岡県立総合病院に入院したら、担当になった女性看護師長の実家が大内でナシ畑をされていたというので、幼い頃世話になった農家かもしれないから確かめてあげると友人は楽しそうに言っていたけれど、病気があまりに重篤だったので話はそのまま立ち消えになってしまった。彼女が一時退院の合間を縫って保蟹寺にある母の墓参りをしてくれたのもこんな暑い日だった。

今年もまた北街道沿いのナシ畑では袋掛けされたナシの実がふくらんでおり、田んぼだった場所にはコンビニエンスストアができていた。
 
静岡行きのしずてつジャストラインバスを大内観音前バス停で待つ間、あまりに暑いので友人たちが大好物だというアイスキャンディ『ガリガリ君』を初めて買ってみた。
 
ナシ味だというそれは豊水や幸水などの薫り高い新品種に似ているような気がするのだけれど、名前の通りガリガリとした歯触りが妙に長十郎に似ており、考えてみたら長十郎もガリガリ君だったんだなぁと懐かしく思い出す。

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【兄さんの清水シャツ】

【兄さんの清水シャツ】

静岡県清水桜橋町。

我が家で人気のぬいぐるみ、クマのローズのお兄さんが珈琲自家焙煎工房『櫻珈琲』にいるという。

清水駅前銀座『リビングハウスこまつ』で清水シャツの生地で作った手ぬぐいが売られているので購入して家人が鯉口シャツを作ってプレゼントした。


清水手ぬぐいで夏衣装

ブレンドのシャツ

北京屋のラーメンを食べ終えて帰る途中にお邪魔したらブレンド君はいつもの棚から降りて玄関先で店番をしていた。

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▼96……喫煙と携帯電話


東京都文京区。

本郷通りに面した店舗前の舗道になぜか灰皿があり
時折若い女性店員が出てきては喫煙しており、
喫煙時はいつも携帯電話の画面を見ている。



喫煙しているとつい携帯電話の画面が見たくなるのか、
携帯電話の画面を見に来るついでに喫煙しているのかよくわからない。

この日もやはり携帯電話の画面を見ながら喫煙し、
さらに喫煙しながら足首をグリグリしていた。

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▼95……イチジクの匂い


東京都新宿区西早稲田。

早稲田大学文学部脇の諏訪通りを馬場下門方向に歩いていたら
舗道にはみ出すように民家の軒下からイチジクが生えており
横を通ったらモワッと「イチジクの匂い」がした。



蒸し暑く湿度が高い日に限ってイチジクは匂うのかも知れなくて
何十年ぶりかで嗅いだその匂いは
じめじめと湿った場所をかくれんぼの隠れ場所にしていた
幼い頃を思い出させた。

いい匂いとは思わないまでも懐かしさで胸がいっぱいになったが、
1時間ほど経ったらもうどんな匂いだったか忘れてしまっている。

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▼94……コンタクトレンズ


高校を卒業して東京に出たら
近眼の度が進んで黒板も見にくくなっていた。

そろそろメガネをかけなくてはいけないかなと思ったら
メガネをかけていない友人たちが実は皆コンタクトレンズをしていて
「ついていってやるから君もコンタクトレンズにしろよ」
などという。



友人に付き添われてやって来たのがこの雑居ビルの上にある店で
最初は目の中でゴロゴロしてこれはダメだと思ったけれど
結局30歳になるまでずっとコンタクトレンズをしていた。

そんなわけで高田馬場駅前に来るとでっかい目玉の視線を感じて
10代の頃をふと思い出したりする。

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